番外編.キールの憂鬱
「はぁ……」
キールは大きく息を吐き出した。吐息の中には、酷く疲れが溜まっている。世界が白く歪み、キールは額に手を当てて、軽く揉んだ。眩暈だ。ここ数日で随分仲良くなってしまったな、と呟く。
キールは元々体力がある方では無い上に、ここ最近身体に負担を掛けるようなことが立て続けに起こった。一つ、人を手に掛けたこと。徴税官に加え、代官もキールがその手で殺したのだ。
「有用だと思える情報があれば助命しましょう」
そう囁いて代官を唱わせるだけ唱わせ後――
「残念ながら役に立つ情報はありませんね」
――あっさりと命を奪う判断を下した。
そして、ダースト領の領民の感情を考えれば代官は公開処刑する他なく、手を下すのは反乱軍の代表であるキールでなければならなかった。
「……情けない話ですよ」
キールは溜息と共に呟く。直接手に掛けたのは、たった二人。徴税官と代官という恨み骨髄の相手だというのに、キールは毎晩夢に見るのだ。殺した瞬間の感覚と、死に顔を。ズプリとナイフが徴税官の肉に食い込んでいく感覚が、一度では断ち切れず幾度となく代官の首に振り下ろした斧の感覚が、死にゆく声が、キールを毎晩苛んだ。
悪夢はそれに留まらず、反乱に巻き込んだ者達の姿が現れては、死体となってキールを責めるのだ。
――お前のせいで、と。
それは言い逃れようのない事実で、キールとて覚悟はしていた。今はまだ味方に死者は出ていないが、遅かれ早かれ犠牲者は出るだろう。それを呑み込んだ上で反乱にタテノ村を巻き込み、ダースト領を巻き込み、次はアルマ領を巻き込もうとしている。だというのに。
ヒトの命の重さは、キールにとって予想以上のものだった。前世で培われた倫理観がキールの枷となり、命の重さで押しつぶそうとしてくる。
都合のいい話だが、こんな時には前世の記憶など無ければ良かったのに、とキールは思ってしまう。そしてその度、それは逃げだな、と思い直すのだ。
――命の重さを軽くして、楽になろうとしていますね。
それは責任からの逃避だとキールは思う。自分はそれをしてはいけない人間だとも。ヴェンがこれを聞けば「真面目過ぎやしないか?」と笑うだろう。
ヴェンに言わせれば、命の重さなんて一定ではないのだから、自分が大切にしている者の命だけに重さを感じていればいい。他人の命の重さは、復讐なり、非難の声なりで気付く位で丁度いいのだ、とのこと。
――割り切った方がいいと思うがね。
人にとっての命の価値なんて関係ない。自分の価値観で殺せばいい。そうすりゃ、少しは楽だろう。そう言ったヴェンの表情には、少しの揺らぎもなかった。キールはそれを思い出して、背筋に冷たいものが走る。
――理解出来ない。
キールはヴェンが自分と同じ前世の記憶を持つ人間でありながら、命に対して恐ろしくドライな価値観を形成していることが理解出来なかった。
ヴェンはこうも言っていた。
「俺に恋人を殺された女性が居たとして、その女性が仇を討ちに来たとしよう。その女性にとって男は大切な人間だった。それを奪ってしまったと、そう理解した上で――俺は女性を殺すだろう」
敵である時点で、俺は躊躇うことなく刃を振り下ろせる。血を思わせる色のの瞳で、ヴェンは、極自然に言っていたのだ。この世界に適応した価値観ではあるのだが、元が日本人であると考えれば異常だ。
日本でそのような価値観を持っていれば、狂人だと言われても無理はない。環境への適応だと言ってしまえばそれまでだが、キールには酷く異様なものに思えたのだ。
善性の人間ではあるのだろうが、些細なことでその善性が反転しかねない。キールにはヴェンがそんな危うさを抱えているように思えて仕方がなかった。
例えば、タテノ村の人間が殺されたら、ヴェンがどんな反応をするのか、キールは戦々恐々としている。
「ああ、本当にどうしましょうかね……」
タテノ村出身の兵の扱いについては、ここ最近のキールの悩みの中でも特に大きいものである。元々、タテノ村を反乱に巻き込もうと考えた時、キールはヴェンという超戦力の存在を知らなかった。
あの時はとにかく必死で、隣村を巻き込んで人数を増やせるだけ増やし、ドロドロのゲリラ戦に持ち込むつもりだった。罠などを駆使すればいかに専業の兵士であれ、人数差で押し切れるだろうから。
当然、タテノ村の住人にも多大な犠牲が出ただろうが、キールはそれをするつもりでいたのだ。外道もいいところだと思う。あの時は、人の命についてなんて考えている余裕は無かった。だから非道であれたのだ。無論、それを言い訳にするつもりは無いが。
ともあれ、元々タテノ村は完全に巻き込むつもりでいたし、戦力としても当てにしていた。しかし、ヴェンの存在でタテノ村の立ち位置が変わってくる。
キールの予定では戦力の一部でしかなかったタテノ村の住人は、今や反乱軍の全戦力だと言っていいヴェンのアキレス腱であり、ヴェンを暴走させる切っ掛けになり得る存在となっているのだ。
重要性が、跳ね上がったのだ。
正直な話、キールはタテノ村の住人を前線に出したくない。ヴェンは戦闘中であってもタテノ村の住人を気に掛けるだろうし、当然他の兵士よりも優先して守るだろう。
その上、命を落とそうものなら最高戦力がその場で爆弾になったり、案山子になったりしかねない。タテノ村の住人の戦闘能力は他の村と比して特別高いわけでもなく、背負うリスクにリターンが釣り合っていないのだ。
――そうは言っても。
戦場に出さないという判断を下すのは難しい。一つは、他の村との軋轢が生じる可能性があるため。タテノ村の人間だけ危険に曝されていないとなれば、他の村の者が非難の声を上げるであろうことは想像に難くない。
ヴェンの出身地であることを知れば表立って声を上げる者は出ないだろうが、間違いなく悪感情が蓄積されるだろうし、溜まった悪感情が爆ぜれば、ただでさえ急拵えの反乱軍が分解することすら考えられる。
そして、もう一つ。タテノ村出身の兵がそれを望んでいないこと。こちらの方がより大きな問題だ。
最悪、他の村の者との軋轢はヴェンという恐怖で押し潰すことも出来るのだが、こちらはそうもいかない。ヴェンだけを戦わせてはおけない、と反乱軍兵士の中でも特に士気が高く、とてもでは無いが後方待機を命じられるような状態ではなかった。
ヴェンの方から説得してくれればありがたいのだが、直接言うのも気分を害しそうだと遠回しにしか伝えられず、今のところ上手く行ってはいない。
「……はぁ」
とりあえず、ヴェンのフォローが効く今回は参戦してもらうとして、次回からは戦列に加わらないようどうにか説得する他ないだろうとキールは思う。幸い、拠点の防衛等、言い訳には事欠かないだろうから。
私兵達が使っていたまともな装備はタテノ村の兵を最優先で、続けてキール自身の村であるヨコノ村の兵に回した。これに関しては、反乱に加わった順だと言って誤魔化した。
――大丈夫な筈だ。今回の戦いは。
キールにはヴェンがどの程度の戦力に換算出来るのかは分からない。ヴェン本人ですら、正確には理解していない。それでも、ヴェンが数に圧されて負けるという姿をキールは想像出来なかった。
――過大評価だろうか。
森から出て来た血に塗れた姿を見て、その恐ろしさに戦闘力を過大評価してしまっているだろうか。キールは自問する。返ってきた答えは――
――半々、ですかね。
過大評価していないと言えば、嘘になる。あの重圧、存在感、恐怖。それらが判断を狂わせていない筈はない。しかし同時に、ヴェンがその気になれば、あの場で反乱軍の兵士二百人を殺すことなど容易かっただろう。
少なくとも、ヴェンは武器を持った素人二百人よりも強いのだ。屋内で数の利を活かされなかったからだ、と言ってはいたものの、暴力に慣れた私兵五十人近くを殺さずに制圧している。
「……底が見えませんね」
ヴェンという超戦力を測るには、辺境の領地の戦力では役者が不足なのだろうとキールは考える。実際のところ、ヴェンは岩食み相手に苦戦しているし、鬼熊とやり合えば命懸けだ。
しかし、それをキールは知らない。ヴェンも岩食みのことは存在の報告こそしていたが、「ちと厄介な魔獣」という程度にしか伝えていなかった。これはヴェンがドワーフを慮った結果ではあるのだが、ともあれキールのヴェンの力に対する信頼は非常に高い。
――過信しそうですね。
気を付けないと、とキールは呟く。
このあたりヴェンは非常にドライで、自分は強いと認識した上で、上には上がいると考えている。だから過信はしない。尤も、ヴェンは言語化出来ない自身の感覚、いわゆる直感に重きを置いて行動するせいで、力を過信した無鉄砲な人間という印象を持たれることもあるのだが。
「……しかしまぁ」
考えるのはヴェンに関わることばかりである。いかに今の反乱軍において、ヴェンが重要な存在であるかが分かるというものだ。キールは思う。現状、反乱軍=ヴェンであると。
本人は向いていない、御免だと言うが、反乱軍のトップはヴェンの方が相応しいし、適性もあるとキールは考えている。確かに直情的で考えが足りない部分もあるが、それは下が補えばいい。今は恐れられているが、人に好かれるタチであるし、強靭な姿勢は支持を集めるだろう。そう考えていながら、しかし――
――この席を譲るつもりは、毛頭ありませんがね。
反乱軍の指導者の地位。キールは誰にであってもこの地位を一切譲るつもりは無かった。無論、権力に固執しているという訳ではない。むしろ、常に投げ出したくなるのを堪えているくらいだ。
――責任を取るのは、僕であるべきですから。
反乱を起こした主犯格の人間は、間違いなく殺されるだろう。皆殺しにされる可能性はあるが、もしかしたら首謀者の首一つで収められるかもしれない。その時に落とされる首は、自分のものでなければならないとキールは考えていた。
瞑目し、息を吐く。
反乱軍の初陣は、もうすぐそばまで迫ってきていた。




