35.魔封環
「で、寝たフリはいつまで続けるんだ?」
キールと大まかな打ち合わせを終えた後、ヴェンは横たわっている少女に視線を落とした。エリクシールによって顔色は多少マシになったものの、元々の怪我が致命傷だ。普通なら意識を取り戻すことなどあり得ない。
現に少女もヴェンの声には反応せず、床に横たわったまま身じろぎ一つしない。ヴェンは成る程、と笑みを浮かべると、少女に歩み寄って行く。
「眠り姫には王子様のキスが必要ってとこか?」
どれ、とヴェンは右足を軽く上げると少女の顔面目掛けて落とした。踏み付けだ。領主達が止める間も無く落とされた足裏は床を大きく砕いて見せるが、そこに本来凄惨な彩りを添えていたであろう赤がない。
「お約束ってのは偉大だね。空振ったのにお目覚めとは」
「な、何するのさ!?」
足が振り下ろされる瞬間、横に転がって身を躱した少女は立ち上がりながら声を上げる。その動作はいまひとつ精彩を欠き、体調が万全でないことをヴェンに教えてくれる。
――いや、演技という可能性もあるか。
警戒し過ぎるということはないだろうとヴェンは考える。長期戦に持ち込めば優位は揺るがないとはいえ、どんな隠し球があるか分かったものではないし、万全の状態で逃げに徹されれば手の打ちようがない。
「目覚めのキスさ。情熱的だろ?」
ヴェンは砕けた床を示し、戯けた調子で言う。
「目覚めるどころか永眠するよ!」
ヴェンの惚けに突っ込みを入れる少女。ケタケタわらいながら、ヴェンは意外に元気な少女の戦力評価を上方修正した。
「話は聞いてたんだろう。どうされたい?」
「いやぁ、アハハ……出来れば死にたくないかな、と。まあ殺されても良いんだけどさ。それなりに満足出来る戦いだったし」
軽く笑いながら「殺されても良い」と言う少女だったが、その目は生存を諦めている目ではない。万が一の可能性に賭してでも、最後の最後まで足掻く、野生の獣を思わせる光があった。
今もさりげなく自身の挙動から隙を窺っているのがヴェンには分かった。油断も隙もありゃしない、とヴェンはボヤきつつ、当然か、とも思う。命が掛かっているのだから必死にならない理由がないだろうと。
「一応、領主さんにも頼まれたし、殺しはしないさ。右と左、どっちがいい?」
「……それ、何の選択?」
嫌な予感がしたのだろう。若干頬を引き攣らせつつ尋ねる少女に、ヴェンはあっさりとした口調で返す。
「どっちの足の骨を粉々にされたいかって話」
「戦略的撤退!」
ヴェンの声音から冗談の類ではないことを悟った少女は傷付いた身体を押して床を強く蹴り付け、逃げ出そうとしたのだが――
「はい残念っと」
『加速』抜き、素の状態であれば、体調が万全であったとしてもヴェンの方が速い上、ついさっきまで死の淵に居た少女だ。ぱっと見マシになったとはいえ、体調は最悪で、速度も鈍い。
――当然、ヴェンに捉えられない筈もなく。
ヴェンんは壁の穴から飛び出そうとしていた少女の腕を掴むと、力任せに引き寄る。一旦大人しくさせようと軽く少女の腹を小突いてやると、ビクリと身体を震わせ、苦悶の声を上げた。
「あぐ、クゥゥ」
少女の額には大粒の汗が浮き、呼吸も荒い。動けるのだから随分状態が良くなっているのかと思えば、どうやら痩せ我慢の演技だったらしい。
そうなると、少し強く叩き過ぎたかね、とヴェンは苦しむ少女の姿に僅かばかり罪悪感を抱いたが、即座にそれを切り捨てる。天賦相手にその手の感情を抱くのは危険だから。
「正直、お前を捕らえたのはミスだったよ。後腐れなく殺しておいた方が面倒が無かったって話だ」
ヴェンは痛みに苦しむ少女を見下ろしながら、無機質な声で言う。
「お前は今の反乱軍が抱えるには重過ぎる。かと言って逃がすには強過ぎる」
実際、今の反乱軍はこの少女一人で壊滅させられるだろう。ヴェンが居たとしても、だ。ヴェンは少女との戦闘の中で放たれた魔術を躱すことは出来ても、発動そのものを止められたことは殆ど無かった。
放たれた魔術を防ぐ手立てもありはしない。逃げ回りながら魔術をばら撒かれるだけで、反乱軍はあっさりと壊滅させられるだろう。
そんな相手だ。自由にするなんて選択肢はあり得ない。
正直なところ命を奪ってしまいたいともヴェンは思うのだが、ファイツ領が反乱軍に加わることになった手前、出来る範囲で向こうの要望は叶えた方がいいだろう。
「だから、戦闘力を削がせて貰うよ」
残酷に思える、というか実際残酷なヴェンの言葉だが、ある程度温情もある。残りのエリクシールがあれば足の骨を砕かれた程度なら元通りに動くようになるだろうし、取り返しのきかない命に比べれば安いものだ。
「ケホッ、それも、ツゥ、出来れば避けたい、かな……仕方ないのは分かって、るけど。別に逃げたり暴れたりは、痛、しないんだけどなぁ」
「説得力って言葉は知ってるよな?」
ついさっき逃げ出そうとしたのを忘れたわけじゃないだろう、と溜息交じりに言うヴェンに、少女は苦笑いを浮かべる。
「というか、さ。女の子に容赦ないよね」
「命が掛かってるんだ。男も女もあるかって話」
それもそうなんだけどねー、と笑う少女。どうにも捉えどころがなく、ヴェンは溜息を吐いた。間を外されるというか、毒気を抜かれるというか。
「そ、それよりも、侵略者共への対策を考えた方が良いのではないですかな?」
このまま物騒な流れになることを恐れたのだろう。領主が声を上げる。余程この娘に気を遣っているらしいと思いながらも、ヴェンはあっさり返す。
「必要ない」
「……何故です?」
「今回は、何も自重する必要がないからな」
質問の答えとしては不適切なものだったが、ヴェンの言葉の意味は伝わった。要は、「手段を選ばなければ自分一人でどうとでもなる」と言っているのだ。
タテノ村にいた時は正確に自分の力量を掴めていなかったヴェンだが、幾度かの戦闘、そして自身と同じ天賦との戦闘を経て、自分の戦闘能力を正確に把握出来るようになっていた。
――一騎当千。
何の枷も無く、手段を選ばず、命を捨てる覚悟で戦えば、自分の力はその領域に届くことをヴェンは確信するに至っている。幸い、敵にも自分と同じ天賦が居て、自分と互角か、或いはそれ以上の強敵揃いであることを考えると、確信が慢心に変わることはあり得なかったが。
とはいえ、今回は敵に天賦が居ないことが分かっているし、敵兵の練度も低く、大規模戦闘の経験は無いと来ている。一人でもどうにかなるだろうというヴェンの考えは、ただの楽観ではない。
「そして、唯一の懸念がこいつなんでね」
乱戦の中で不意を打たれれば首を刈られかねなし、拘束したところで逃げ出される可能性は十分ある。戦闘中は炎の魔術ばかり使って来たが、他にどんな手を隠しているか分かったものではない。
やっぱり足を砕くか、と物騒なことを呟くヴェンに、暫く沈黙を保っていた人物から声が掛けられる。
「魔封環、というものがある」
「げ……あれかぁ」
領主の息子が口にした魔封環、という言葉に少女は顔を引き攣らせた。聞こえるに魔術を封じるものってことだろうとヴェンはあたりをつけるも、確認しておこうと口を開く。
「その魔封環ってのは何か教えてくれると有難いんだけど?」
「魔力の動きを阻害する波長を持った金属によって作られた首輪だ。高価なものだが、我が家も幾つか所有している」
へぇ、と呟いてヴェンは考える。少女の脅威は『加速』の魔術によるところが大きい。それを封じられるというなら脅威度は大きく下がる。その上負傷もしているのだ。逃げ出すことも難しいだろう。尤も――
――それが本当なら、な。
ドワーフは一目見ただけでヴェンに魔力が無いことを見抜いていた。ドワーフの特性ということも考えられるが、魔術を使える者には当然のように分かるものだとも考えられる。
後者の方が正しいとすれば、ヴェンに魔力が無いことは一目瞭然。そして、圧政に喘いでいた農民であることを鑑みれば、魔術の知識に疎いだろうという予想も出来る。
つまり、ありもしない魔封環というものでヴェンを騙そうとしている可能性、或いは、魔封環というもの自体は存在しても、偽物を持って来て誤魔化す可能性が考えられる。
――駄目だな。
そこまで考えて、ヴェンは思考を放棄した。考えるのが面倒になったということもあるが、そもそも考えたところで切りがない。
「オーケー、ならそいつを持って来てくれるかい? ただし――」
――その魔封環ってのが嘘っぱちだったら。
どうなるかは知らんがね、とヴェンは牙を剥くように笑って見せる。生物の本能的な部分に作用する、獰猛な肉食獣を思わせる笑み。
領主の息子は身体をビクリと震わせるも、ああ、と一つ頷いて立ち去って行く。反乱軍の兵士達がへたり込むような殺気をぶつけてみたのだが、表情に出さないあたり大した人物だとヴェンは思う。
――親子揃って、ね。
本当にこの領に生まれていたら反乱なんて起こさなかっただろうにとヴェンは思う。尤も、キールに巻き込まれなければダースト領に居たまま反乱を起こさなかった可能性もあるが。その場合でも代官を闇討ち位はしただろうけれど。ともあれ。
戻って来た領主の息子が手に持っているのは、黒い金属製の首輪。ぱっと見何の変哲も無い首輪に見える。ヴェンは差し出された首輪を受け取ると、床でぐったりしている少女に近付く。
「……お兄さんの変態」
「やかましいわ。猛獣に首輪を付けるのは当然だろうが」
横たわる見目麗しい少女に首輪を持って近付く、獰猛そうな若い男。酷い絵面だなと苦笑いしながら、ヴェンは少女に首輪を嵌めた。その上で、首輪と同時に受け取っていた鍵を穴に差し入れ、しっかりと鍵を掛ける。
――ああ、これは本物だな。
ヴェンは確信する。魔力云々というのはヴェンには分からないことだったが、少女から感じる圧力が明らかに弱まったのだ。
――これで憂いもなくなったことだし。
「最終決戦と行きますか」
軽い、何の気負いも無い調子でヴェンは言った。反乱軍の天賦、ヴェンリットの名を世に広めることとなる戦いはもう目の前だった。




