23.畏怖
――二百人。
現状反乱軍が動員出来る最大の人数である。ダースト領領主の私兵が使っていた武具を身につけて兵士らしい格好をした者も居るが、過半数はまともな武器すら持っておらず、農具を手にしている。
戦いの素人ばかり。村同士の交流も盛んでは無かった為、違う村同士での軋轢も生じている、寄せ集めの集団。統制など取れていなくて当然の軍勢は、しかし一言も発せず、身じろぎ一つしていなかった。
訓練の成果――などでは当然ない。そもそも、キールが説得に回った村の面々は訓練など一度も受けていないのだ。ならば何故、二百人もの人間が言葉一つ口にしないのか。それは、口を開くことも、身じろぎすることも出来なかったからだ。
森の前に並ぶ兵士達の顔色は、総じて悪い。額には汗が浮き、視線は森の奥、一点に集中させられている。兵士達に共通するのは――恐怖だ。
ゆらり、と幽鬼のように森の中から姿を現す人影。全身を血の彩で染め上げ、鋭い眼光は獣のよう。背には獲物であろう魔獣の骸を引っ掛け、平然と歩く様は人間離れした膂力が窺える。何より、その身体から発せられる不可視の圧力は筆舌に尽くし難い。
今でこそ金縛りに合う程度で済んでいる兵達だが、初めの内は卒倒して泡を吹く者、色々な体液を垂れ流す者、身体の震えが止まらなくなる者など、酷い有様だった。
ここ数日で慣らされたとはいえ、一歩、また一歩と近付いて来る少年の姿を見ると兵達はこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。尤も、身体は動いてくれないのだが。
「よお、ヴェンリット。そのおっかない殺気を引っ込めてくれないか?」
この場で唯一圧力に屈していなかった男、ガイが少年、もといヴェンに声を掛ける。ヴェンは言われて初めて自分が殺気を垂れ流しにしていることに気が付いた様子で、ああ、そういやそうだったな、と殺気を収める。
その途端、場の温度が二、三度上がったかのように感じ、その場にへたり込んでしまう兵も多く見られた。意識を失った者が居ないのは大分進歩したと言えるだろう。
「あー、しまった。途中から面倒臭くてずっと殺気も敵意も垂れ流しだったな」
「ま、いい訓練になったからいいけどよ」
担いでいた鎧猪をその場に放って、ヴェンは額に手をやった。ガイは苦笑いしながら、キールも同じように言ってたぞと口にする。
「殺気だだ漏れ?」
「訓練になるって方だ」
キールの奴は真っ白な顔になってたけどな、と笑うガイに、ヴェンはちと大袈裟過ぎやしないか、とぼやいて兵達に視線を向け、半数近くが膝を落としている光景に顔を引き攣らせる。
「こんなザマで大丈夫かよ?」
「少なくとも、普通の兵隊相手なら怯えることも無いだろう。お前のお陰で耐性が付いたからな」
そんなもんかね、とヴェンは溜息を吐き、キールは何処に居るのかとガイに尋ねる。
「今は一旦イサカ村に戻っている筈だ」
イサカ村、と首を傾げるヴェンに、ここから一番近くにある村のことだとガイは言う。そんな名前だったか、と呟くヴェン。ならそのイサカ村に行くとしますかね、と歩き出そうとするヴェンを、しかしガイが呼び止める。
「待て、ヴェンリット」
「何だよ。何か用事か?」
「いや、その格好で行くのは止めておけ」
言われて、ヴェンはそういえば随分あれな格好になっている筈だな、と頭を掻き、固まった血がポロポロと落ちてきて、こりゃまずいと苦笑いした。一週間森の中で延々戦い続けるのだから、まともな人間としての意識はカットしていたのだ。
半ば反射と本能で戦っていた状態だ。これだと精神面に掛かって来る負担も少なく、肉体的に限界が来るまで戦い続けられる。ヴェン曰く、省エネモードとのこと。
「少し行った所に川がある。場所は分かるな」
「ああ。問題ないよ」
「なら行ってこい。着替えや身体を拭うものは後で持っていかせる」
ガイの言葉に、ならお言葉に甘えて、とヴェンは川に向けて去って行く。離れて行くヴェンの姿に、安堵の息を吐く兵が多かったのは仕方のないことだろう。
■ □ ■ □
「よう、キール」
固まった血を全て洗い流すのに二時間近く掛かったが、髭もナイフで剃り、髪も適当に切って元の容姿に戻ったヴェンは、早速イサカ村に居るキールの元を訪ねていた。
「ヴェン……身体の方は大丈夫ですか?」
気遣うような声なのは、獲物を森の入口まで放りに来ていたヴェンの姿を何度も目にしているからだろう。全身隈なく血塗れで、虚ろな目をした様を見れば、その身を案じるのは自然な反応だ。
「不本意かつ不思議なことに、身体は絶好調だ。まあ、気疲れはしてるけどな」
言って、顔を顰めるヴェン。妙な話ではあるのだが、ヴェンはまるで疲れていなかった。むしろ、力が漲っていると言ってもいい。流石にヴェンとて一週間不眠不休に近い勢いで戦闘状態にあれば大分消耗する筈なのだが、どういうわけか奇妙な程に調子が良かった。
そりゃ調子が悪いよりは良いんだろうけど、自分の身体のことが分からないってのは気分が悪いね、とぼやくヴェン。
「天賦の恩恵なのでしょうかねぇ……」
「おそらくは、としか言いようが無いな」
ドワーフ達の説明を聞いても、ヴェン自身の天賦に関してはいまひとつ判然としなかった。魔力を消費して身体を強く作り変えているのではないか、という話だったが、実際にそうなのかは分からない。
狩で一週間森に潜り続けたことはあったが、まともに戦わなかったその時ですら、今よりも少し疲れていた。一週間戦い通しの今が疲れていないのはまた妙な話だ。
「それはともかく、縄張りは張り終わったよ。俺が居る限り、森の魔獣は殆ど襲って来ないと思う」
絶対とは言わないけど、この辺りの魔獣も俺の近くには寄って来なくなったから多分大丈夫な筈、と言うヴェンに、ありがとうございました、とキールは頭を下げた。
「いいさ。今回に関しちゃ大して疲れもしなかったしね」
気疲れはしたけど、と言うヴェンに、キールはいえ、と頭に置いた上で言葉を返す。
「実務面で貴方にばかり苦労を掛けることは常々感謝していますが、それに加えて、今回は軍の規律という意味で効果が非常に大きかったものですから」
「……俺、何かしたっけ?」
ヴェンは首を傾げる。この一週間、ヴェンは魔獣を殺して、殺して、そして殺していただけである。規律云々という行動はしていなかった筈。
「あー、魔獣を殺すと規律が良くなるって話? そりゃいいこと聞いたね」
などとすっとぼけてみせるヴェンだが、キールが当たらずとも遠からずですかね、と微笑むものだから、嘘つけよと口をへの字にする。
「嘘ではありませんよ。今、タテノ村出身の者を除けば、兵達は皆貴方に恐怖しています」
「……ああ、殺気で少しばかり脅かしちまったからか」
「ハッハッハ……はぁ。流石に、あれを少しと言うのは如何なものかと思いますよ」
僕なんて気こそ失いませんでしたが、全身の穴という穴から色々なものが流れ出しましたからね、と乾いた笑みを浮かべるキール。自虐――というか開き直っている様子で、半ばやけっぱちな調子すらある。
色々と漏らしてしまったらしいキールだが、その言葉から察するに、キールは比較的頑張った部類らしい。兵達が腰を抜かしているのを見て、驚かす程度の効果は自覚していたヴェンだったが、まさかそこまでのものだとは思っていなかった。
さらに、殺気に加えて、鎧猪のように処理の難しい獲物は、ヴェンが皮を剥ぐあたりまで処理していたのだ。凄まじい殺気を撒き散らしながら、甲殻や皮を剥ぎ取って森の中へと戻って行く様は猟奇的で、トラウマになった者もいるだろうとキールは言う。
「規律を乱すとヴェンが来る。そう言えば皆、素直に行動してくれるでしょう」
「あれか、俺はナマハゲか何かか?」
「ああ、その例えは実に適切ですね」
そりゃないぜ、と肩を落とすヴェンに、キールはナマハゲよりも恐ろしく感じますが、と笑いながら声を返す。
「ナマハゲは災厄を祓う山の神の使者と言われていますから」
貴方にぴったりでしょう、と言うキールに、ヴェンは虚を突かれた様子で驚いたような表情を浮かべた後、馬鹿言えよと溜息混じりに呟いた。
「山の神様にゃ間違いなく嫌われてる自信があるね、俺は。好き放題やってるからさ」
それはともあれ、とヴェンはキールをその鋭い眼光で射抜く。キールとて殺気の件でヴェンに少なからず恐怖を抱いている筈なのだが、表情に出さないあたり中々の根性だとヴェンは思う。流石に生理現象まで制御出来るわけでもないため、額に汗は浮いていたが、表情は涼やかなものだ。
「総勢二百人の命を明日から危険に晒すわけだが、覚悟は出来てるんだろうな」
対策をしたとはいえ、魔獣に食い殺されるかもしれないし、アルマ領の兵士との戦いで命を落とすこともあるだろう。その責任を背負う覚悟は出来てるんだろうな、とヴェンは問うた。
「……何を今更。貴方達を巻き込んだ瞬間から、覚悟は決めていますよ」
「そりゃ良かった。ま、出来てないって言ってたら、張っ倒して気合を入れてやったけどな」
ヴェンの視線を真っ向から受け止めて視線を返して来るキールに、ヴェンは日和っては無いようだな、と笑う。
「貴方は、平気なんですか?」
曖昧で、字面を見ただけでは何を指しているのか分からない言葉だったが、ヴェンにはキールが何を言いたいのか分かった。だから、酷くあっさりした口調で返す。
「平気だ」
人の命の責任の重さが平気なのか、という意味の込められたキールの言葉。ヴェンにとってその問いは基本的に意味が無い。敵の兵も味方の兵も誰かの子であり、或いは親であり、兄弟であり、愛する者だと認識した上で、ヴェンはその命を躊躇無く奪える人間だ。
それが原因で復讐されようと、恨まれようと、罵倒されようと、構わない。それに真っ向から向き合うのがヴェンなりの責任の取り方だ。それに加え、人より強く、死にづらい肉体を持っているから、誰より危険を背負うという強者の責任。
残された者の思いに真っ向から向き合う命の責任と、強者の責任。明確なラインを設けているヴェンは、揺るがない。
尤も、ヴェンはタテノ村の住人というアキレス腱も抱えており、かの住人が関わってくる部分では躊躇無く責任を投げ捨てることすらしかねなかったりするのだが。その辺りの身勝手さがヴェンの強さであり、弱さでもある。
タテノ村の住人の扱いに関してキールは頭を悩ませているのだが、それはまた、別の話。
――一人も死ななきゃ、それが最善だ。
それが出来るかどうか、それはヴェンの双肩に架かっている。やれるだけ、やるさとヴェンは思う。自分の限界は常人よりも無理がきく。だから――
――死なない範囲で、いくらでも。
無理と無茶を押し通してやるさ、とヴェンは静かに決意を固めるのだった。




