087 魅惑の卵~俺、触ってねーよ?~
場所:貸し部屋ラ・シアン
語り:オルフェル・セルティンガー
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「ミラナ!? ミラナ! 大丈夫か? ミラナ!」
ミラナが突然気を失ってしまい、俺、オルフェル・セルティンガーは、必死に彼女の肩を揺らしていた。
「みぃーらなぁぁぁー!」
「オルフェ、そんなゆすっちゃダメだよ。大丈夫。眠っちゃっただけみたいだから、落ち着いて?」
叫ぶ俺の足元から、シンソニーの呆れた声が聞こえてくる。
「あ、そうなの? やっぱりミラナ、疲れてたんだな……って、え!? シンソニー!? なにそれ!?」
「ピッ!?」
小鳥姿のシンソニーを探した俺は、足元に小さな子供サイズの鳥人間を見た。
頭はいつもの緑の小鳥が、そのまま大きくなったような感じだ。
翼もあって、かなり鳥っぽいけど、体と足が人間のそれだった。
いつも人間姿のシンソニーが着ている、魔導士用の戦闘服を着ている。
若葉の刺繍が施された爽やかなデザインの白い服だけど、鳥人間が着ていると別ものに見えた。
「えっ、なに!? なに!? なんなの? その姿……」
「そんな騒がないでよ。ミラナが笛吹かずに寝ちゃったから、中途半端に解放レベルがあがっただけだよ」
「えっ……? てことは、呪文三回で1レベルだから、解放レベル1.3……? えっ!? 俺たち、そんな感じなの? こわっ」
またうっかり怖がってしまい、鳥頭のシンソニーがむくれた顔をする。
「わるい。でも、なんかよく見たら、幼児みたいに腹が出てるし可愛いな」
「もう、オルフェ? 僕、怒るよ?」
「俺は好きだぜ?」
「やめてったら」
緑の翼で顔を隠しながら、シンソニーがそっぽを向いてしまった。
それを見た俺は、昔同級生たちが「可愛い可愛い」としつこく言って、彼を泣かせてしまったことを思い出した。
たとえ鳥になっていても、シンソニーに『可愛い』は禁句のようだ。
「ごめん、シンソニー。機嫌直して? もう言わねーから」
「……うん。いいよ。そんなことより、ミラナをなんとかしよ? こんなとこで寝かせてちゃかわいそうだよ」
「そうだな!」
俺はミラナの布団を敷きなおし、また彼女を抱きあげて運んだ。
きっと、この部屋の寒さのせいで、昨日よく眠れなかったのだろう。
ミラナを布団に寝かせようとすると、彼女の腕が俺の首に絡みついてきた。
「うーん、あったかぁい……」
――え? ミラナさん……!?
布団の上で抱きつかれ、三百年前のミラナを思い出す。
『大好きだよ。オルフェル』
『俺も好き……。すげー好き』
『ねぇ、ここにキスして?』
俺に身を寄せながら、瞳を閉じてキスを待つミラナ。可愛く甘えてくる彼女に、俺が理性を保てるわけもなく。
――あのとき俺、ミラナとどこまで……? あんな狭いテントで、当たり前みたいに一緒に寝てたけど?
熱くなった鼻を押さえながら顔をあげると、鳥人間なシンソニーと目があった。
さらにその奥に、氷の眼差しでこっちを見ているペンギンと、丸まって骨つき肉を舐めている子ライオンがいる。
「おっ、俺、どこも触ってねーよ?」
思わず両手をあげて言いわけするも、ミラナがますますしがみついてくる。
「うわっ……」
よろけて両肘を布団につくと、すっかり覆いかぶさってしまった。
いつも降りている彼女の前髪が横に流れて、キレイな額が顔を出している。
髪の生え際の細い産毛の一本一本まで、どうしようもなく艶めいてみえた。
――あ……。俺、ミラナが寂しがるときは、いつもここにキスしてた。
触れたい衝動を封じ込めるように、俺はゴクンと唾を飲み込んだ。ただでさえ体温の高い俺の体がカッカと熱くなっていく。
「そのままあっためてあげたら? 両思いなんだよね?」
「シンソニー君やめて!? こんな状況で俺無理っ」
「だってミラナ、幸せそうだよ」
「あんまり勝手なことしたらあとで封印されるぜ」
俺は首に回されたミラナの腕をそっとはずし、彼女にありったけの毛布を被せた。
両思いだとわかって以来、俺の生殺し感は半端じゃない。
――ふぅ、参るぜ。なんだよ俺より前から好きだったって。そんなの、調子に乗るなっていうほうが無理だろ。
――あぁっ。抱きしめたい!
先日あの湖の畔で、俺は彼女の頬にキスをした。
多少調子に乗っていたとはいえ、あのとき俺は震えていた。いまの俺にとって、あれは正真正銘、生まれてはじめてのキスだったのだ。
あまりの緊張で、あんまり記憶がないくらいだ。
だけど彼女の反応は、驚くほどに薄かった。彼女は怪訝そうな顔で、首を傾げただけだった。
――もしかして、ミラナ。俺とのキスなんてもう、なんとも思ってねーとか?
――何回もしたって言ってたし……。そりゃ、許可が降りたら俺、とまらねーよな。
――うはん。ミラナが俺より♡大人♡になってる! 過去の俺のせいで!
彼女はどうやら、俺の知らない俺を知っている。
なにもしないうちから手の内を知られているようで、なんだかひどく気恥ずかしかった。
△
「……とりあえず腹減ったな。自分で卵焼くか……。シンソニーもその体じゃ無理だよな?」
「ピィ……。手が翼だから難しいね。だけどオルフェ、料理できるの?」
「わかんね。あんまりやったことねーし。教えてくんね?」
「ピピ……。ごめん、なんか慣れない体のせいか疲れちゃった。僕も二度寝していい?」
「え? 大丈夫?」
「うん……。でもオルフェの頭に乗れないから、寒いよ……。ピッ」
シンソニーはそんなことを言いながら、部屋の隅に三角座りをして翼で膝を抱えてしまった。
あらためて考えると、飛ぶこともできず、手も使えない微妙すぎる姿だ。さすがのシンソニーも、少し気が滅入ってしまったらしい。
手助けしてもらうのは諦めて、俺はひとりでキッチンに立った。
「料理と言えばフライパンだよな? 油をしいて卵を投入っと」
いつも俺のために卵を焼いてくれる、ミラナの姿を思い出しつつ、俺は卵を焼きはじめた。
――エプロン姿が可愛いんだよな。やっぱり、ヒラヒラしてっから。
魔道具のコンロはよくわからないボタンがいくつもついている。
下手に触ると爆発するかもしれない。
俺はコンロは触らず、炎の魔力で直接フライパンを温めた。この方が火加減も微調整できる。
「とりあえず五個だ。おっ! すっげー、焼けてきたぜ! できるじゃねーか、俺! これを、皿に……」
ミラナはどうやって、焼けた卵を皿に移していたのか。
いつも料理中のミラナを眺めていた俺だけど、よく考えたらあんまり手元は見てなかった。
鼻歌を歌うミラナの横顔が可愛かったことと、エプロンのヒラヒラが可愛いかったことしか思い出せない。
「舞いあがれ! フライングフライドエッグ!」
とりあえずフライパンを縦に振って、五つの目玉焼きを頭上に放り投げる。
それを皿で、次々にキャッチすると、目玉焼きが綺麗に皿のうえに重なった。
もちろん、『フライングフライドエッグ』は魔法ではない。叫んでみただけだ。
「お、大成功! いやっほーい、調子乗ってきたぜー! そーだ、ミラナの分も焼くぜ! ミラナも卵好きだからな!」
うまく行ったことに気をよくした俺は、次から次へと卵を割って、じゃんじゃん焼いては積みあげた。
「うまそーな目玉焼きタワーだ! 夢のようだぜ!」
作った大量の目玉焼きを満足しながら眺めていると、いつの間にか目の前にミラナが立っていた。
「オルフェル……?」
「ひゃいっ」
ミラナの冷ややかな声に、ビクッと肩をすくめた俺。
「やだっ。卵何個焼いたの!?」
「……二十個?」
「バカッ! 食べきれないのに!」
「た、食べるぜ! 余裕だぜ。てか、ミラナ、もう元気になったの?」
「うん」
「じゃぁ、ミラナも食べて。好きだろ? 卵」
「え……。うん……ありがとう」
俺たちは並んで、二人でもしゃもしゃと目玉焼きを食べた。
「焦がさないでちゃんと焼けてるね」
「だろ! 火加減は得意だからな! でもやっぱり、ミラナが作ってくれた方がうまいな。ミラナの手料理は幸せの味がするから。俺のはなんか、味がしねー」
「……うん。だって、これ味付けしてないでしょ? これをふりかけるとおいしいよ」
ミラナはそう言うと、目玉焼きになにやらミラナ特製のスパイスを振りかけた。
かなり闇の魔力を感じるスパイスだ。
「……うん。やっぱこの味だな」
「でしょ?」
ミラナはにこっと笑うと、積まれた目玉焼きタワーにも闇のスパイスを振りかけた。
「でも目玉焼きばっかりはさすがに飽きるな」
「残しちゃダメだよ?」
「あぁ、もちろんっ。ちゃんと全部食べるぜ! ミラナ……。いつも料理、ありがとうなっ」
「うふふ。どういたしまして」
――うん、調子乗って焼きすぎたな!
俺はそれから二日をかけて、自分で焼いた目玉焼きをひたすら食べることになったのだった。




