31.激戦
――洒落にならんって話だ、クソッタレ。
火球や炎の柱を右に左に躱しつつ、ヴェンはヤケクソ気味にぼやいた。予想通りの結果ではあるのだが、矢なんて擦りもしなかったのだ。矢弾が尽きて投石に切り替えたが、それも当たらない。尤も、向こうの魔術も当たりはしないため、ぱっと見拮抗した戦いに見えはするのだが。
余裕が出来たら絶対に弓の腕を鍛えるぞと思いつつ、ヴェンは術と術の間に幾つか石を拾い上げる。もう幾度放たれたか分からない炎の柱を大きく右に跳んで躱しつつ、振り向き様に両手に一つずつ握った石を投げ放った。
回転を掛けられ、少女に左右から交差するような軌道で向う飛礫は、しかし後ろに大きく飛び退くことで躱される。
さて、千日手に陥った天賦同士の戦闘であるが、このまま続けていれば勝つのは自分であろうとヴェンは考えている。少女に隠し球がない限り、最悪でも逃げ切られての引き分け。逃げないのなら勝ちを拾えるだろうと。
理由は、体力の差だ。
無尽蔵の体力を持つヴェンに対し、少女の動きは徐々に鈍くなって来ている。当然だろうとヴェンは思う。あの凄まじい加速が身体に負担を掛けない筈がないのだ。魔術を使うには魔力というエネルギーが必要になることは、ヴェンもドワーフ達から聞き及んでいる。
加速も魔術で、攻撃にも魔術を使っているのだ。魔力が無く、感知も出来ないヴェンでは正確な残量は読めないが、それでも無限ではないだろう。その点でも、少女は消耗してきていると言える。
更に、ヴェンが魔術に慣れてきたというのも大きい。少女が使ってくる術は数種類。幾度となく放たれたことでヴェンは詠唱からどの魔術が来るのか予想出来るようになったのだ。
予測出来る攻撃を喰らう筈もなく。このまま拮抗状態を保っていれば、間違いなくヴェンが勝つだろう。
――とはいえ、それは向こうも分かってる筈。
魔獣との戦いを含めればどうかは分からないが、対人戦の戦闘経験はヴェンよりも少女が圧倒的に数で勝るだろう。そんな彼女が、ヴェンにも読める戦いの趨勢を予想出来ないというのは考え辛い。
少し探りを入れてみますかね、とヴェンは口を開く。
「おいおい、情熱的なのはいいが、こうも単調だと飽きて来るな。君が楽しいのは良いんだけど、正直言って俺は退屈だ」
小馬鹿にしたような調子でヴェンは言う。挑発に乗ってくれれば御の字。乗って来なくとも特に害はないのだから、全力で煽りに行く。
「目の前に相手が居るのに一人遊びなんて、あれかい? 二人以上での遊び方が分からないって話? ああ、友達居なそうだもんね」
自分にも友人など数える程しか居ないヴェンだったが、それを棚に上げてひたすら煽る。通信進化とか出来なかったクチ、ってこれは通じないかとヴェンはケタケタ笑う。
意味は通じていないが、馬鹿にされているのは語調から十二分に伝わったのだろう、少女の口元がヒクついているのを見て、これは上手く行ったかなと思いつつ、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべ続ける。
「あったまキタ! もう手加減しないよ」
「手加減? 力不足の言い訳かな?」
ヴェンの言葉に、疲労が浮いた表情に怒りの彩りを添えた少女がバックステップを踏みながら腕を前に突き出す。幾度となく繰り返された流れだ。
力不足なんて本当に言葉のブーメランにしかならないけどさ、と自嘲しつつ、ヴェンは距離を詰めんと小刻みに地面を蹴って前に出る。大きく踏み込まないのは、方向転換の利かない両足が地面を離れた状態をできる限り短くするためだ。
「炎の神、アグニよ、偉大なる者よ! 御身が力、大いなる炎の一欠片を、眼前の敵を打ち滅ぼさんが為に貸し与え給うことを願う。偉大なる炎よ、獲物を捉える牙となれ――『炎の牙』!」
少女の突き出した手から炎で形作られた大蛇が生み出された。ヴェンの身長ほどもある炎の大蛇。赤く燃え盛る身体から放たれる凄まじい熱気が、周囲をの空気を歪ませる。
――一番厄介なのが来たな。
勝負に出たのなら当然か、ともヴェンは思う。この炎の蛇は火球や炎の柱に比べれば速度で劣るのだが、こちらを追尾して来るのだ。急な変化には着いて来られないのが救いではあるが、それでもしばらくは避け続ける必要があるし、その間に別の術を放たれると一気に厄介なことになる。今回は――
「加速!』
――少女自身が、来た。
今まではひたすら加速で距離を取っていたにもかかわらず、ヴェンの距離である近距離に踏み込んで来たということは、ブラフではなく本当に勝負を掛けてきたのだろう。
あの凄まじい加速は直線的な軌道しか描けないとはいえ、ヴェンにとってもその速度は脅威。炎の蛇を避けながら、超高速に対応するのは至難の技だ。
この戦術は有効ではあるが、しかし少女にとってもかなり危険だ。加速の弱点が割れ、更に動きを読まれている以上、ヴェンに反撃を合わせられる可能性は十分にあるのだから。
――ま、挑発に乗ってくれたのは有難い。
あのまま続けていればおそらくヴェンが勝っていただろうが、時間を食う。何より、向こうから機を見て仕掛けて来たのではなく、仕掛けさせたというのが大きい。覚悟を決めて勝負に出るのと、中途半端な感情で勝負に出るのとでは雲泥の差だ。
加えて、少女は見るからに冷静さを欠いているようだったし、精神的に優位に立っているのは自分だとヴェンは思い――
――言い知れぬ悪寒に身体を震わせた。
理屈ではない。本能が警鐘を鳴らしたのだ。背筋を走り抜けた感覚が何らかのスイッチでも押したかのように、時間が引き伸ばされる。加速した意識の中で、ヴェンは思考を巡らせた。
――油断してるって話だ。
俺は阿呆かとヴェンは心の内で悪態を吐く。確かに現状、優勢なのはヴェンではあるものの、対人戦闘の経験、駆け引きといった部分では少女の方が上。相手の方が戦巧者だといえる。そんな相手が安易な挑発に引っかかったりするだろうか。
幾度かの戦闘で兵士を圧倒出来たことでヴェンの中に慢心が生まれていたのだ。本人でも気付かぬ内に。素人に毛が生えた程度の連中を圧倒出来たから調子に乗って、我ながら間抜けだなと自嘲しつつ、ヴェンは目を細めた。
少女は迫って来ている。炎の大蛇も。
加速された意識の速度でヴェンの身体は動けない。少女に何らかの策や隠し球があったとしても、この段に至ってそれを見抜くのは不可能だ。だから、覚悟だけは決めた。
――何かあるかもしれない、と。
杞憂ならそれでいいし、懸念が当たっているのなら無警戒の状態で不意を突かれるよりは幾分かマシになる。
ヴェンの意識が普通の時間の流れに引き戻される。自身の前後を挟むような形で迫り来る脅威に、ヴェンは大きく左へと跳んだ。
十分に引きつけてからの回避。これで炎の大蛇、その牙から逃れられることは戦闘の中で確認済みだ。少女はヴェンを追って右に跳び、すれ違い様に斬りつけて来る。
こちらも慣れたものと籠手で弾き、一連の攻防を凌ぎ切るヴェン。杞憂だったかと考えるヴェンの視界が、『加速』と呟いた少女を捉える。切り替えして真正面から最高速で向かってくる少女。
弾丸が如き速度だが、直線的な動きしか出来ない加速の魔術で真正面から真っ直ぐに向って来るというのは、ヴェン相手には自殺行為だ。
何故、と思った瞬間、ヴェンの背で何かが爆ぜた。
橙色の爆炎が撒き散らされ、熱と衝撃を周囲にばら撒かれる。ヴェンも広がった爆炎に背を焼かれ、小さく呻いた。
――確認は、出来ないが。
爆ぜたのは、おそらくあの炎の大蛇なのだろうとヴェンは思い、油断しないと言っておいた矢先にこれだとぼやく。とはいえ、これはヴェンが愚かしいというよりは少女が上手かった。巻いておいた布石が意味を成したのだ。
少女はヴェンとの戦いの中で何度も炎の魔術を使ったが、一度も放った術を爆ぜさせるという使い方は見せなかった。使えば手傷を与えられる場面はあったが、その程度ではヴェンを仕留められないと考えたから。
だから、策を弄した。
魔術は避ければ終わりなのだと誤認させたのだ。ヴェンを見た瞬間から、魔力を少しも持っていないことを少女は分かっていた。つまり、魔術が使えないであろうことを。問題は魔術に対する造詣の深さだったが、少女にとっては幸運、ヴェンにとっては不運なことに、ヴェンは魔術の知識は殆どないと言って良かった。
故に避けて、ヴェンの思考から外れた『炎の牙』を爆ぜさせ、ヴェンの態勢を大きく崩すことに成功したのだ。
――マズイ。
熱と痛みにほんの一瞬身体が硬直してしまったヴェンは思う。火傷の具合は優秀な鎧のお陰で大したことはないだろうが、前方につんのめるような形で崩れた態勢が良くない。
少女は既に加速に入っている。切っ先から見るに、狙いはつんのめって前に突き出されたヴェンの頭部。この時点で、ヴェンは回避も防御も間に合わないことを悟った。幾度となく少女の超高速に曝されたからこそ、刃が到達するまでに自分が動かせる範囲ではどちらも叶わぬことが分かってしまったのだ。
――死ぬ、のか?
いかに身体が頑丈だと言っても、眉間に剣を突き立てられようものなら生きてはいられないだろう。ヴェンは死を意識した瞬間、抱きかけていた諦観が吹き飛んで行くのを感じる。
まだ死ぬわけにはいかないのだと、ヴェンは身体に力を込める。限界を超えて、動けと身体に命じる。
しかし、現実はいつだって残酷だ。
してやったりと笑顔の少女は、何の躊躇いもなくヴェンに刃を突き出した。
鮮血が、舞う。
そう、現実はいつだって残酷なものだ。




