096 レーニス1~とにかくこちらへ~
場所:見知らぬ森
語り:ミラナ・レニーウェイン
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――三百年前、崩壊しつつあったイニシス王国の東にて。――
物資補給のため、とある街の入り口を覗き見ていた私、ミラナ・レニーウェインと、ドーソン・ユーグレーは、聖騎士軍が行う厳しい検問を目の当たりにし、二人で途方に暮れていた。
「どうしよう、薬が必要な人もいるのに。私たち、いったいどうやって物資を手に入れれば……」
「ちょっと、そこのあなた」
肩を落としながら、森に戻ろうとした私たちに、だれかが後ろから声をかけてきた。
「あなたはもしや、ミラナ・レニーウェインさんではありませんか? 私のことを、覚えていらっしゃいますか?」
「レーニス・ライネルス……?」
「そうです! またお会いできてうれしいです」
私が覚えていたその名前を呟くと、彼は満面の笑みを浮かべた。
彼は、いつかカタ学で私たちにつっかかってきた、貴族の息子たちの一人だった。
「え、えぇっと……」
私は思わず、警戒しながら後退りした。なぜなら、レーニスはシャーレン教の司祭が着る、聖職者の祭服を着ていたからだ。
シャーレン教は、聖騎士に祝福を与えている、光の大精霊を崇める教団だ。
そして『大精霊の祝福』は、空気中の気ままな微精霊たちを、大精霊の権限で従わせることができるというものだった。
祝福の力を得た聖騎士は、守護精霊持ちの魔導師よりも、よほど強力な魔法が使えるらしい。
『マレスの子』らの守護精霊は、その力で消滅したのだ。
そうでなければ、シャイニングアローの一撃くらいで、クイシスが消されてしまうはずもないのだった。
そしてシャーレン教団は、いまも聖騎士軍に力を貸し、闇属性をイニシスから排除しようとしているはずだ。
ドーソンが警戒心をむき出しにして、いまにもレーニスに飛びかかりそうな顔をしている。
私も逃げ出すべきかと身構えていると、レーニスは少し困ったような表情を浮かべた。
「警戒する気持ちは理解できます。ですが私は、お二人がお困りのように見えたので声をかけたのです。友人であるオルフェル・セルティンガー君のために、あなた方を手助けさせてはいただけませんか?」
「オルフェルの、ために……?」
「えぇ。処刑されたはずのあなたを見かけたのに、なにもしないのでは、次に彼に会ったとき気まずいのです」
「オッ、オルフェルは、無事なんですか!? 私、彼がオルンデニアと消えたんじゃないかと……」
「大丈夫ですよ。先日手紙を送ったら、きちんと返事がきましたから」
「よかった……!」
「とにかくこちらへ……。ここでは目立ってしまいます」
私が涙を浮かべていると、レーニス司祭は、私たちについてくるよう促した。
その様子は、学生のころあんなに突っかかってきた人だとは、思えないくらいに落ち着いて見える。
「あの……。司祭になられたんですか?」
「えぇ……。普通ならまずは助祭になり、司祭について何年も勉強するところですがね。司教も司祭も、王都とともに大勢消えてしまいましたから……。シャーレン教も、いまは混乱のなかにあります」
「なるほど……」
もっとオルフェルの話が聞きたくて、私は警戒するドーソンを引っ張りつつ、レーニス司祭について歩いた。
ドーソンの警戒を解くためか、レーニス司祭は穏やかな声で話しながら足を進めていた。
「警戒しますよね……。あなた方を追い詰めている聖騎士たちに、シャーレン教は助力しているのですから。闇のモヤの浄化は人々の願いですから、私にもそれを止めることはできません……。ですが、誤解なさらないでいただきたいのです。シャーレン様は闇を全て排除しようなどと、決して考えておられませんでした」
「そうなんですか……?」
「えぇ。あれは聖騎士たちが人々の心を掴むため、都合よくシャーレン様の名前を利用しているだけなのです……。本来、光と闇はともにあるべきものです。シャーレン様は、いまも闇の子らの現状に心を痛めておられるはずです」
「なるほど、そうですよね……」
少し納得してドーソンの顔をみると、ドーソンはまだ難しい顔でレーニス司祭を睨んでいた。
腰に装備した短剣に手をかけ、『いつでも抜けるぞ』という姿勢をしている。彼の警戒心は簡単には解けないようだ。
だけどこのときの私たちは、悪魔にでも頼りたいくらい、本当に困っていたのだった。
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レーニス司祭は森のなかを奥へ奥へと進んで、私たちを小さな神殿に案内した。
木漏れ日の差し込む木々の間にひっそりと建てられたその神殿は、こんな森の奥にあるとは思えないほど神聖な空気が漂っていた。
壁で囲まれているわけでもないのに、枯葉一枚落ちていない。
祭壇の上にはシャーレンの力が宿る魔石が、御神体のように祀られキラキラと金色の光を放っていた。
――シャーレン様の神殿の場所って、ほんの数人しか知らない極秘事項だったんじゃ……。
――そうか、思い出した。この人、貴族の息子じゃなくて、司教様の息子だったわ。
私はいまさらながらに、彼がやたらと偉そうだった理由を思い出した。
不良たちに興味が無さすぎて、名前もギリギリ憶えていた程度だったのだ。もう一人にいたっては顔もいまいち思い出せない。
だけどいまは、レーニス司祭も父である司教様を失い、かなりつらい状況にあるようだ。
「こんな場所に、私たちを連れてきてよかったんですか?」
「えぇ。ほとんどだれも知らない場所ですからね。落ち着くでしょう? ですが、いまはあまり意味をなさない場所です。これも極秘事項ですが、シャーレン様は王都消失とともに、どこへやらお姿を消してしまわれたのです。ここに残されたのは、この御神体に残るわずかな力のみ……」
「そうだったんですか……」
苦々しい気持ちを押し殺すように話すレーニス司祭。彼はいまも彼女が戻ることを信じて、毎日祭壇を手入れしているらしい。
闇のモヤを浄化する聖騎士たちに、祝福を与えるシャーレン様は、イニシスには欠かせない存在だ。
人々のために彼女に祈ることは、レーニス司祭にとって大切な仕事のようだった。
「だけど、どうして私たちをこんなところに?」
「さっきも言いましたが、オルフェル君のためですよ。彼には世話になってましてね。いまでは文通友達なのです」
「オ、オルフェルは、元気なんですか?」
食いつくように質問した私に、レーニス司祭は眉尻を下げ、少し困った顔をした。
「元気……ではないですね。あなたが処刑されたと思っているんですから。……それに……」
「それに……?」
「いえ、なんでもありません」
なぜか言葉を濁すレーニス司祭。私はしょんぼりしているオルフェルを思い浮かべて、胸がキュンと詰まるのを感じた。
「でもいい報告ができるのでうれしいです。あなたの生存を知れば、彼も調子がでてくるはずです」
レーニス司祭が笑顔でそういうと、ずっと黙って聞いていたドーソンが、彼をキッとにらんで言った。
「僕たちの生存を知らせるのはやめてください。居場所が知れれば、僕たちは殺されます。あなた方の崇めるシャーレンが祝福を与えた聖騎士によって」
切羽詰まった顔をしながら、また短剣に手をかけるドーソン。
どうやら彼は、レーニス司祭に口止めをするため、ここまでついてきたようだ。
シャーレン教の司祭を殺すなんて、とんでもないことだけど、いまの彼ならやりかねない。
ドーソンの気迫にすこし後退りしながら、レーニス司祭は両手をあげた。




