091 幼女と皇帝?~いまの幸せを~
場所:貸し部屋ラ・シアン
語り:オルフェル・セルティンガー
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ミラナがシェインさんたちをテイムしてから、すでに五日がたとうとしていた。
シェインさんたちは人間の言葉を話せるようになり、いまはしっかり意思疎通もできる。
俺、オルフェル・セルティンガーは、昨日からずっと人間の姿だ。
二人で目玉焼きを食べたあと、ミラナはまた、熱を出して寝込んでしまったのだ。
いま俺は、ミラナの看病をしながら、ミラナの代わりにみんなの食事の世話もしている。
「シェインさん、お肉ですよ~?」
「ありがとう、オルフェル。がぅがぅっ」
「これくらいで足りてますかー?」
「あぁっ。十分だよ」
「水も置いときますね」
「ありがとう! がぅっ」
話せるようにはなったものの、シェインさんはまだ、小さな赤ちゃんライオンの姿だ。
キマイラだったときは鋭かった青い目は、いまはクリンと丸くて可愛らしい。
腹部もポッコリしていて、全体的にコロコロしている。
しかしいつの間にやら、はじめよりだいぶん大きくなって、垂れていた耳がピンとしていた。
身体の大きさの割に、前後の足も太くてしっかりしているし、歯もかなり鋭い。
小さくてもやはり猛獣のようで、子犬姿で近づいたときには少し身の危険を感じた。
ミラナの用意したエサを食べておかないと、俺たち魔獣は凶暴だ。
そして、俺たちを従順なペットにしてしまう彼女のエサは、はっきり言って闇深い。
だけど、ミラナにその闇を背負わせてしまうのは、俺たちが魔物であるがゆえなのだった。
「ベランカさん、魚ですよ~」
いくらか大きくなったシェインさんとは違い、ベランカさんは最初のままだ。
ペンギンの姿はいろいろと不便があるらしく、俺を見ると注文を付けてくる。
「魚の向きが逆ですわよ。尻尾からじゃなく、頭から口に入れてくださらないと」
「了解です!」
しかしまぁ、状況もひととおり説明して、いまはかなり落ち着いている。
こんな状況でも、ほとんど動じないのは、さすが先輩がたという感じだ。
シェインさんたちの覚えている限りの記憶も、昨日ゆっくり聞かせてもらった。
「オルフェルは、私の最後の記憶よりずいぶん逞しくなっているね」
肉を食べ終わると、シェインさんはゴロゴロしながらそう言った。
彼が言うには、子ライオンはわりといつも眠いらしい。
「そうなんです。そのオトラー義勇軍ってあんまり覚えてないんですけど、戦闘激しかったんですかね」
「そうだね。だけど私も、軍を発足したあとのことは、ほとんど思い出せないよ……」
「この国の北東のイニシス王国の跡地に、オトラー帝国って国があるんですよ。シェインさんもしかして、皇帝とかやってたんじゃないですか?」
「いや、まさか。覚えがないよ」
シェインさんが話してくれた過去の記憶は、とても受け入れがたいものだった。
俺たちは、謎の封印で、突然学校を失っただけでなく、巨大な魔物に故郷や親まで奪われていたのだ。
そして、闇属性のミラナは闇属性魔導師を全員処刑するという聖騎士に、連れ去られていたようだった。
ミラナが処刑されたと聞かされたときの、あの深い怒りと悲しみが俺の胸に蘇る。
こんなことまで忘れていたなんて、本当に情けない気分だ。
――信じらんねーくらいひでーよな。だけどミラナが生きててよかった。聖騎士から逃げきるなんてさすがだぜ。
――すげーつらい思いしたんだろうな。やっぱりあのとき、カタ学に帰るんじゃなかった。
だけど、俺がついていたからと、騎士たちに連行されるミラナを、助けられたかどうかはわからない。
もし、助けられていたとしても、村に残っていれば俺もミラナも、クルーエルファントに踏み潰されていたかもしれないのだ。
そう思えば、いまこうして、生きて一緒に暮らせていることは、とても幸せなことのように思えた。
△
エサやりを終えた俺は、窓を開け外壁のウィンドウボックスに植えられている、ラベナの花に水をやった。
魔法薬学の教科書にも載っている有名な花だ。
「ピッ、なんか、オルフェがそうやって水やりしてるの見ると、カタ学にいたころを思い出すな」
シンソニーが話しかけてきて、俺は「はて?」と首を傾げた。
ミラナが倒れてからずっと、シンソニーは鳥人間のままだ。
「俺花なんか育ててたっけ?」
「花っていうよりハーブかな。二年になる前くらいから育ててたよね。なんかスーッとするいい香りの」
「あぁ、そういえば……。ミシュリ先輩にもらったんだった。集中力が高まるって言って」
「ピピッ、ミシュリ先輩、懐かしいね」
「そうだな。すげー色っぽい先輩だった……」
シンソニーに言われて、俺は学生のころ、お世話になった先輩を思い出した。
ミシュリ先輩は、その美貌もさることながら、座学の成績がとにかくよかった。
俺はカタ学の廊下の壁に貼り出されていた成績上位者のリストから、ミシュリ先輩の名前を見つけ、「勉強おしえてくださいっす」と、いきなり突撃したのだった。
そして、ちょっと仲よくなったころ、先輩がハーブ園で育てていた、集中力があがるハーブを分けてもらった。
「オルフェ、寮の部屋で育ててたからね、部屋中香ってたよね」
「そうだ。俺、匂いキツいのは苦手だけど、あの匂いは好きだったな」
「僕も。制服にも匂いがついてさ。シンソニー君いい香りがするって、なんかモテたよね」
「確かに、俺もモテた」
「クク」
「ぷぷぷ」
俺たちがそんなことを言いあって笑っていると、眠っていたミラナが「う……ん」と小さく唸り声をあげた。
「タオル変えたほうがいいね」
「そうだな」
俺は彼女の枕元に膝をつき、額に乗せていたタオルを冷たいものに交換する。
だいぶん熱も下がり、顔色がよくなってきたようだ。
――よかった。早く元気になってくれよな。
ミラナの髪を撫でると、愛しさが胸を締めつけた。
俺を好きだと言いながら、なにかを隠しているミラナ。
ミラナの望むように、なにも思い出さず、なにも知らないまま、犬のように彼女に寄り添っていれば、俺たちはこのまま、ずっと一緒にいられるのかもしれない。
一緒にいられるだけでいい、これ以上はなにも望まない、そう思うことができたなら……。
――はぁ。この気持ちに蓋をするなんて、そんなのは無理な話だぜ。
――それに、なにかきっかけがあるたびに、俺たちは自然に、過去の記憶を思い出す。
――だから、なにを思い出したって、今度こそ俺は、絶対ミラナのそばを離れない。
△
「シンソニー、解放レベル2!」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
「シェイン、解放レベル2!」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
「ベランカ、解放レベル2!」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
しばらくして、むくっと起きあがったミラナは、「ごめん、おまたせー!」と言いながら、三人の解放レベルを、次々にあげた。
やっと鳥人間から普通の人間の姿に戻れたシンソニーは、ずいぶんホッとした様子だ。
そして、はじめて解放レベルをあげられたシェインさんとベランカさんは、二人とも人間の姿だった。
「わ。二人とも、人型ですね!」
「シェインさんオーラ半端ない!」
立派な大人になったシェインさんは、俺の記憶より引き締まり、ずっと逞しくなっていた。
オレンジがかった金色の髪は、まるでライオンのタテガミのように長く伸び、その顔つきは精悍で美しさが増している。
そしてその隣には、なぜかちんちくりんの子供になってしまった、幼顔のベランカさんが立っていた。
銀色の髪は耳の高さで二つに結ばれ、氷の魔力を放ちながらキラキラと輝いている。
だけど、どこかペンギンを思わせるような、真っ黒いドレス姿だ。
「んまぁっ、なんですの? この姿はっ!」
「わ。ペンギンから幼児ですか? ほっぺたプヨプヨしてて可愛いですね! ベランカさん」
「ちっ……駄犬が」
「えっ!? すませんっ」
――ひぇっ、ベランカさんって、こんなだっけ!? 凶暴化!? 魔物化の影響!?
――なんか迫力が増してねーか?
どう見ても六歳か七歳くらいのベランカさんに舌打ちされ、ビクッと飛びあがる俺。
そんな俺の隣で、シェインさんは嬉しそうに顔をほころばせ、小さなベランカさんを抱きあげた。
「わぁ、こんな小さいベランカは久しぶりだなぁ。ペンギンも可愛かったけど、小さいのも可愛い! すごく可愛いよ!」
「まぁ、おにぃさま! うれしいですわ! おにぃさまも逞しくなって、前よりさらにステキですわよ!」
「ベランカ……!」
「おにぃさま♡」
兄妹がいちゃつきはじめてしまい、俺は逃げるように少し距離を取った。
だけど、ベランカさんが小さすぎて、以前のように恋人に間違われたりすることはなさそうだ。
――なんか、幸せそうでよかった。
なにもかも失った兄妹が、二人の世界を楽しんでいる。
俺はそれを、祝福したいと思うのだった。




