15.岩食み
――多分、視覚じゃないだろうな。
ヴェンは岩食みに視線を投げながらそう考え、そうなると聴覚、嗅覚、触覚、あとは蛇のようにに熱辺りが有力だろうなとあたりをつける。
ドワーフの男衆総出の熱烈な歓迎を受けた後、ヴェンは自分の感覚を頼りに岩食みの姿を探し出していた。鬼熊よりは幾分易しい相手とはいえ、無為無策で口説ける程に甘くもない。
――まずはお互いのこと、よく知らなきゃねっ。
声を出すわけにもいかないため、心の内で軽口を叩き、言いようもなく虚しくなってヴェンは溜息を零す。聞くやつも居ないのに俺は何をやっているんだろう、と。
さて、半日近く岩食みに張り付いていたヴェンだったが、どうにも奇妙な生き物だと思う。口で岩を砕き、喰らいながら進み、砂のようなものを排泄しているのだが、そもそも何からエネルギーを摂取しているというのか。あれだけ硬けりゃ食物繊維たっぷり、ミネラルも豊富ってか。どんな生き物だよ、とヴェンはぼやくように思う。
消化器官がどうなっているのかさっぱり分からない以上、毒物を使って効果があるのかどうかも怪しいところ。
――もっとこう、目とか分かりやすい弱点はないのかね。
目は無いようだったし、口がある側が頭部なのは確かではあったが、脳の位置はさっぱり分からない。一見すると急所がないように思えるのだった。
――さて、少し突っかけてみますか。
これ以上観察を続けていても有用な情報が手に入るかは怪しいし、何より時間をかけ過ぎるのもヴェンの精神衛生上よろしくない。森でなら何日かかっても問題にならないのだが、地下の闇はヴェンの精神を大きく削って来るのだ。
ヴェンは石を拾い上げると、感触を確かめるように二、三回ぽんぽんと宙に放った後、大きく振りかぶると全身のバネを活かして投げつけた。
拳大の石が宙を真一文字に切り裂いて、進む。投げ終えた瞬間から殆ど間を置かずに、着弾。炸裂弾よろしく砕け散りながらも、衝撃を岩食みへと伝えた。
ヴェンは間髪置かずに石を投げ続ける。動きが鈍い岩食みは石の豪雨から逃れる術はなく、方向転換の為に身をよじりながら、人間であれば身体が真っ二つになるであろう衝撃をその身に受け続けた。
――まあ、大して意味も無いだろうけど。
ヴェンは石を拾っては投げを繰り返しながら、思う。無論、全く効果がないわけでも無いだろうが、硬い甲殻によって石は防がれ、衝撃もあの巨体には然程有効だとは言えないだろう。
それでもヴェンが石を投げ続けるのには、当然意味がある。
「おっと」
岩食みが横の壁を掘り進み、方向転換を終える直前。頭の上部に石を当てた瞬間、岩食みの身体が一瞬震えるように止まった。
もう一発、と狙い澄まして同じ位置に着弾させると、やはり嫌がるように身体をくねらせる。これは当たりかな、と笑みを浮かべるヴェン。あの位置に傷付けられたくない重要な何か、例えば脳などがあるのではないかとあたりを付けたのだ。
ヴェンに向き直った岩食みは大口を広げて――と言っても常時広げっぱなしなわけではあるが――突っ込んで来る。ここは岩食みが掘り進んだ空洞だ。当然逃げ道は無い。踵を返して真っ直ぐ走れば振り切れるだろうが、ヴェンは弓を構え、矢を番えた。
「やれやれ情熱的だね。出会って丸一日ってとこなのに、熱い接吻を御所望とは」
軽口を叩きながらも、ヴェンの意識は鋭く刃のように収束していく。迫る岩食みはそこまで速くはないのだが、何より大きい。凄まじい迫力と、逃げ出したくなるような圧迫感。
「でも、ファーストキスの相手が君だってのは御免被る」
情熱的過ぎて血を噴き出しそうだからね、と減らず口と共にヴェンは大きく息を吐き出す。そして同じくらい大きく息を吸い込んで――止めた。
眼前にまで迫った岩食みの大口に、ヴェンは仰向けになるよう身体を捻りながら躊躇うことなく飛び込んだ。
地面と並行になるように跳んだヴェンは弓を横に構えて引き絞り、暗闇の中、歯と歯の間隙を見極めると、先程脳があるのでは、とあたりを付けた場所を口内から狙う。
好機は一度。
それも、ほんの僅かな時間だけ。岩食みとヴェンは逆の方向に進んでいるのだ。加速度は二倍。至近距離で矢は真っ直ぐにしか進まない以上、ピンポイントにその一瞬を穿つ以外では歯に弾かれてしまうだろう。
ヴェンの瞳に映る世界ががスローモーションのように鈍化する。優れた動体視力と極限の集中力が作り出すその世界の中で、ヴェンはあっさりと矢尻から手を離した。
――これは、当たったな。
結果を確認するまでもない。
そう思って、ヴェンは止めていた息を吐き出す。瞬間、スローモーションの世界から弾き出されて、ヴェンは跳んだ勢いのまま岩食みの奥へと突っ込んで行き――
「――痛だだだだだ」
随分奥にまで跳んだというのに、未だにビッシリと敷き詰められた歯に身体を刻まれた。一応、顔や首は傷付かないよう革鎧や籠手に守られた部分で庇いはしたが、岩食みがのたうち回った事もあって、重要な部分以外は我慢する他ない。
強靭な筋肉の鎧によって深い傷はなかったが、皮膚は大分切り裂かれているし、服もボロボロだ。
「あらら、随分とセクシーな格好になっちゃったな」
溜息混じりに言いながら、姿勢も低く飛び出すヴェン。途中、深々と突き刺さった矢が視界に入り、我ながら完璧だったなと自画自賛する。
「はぁ……これもキスマークって言うのかね」
裂けた肌を見つつ、言うヴェン。傷だらけの姿ながらも、やだ、汚されちゃった、などと言っているあたり中々余裕があるように見える。尤も、ヴェンは余裕がない時の方が軽口が増えるのだが。
とりあえず突き刺さったままの剣鉈を抜いてしまおう、と横倒しになった岩食みの頭部に向かって地面を蹴った瞬間、ヴェンは背中を冷たい刃物でなぞられたような危機感に襲われ、咄嗟に腕を立てて頭部を、膝を曲げて腹部を守る。
視界が、ブレた。
身体を貫いた衝撃で痺れ、今ひとつ分からないが、多分腕や足も痛むのだろう。風に吹かれた木葉のように吹き飛ばされたヴェンは、天井に頭を打ち付け、地面に背を叩きつけられてようやく静止した。
――な、何が?
起きたんだ、と混乱しながらも、身体に染み付いた経験というのは裏切らないもので。ヴェンは半ば無意識の内に五体の状態を確認し、衝撃による痺れ以外は無視すれば戦闘に支障はないと結論づけた。
左腕には罅が入り、右腕や右脚にも重度の打撲。頭からは血を流し、背は全体が痛む。何のことはない、とヴェンは思う。この程度ならいくらでも我慢出来ると。少し霞む視界の中、身を起こしたヴェンは自分を吹き飛ばした相手を睨む。そいつは、仕留めた筈の岩食み。
――確実に殺ったと思ったんだけどな。
どうなってるんだか、とヴェンは溜息を吐きたい衝動に駆られるが、大きく息を吸って、吐くを繰り返す。少しでも身体を回復させようと必死だった。
実際、ヴェンは放った矢は岩食みの脳を完全に貫いていた。ただ、岩食みの脳は一つだけではなかったというだけの話で。
台所の黒い悪魔に見られるように、神経の束が脳のような役割を持つことはあるが、この岩食みに関しては本当に脳がもう一つ存在しているのだ。
これは、岩食みの生殖方法に起因するもので、要はこの魔獣はプラナリアよろしく分裂して数を増やすのだ。とはいえ、プラナリア程簡単な構造をしているわけではないため、あらかじめ身体の中で別固体の部位を作っておくのだ。
その別固体要の脳が、完全に分裂するまでは補助脳としての役割も果たすのである。幸いにして生殖の速度は非常に遅く、岩食みは個体数の少ない、希少な魔獣であると言えのだ。
仮にそれをヴェンが知ったとしても有り難がることはないだろうが。
先程の衝撃で弓も矢も折れ、下手をすれば細かい作業用のナイフも折れているかもしれない。ヴェンには何故岩食みが生きていられるのかは分からなかったが、それでも一つ確信出来た。
――こいつは、倒せない。
少なくとも、いまの装備では無理だ。それこそハンマーやメイスのような、相手を砕くような武器があれば話は別だが、それらの武器の前にヴェンの馬鹿力に耐えられる、という前書きが必要なのが厳しい。
――プロジェクト一寸法師もなぁ。
あれは腹の中で暴れれば当然死んでくれるだろう、という確信ありきの作戦だ。ヴェンはこの岩食みがどうすれば死んでくれるのか、さっぱり検討がつかなかった。
とはいえ、この状況でも死ぬ気が少しもしないところを見るに、この魔獣はさして強くも無いのだろうとヴェンは思う。厄介ではあるが、強くはない。傷付いた現状でも逃げるだけなら容易いし、攻撃が直撃したのに問題無く動けるのだから。
――だから油断したってのもあるな。
言い訳にしかならないのが悲しいけど、とヴェンは声に出さずぼやく。本当に危険な相手であれば、死んだと確信した後でもヴェンは二、三本矢を打ち込んでからようやく近付く。それを、父の形見を回収したかったからという理由こそあれ、不用意に近付いたのだから油断が過ぎるというものだ。
「さて、と……デートの続きと行きますか」
最低限動ける状態にまで回復したヴェンは、立ち上がって首を鳴らす。寝違えたみたいに痛ぇやとぼやきつつ、威嚇と虚勢を張る目的で岩食みに殺気をぶつけてやる。
――俺はまだまだやれるぞ。お前はどうだい?
そんな意思が通じたのか通じていないのか。岩食みは頭をヴェンから背け、岩盤を掘り進みながら去って行く。
「……振られちゃったか」
まあ、初対面で全身にキスマークを付けてくるような娘はこっちから願い下げだ、と軽口を叩いたヴェン。あれが雌じゃなくて雄だったら、男に全身キスマークを付けられたのかよ、オエー、と吐くポーズをした後、ヴェンは溜息一つ、電池が切れた玩具のようにその場にストンと腰を落とした。
「はぁ……キッツイなあ、おい」
腰に下げた袋から血止めの効果がある薬草の塗り薬を取り出して、全身に塗りたくって行く。樹液を混ぜてあるから、ベタついて好きじゃないんだけどね、とぼやくヴェンだったが、背に腹は変えられない。
――腹といえば、腹減ったな。
そう考えたヴェンは、あることに思い至って、先程までの余裕は何処へやら、顔を青くする。
「アイツが去って行った方向って――」
――ドワーフ達と話した場所、か?
杞憂かもしれないが、ヴェンには思えてしまった。思い至らなければ知らぬふりも出来るが、一度考えてしまうともう駄目だった。ヴェンは勢い良く立ち上がると、全身の痛みに顔を顰める。
「ハハッ、俺ってば絶好調」
足は大分動いてくれそうだが、腕が若干怪しい。特に左腕は動かせるが、使い物になるかどうかは微妙なところだった。右腕も精密な動きは期待出来ない。
――とにかく、岩食みを追おう。
杞憂なら、それで良し。そうでないなら、どうしたものか。今のヴェンでは、足止めすら出来るか怪しい。それでも、追わないという選択肢は無かった。




