094 ラギットタートル2~幻覚と二頭犬~
場所:コルアーニャ川
語り:オルフェル・セルティンガー
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「いてぇっ!」
ラギットタートルに囲まれた俺は、あちこちから手に持った剣で殴られていた。
この剣はたぶん、襲った人間から奪ったものだろうが、泥水に浸かっていたせいか錆がひどい武器だ。
切られたというよりは殴られた感じがする。
そこはまだ救いだけど、攻撃モードのため、俺はほとんど防御ができない。攻撃が効かなければやられ放題だ。
だけど、自分で選んだ依頼だけに、自業自得としか言いようがなかった。
「大人しく捕まれ! キャプチャーアライブ!」
殴られながらも戦っていると、俺が弱らせた魔物を、シンソニーが愛護活動用のビーストケージに封印した。
今回は魔獣愛護活動も兼ねている。
相性の悪い相手だけど、生け捕りにしなくてはいけないのだから、倒せないくらいでちょうどいいのかもしれない。
ちなみにこのケージは、前に色っぽい騎士団長に渡されたものだ。
だれでも魔物を捕獲できる代わりに、解放しても調教魔法が効かず、普通に逃げられてしまう。
「ヤァー! んー、タァッ!」
――バチバチ!――
俺から少し離れた場所で、シェインさんは次々にラギットタートルの甲羅を貫いていた。槍の穂に電撃を纏わせた強烈な突き攻撃『サンダートラスト』だ。
雷の衝撃で、突かれた個体は硬直していく。それをまた、シンソニーがケージに捕獲した。
「シェインさん、かっけー!」
「油断してはいけないよ、オルフェル」
防御できないまま殴られまくる俺とは違い、シェインさんは囲まれているのに、まったく攻撃を受けていない。
槍が長くて相手の攻撃が届かないうえ、攻撃と防御が一体化していて隙がないのだ。
そして、万一攻撃されかけても、ベランカさんの氷結魔法が見事にそれを防いでいた。眠りの効果が付与された『フロストスリープ』だ。
「おにぃさまに手出しは許ちませんわ!」
――あ、それ。俺やりたかったやつ。
――てかときどき舌足らずで可愛いな。でも言ったら怒られそうだ。
凍り付き眠りについたラギットタートルも、シンソニーがどんどん捕獲していく。
ちなみにベランカさんは、俺を守る気はないようだった。
△
「いってーっ!」
「迷夢に囚われ血に狂え! パーシテアルアー!」
また殴られた俺が声をあげると、ミラナが聞いたことのない呪文を唱えた。
――ん? いつもなら、デドゥンザペインが飛んでくるところだけど……。なにその怖い呪文……。
振りかえってミラナのほうを見ると、なんと、ミラナが五人に分裂している。
本物と見分けがつかないほどに、見事な分身だ。みんなミラナにそっくりで、すごく可愛い。
それがなぜか優しい笑顔で、俺に微笑みかけてくる。
「わぉ! なにあれ!? 最高なんだけど!?」
「オルフェ! 気を取られちゃダメだよ! それ幻覚!」
シンソニーの声が聞こえてハッとする俺。
どうやら俺が囲まれているのを見かねて、ミラナは囮の幻覚魔法を発動したようだ。
誘引作用があるらしく、俺を囲んでいたラギットタートルたちが、ミラナの幻覚に引き寄せられていく。
「プギャー!」「プハァー!」
「きゃぁぁぁ!」
錆びた斧を手に幻覚に殴りかかるラギットタートル。ミラナの幻覚は頭から血を流し、目を見開いて、悲痛な叫び声をあげた。
「ぎゃー!? ミラナ!? やめてっ! あの幻覚、リアルすぎる!」
「リアルじゃないと囮にならないよ」
あまりの光景に、青ざめながら叫ぶ俺。しかしすでに、どれが本物のミラナだかわからない。
不思議なことに、ミラナがしゃべると全ての幻覚の口が動いた。
「お願いだから消して!? 俺、殴られても平気だからっ」
「えぇっ? そんなこと言われても、すぐには消えないよ」
「くそっ、亀ヤロー! ミラナから離れろー!」
「ちょっと、オルフェル!?」
――ヴォン・ヴォン・ヴォン!――
トリガーを引きながら走り出した俺。俺の挑発で、幻覚に群がっていたラギッとタートルたちが一斉にこっちを向いた。
いくら幻覚だからと、傷つくミラナを放ってはおけない。
「ミラナに触んじゃねー! ホリゾンタルフレイムリング!」
猛烈な炎を放つトリガーブレードが、ミラナに群がるラギットタートルを薙ぎ払う。
回転した俺の頭に一瞬、義勇兵だったころの記憶が蘇った。
「食いつくせ! フェロウシャスオルトロス!」
俺の周りで円を描いていた炎がそのまま巻きあがり、巨大な炎の二頭犬になる。
二頭犬は鋭い牙をむき出しにしながら、逃げ回るラギットタートルを追いはじめた。
ふたつの顎であちこち噛み付いては、水の防御魔法ごとヤツらの体を食いちぎる。
「プギャーーー!」
「オルトロスつえー! 調子乗ってきたぜー!」
「グルルル!」
にわかに調子に乗った俺は、背後から切りかかってきたラギットタートルの一撃を、トリガーブレードで受け止めた。
――やった! 防御できる!
タイミングよく、俺の攻撃モードが終了したようだ。
防ぎながらミラナの幻覚に目をやると、血まみれでペタンと草の上に座り込んですすり泣いている。
――なんって、ほっとけねー囮だ!
俺はラギットタートルに反撃の一撃をくらわせてから、ミラナの幻覚を抱きあげ、安全な場所に移動させた。
もちあげてみると、どのミラナも重さや匂いまでしっかりミラナだ。
五体全てを安全地帯に移動させていると、俺の腕のなかにいるミラナ以外は、突然フッと消えてしまった。
「もうっ! オルフェルったら、なにしてるの?」
「あっ、これ本物だったの!?」
「囮の意味が全然ないんだけど」
「いや、これは無理だ。見てらんねー」
俺はミラナを草のうえにおろすと、彼女が無傷なのを確認して、その柔らかな髪にグリグリと額を擦り付けた。
安心すると同時に、彼女の香りに包まれ、「はぁ」と大きなため息が漏れる。
それがくすぐったかったのか、ミラナが耳を押さえて身をよじった。
「オルフェル……。幻覚、私に見えたんだ……?」
「ミラナにしか見えねーよ」
△
気がつくと俺の放ったオルトロスは、ラギットタートルたちをすっかり蹴散らしていた。
俺はとっさに、かなり高度な魔法を放ったようだ。
あれは、カタ学の図書室にあった魔導書に載っていた召喚魔法だ。
呼び出せるのは精霊や幻獣、神様に悪魔に小人にと多種多様だけど、当然強いものほど難しい。
派手な魔法には詳しい俺だけど、まさか使えるとは思ってなかった。
三百年前の俺が、いつのまにか練習したらしい。
「オルフェル! 苦手な属性の魔物相手にすごいよ。召喚魔法か! ずいぶん強くなったね」
「いや、そうでもないです」
シェインさんに褒められ、俺は苦笑いを浮かべた。謙遜する俺が珍しかったのか、シェインさんが目を丸くしている。
いつもなら調子に乗るところかもしれないけど、俺はそういう派手なのじゃなくて、シェインさんのような隙のない戦い方がしたかったのだ。
なんとなくそっちのが、オトナっぽい気がしたから。
「シェインさんはやっぱりかっこいいです」
「素敵でしたわ。おにぃさま」
小さいベランカさんがぴたっとくっつくと、シェインさんはしゃがみ込んでベランカさんを抱きしめた。
「ベランカのおかげだよ」
「きゃん♡」
――あ、俺スルー!? まぁいいけどっ。
これはもう、すっかり二人の世界だ。二人にはいま、お互いしか見えていない。
「甲羅は売れるから持って帰ろう」
俺たちはラギットタートルたちの落としものを拾い集め、死体も依頼主に指示されたとおりに集めて燃やし、片付けをしてその場を離れた。




