086 犬化?~目玉焼き3個な~
場所:貸し部屋ラ・シアン
語り:ミラナ・レニーウェイン
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寒さに震えていた私の足元に、子犬なオルフェルが寄ってきた。
彼の頭のうえではシンソニーがピーピーと寝息を立てている。
温かいらしく、ずいぶん気持ちがよさそうだ。なんだか少し羨ましい。
「ミラナ、おはよ。なんかちょっと顔色悪いぜ? 寒いの?」
「えっ!? 全然へいき。朝ごはん食べよっか」
「きゃう! じゃぁー人間に戻してくれっ! ドッグフードはもう飽きたぜ」
「うん、いいよ。何が食べたいの?」
「きゃん! 目玉焼き三個な! あとパンとソーセージとトマトジュースな! それから、ベーコンとオムレツとゆで卵も三個な! きゃうんきゃうん!」
オルフェルが私を見あげながら、短い後ろ足でぴょこぴょこ跳ねている。
小さな舌が口からはみ出して、「はっはっ」と、少し興奮気味な、細かい息遣いだ。
――かっ、可愛い。たまらなく可愛い! 抱きあげたい! 撫でまわしたい! もふもふしたい!
――だって、ふかふかだもん! ポカポカだもん!
子犬なオルフェルに、キュンキュンが止まらない私。
前ならすぐ抱き上げてたところだけど、気持ちが知られてしまった以上、子犬だからとあまり言いわけもできない。
「ダメ。ちょっと卵食べすぎだよ」
「きゃう!? じゃぁ、ゆで卵は二個にしとく! その代わり目玉焼きは四個な!」
「ダーメッ。変わってないよ」
「そんなこと言わずに、お願いっ、ミラナさんー? 今日からまたギルドの依頼やんだろ? 卵食べたら俺、すっげー調子出るぜ! きゃんきゃん、きゃうあう! きゃうん! きゃうん!」
――やだ。途中からなに言ってるか全然わかんない。朝からほんとに可愛すぎ。
――うふふ……。オルフェル、相変らず卵好きだね。私も卵好きだよ。一緒だね!
――あー、なでなでしたい! がまん、がまん。
とりあえず会話にならないので、オルフェルを人間に戻すことにした。
「やったー! 見上げすぎて首が疲れたぜ!」
「あっ、ちょっと!?」
人間にしたとたん、オルフェルの顔がすごい勢いで近づいてきた。彼の鼻の頭が、私のこめかみに触れる。
そのまま彼の額が、ぐりっと私の頭に押しつけられ、身体をきゅっと引き寄せられた。
そこで、われに返ったのか、ピタッとオルフェルの動きが止まる。
「オルフェル……。いきなりなにしてるの?」
「わかんね……。喜んだらちょっと衝動に負けた……。やっぱ、ダメ?」
「ダメッ」
「顔赤いけど、大丈夫?」
「もうっ。頭くっつけないで」
「へーい」
しょぼんとしながら離れた彼の頭のうえで、シンソニーがかたまって気配を消そうとしている。
どうしてあの夜、ほっぺをなめられたのかと思っていたけど、どうもオルフェルは人間のときも少し犬化しているようだ。
犬でいる時間が長すぎるからだろうか。私に鼻や頭を擦り付けてくるのも、あんまり自覚がないらしい。
――しばらくオルフェルは、できるだけ人間にしとこう。可愛いけど、これ以上犬化すると困るわ。
そう思いながら、私はエプロンをつけキッチンに立った。オルフェルが期待に満ちた顔で私を見ている。
彼は私をお料理上手だと思っているようだけど、私は勉強以外はだいたい苦手で、本当のところ料理も例外ではなかった。
ただ、私の大好きな卵料理を、オルフェルも好きなのが嬉しすぎて、卵料理だけはお母さんに教えてもらい散々練習していたのだった。
――オムレツは結構、きれいに作れるようになるまで時間がかかったよ。クイシスにからかわれながら、頑張ったんだよね。
――オルフェルに食べてもらえる日が来てよかった♪
――それにしても、オルフェルの視線が熱い……。
あれは私への愛なのか、それとも卵への愛なのか。じーっとこっちを見ているオルフェル。
そんなに見詰められると、手元がくるって作れるものも作れなくなってしまいそうだ。
なんだか自分の顔が赤くなってしまっている気がする。
なにか、やることを与えて、彼の気を紛らわせたほうがよさそうだ。
「オルフェル……。手伝ってくれる?」
「おぅ! なんでも手伝うぜ!」
そう言って彼が私に近づいてきたとき、ふらっと私の足元がよろけた。
オルフェルが私の腰を持ち、しっかりと受け止めてくれる。
「おっと……? ミラナ、熱あるんじゃねーか? やっぱりちょっと顔赤いぜ」
オルフェルはそのまま私を抱きあげて移動し、ダイニングの椅子に座らせた。
「もっかい寝る?」
大きな赤い瞳が心配そうに私の顔を覗き込む。なんて私好みの整った顔なんだろう。
このままお休みにして一日中眺めていたいくらいだ。そう言われてみれば、やっぱり体調も悪い気がする。
だけど、本当にのんびりはしていられない。
解放したばかりのシェインさんたちを、あまり連れ回すわけにもいかず、ここ数日はギルドの仕事を控えていたのだ。
だけど、早くお金をためて、次のビーストケージの費用を貯めてしまいたい。
「ううん。今日はお仕事がんばらなきゃ。ここのところ、ずっとゆったりしてたから……」
「ゆったりしてたのは俺らだけだろ。ミラナはなんか、ずっと忙しそうだったぜ」
――確かに。よく考えたら、ずっとバタバタしてたかも。
ぼんやりする頭で、自分の行動を思い返す。
ここ数日の私は、シェインさんやベランカさんの飼育方法を調べるため、ナダン師匠に渡された魔物使いのための魔導書を読み込んでいた。
それから、普段なかなか作れない撒き餌を作り、ついでだからと普段は買って済ませている魔力回復ポーションまで作った。
さらには、サビノ村の人に分けてもらった毒消し草で解毒薬を作り、手間のかかる回復薬作りにも手を出して、少しでも効力を高めようと夜遅くまで試行錯誤を繰り返した。
その間も待ち時間があると、買ってあった最近の魔導書を読み、新しい魔法も頭に詰め込んだ。
オルフェルがずっと臭そうにしているのもおかまいなしで、ちょっとはりきりすぎたかもしれない。
――だって、薬は作ったほうが安くて効果が高いし、新しい魔導書も、わかりやすくて面白かったから。
最近の魔導書を読むと、やっぱり自分は、三百年の時間を超えたのだと実感する。
掲載されている魔法が昔とは全然違うのだ。
上位の魔法が開発されているものもあるけれど、基本的には昔より術者の安全に配慮した魔法が増えたようだった。
過激なもの、副反応が強いもの、倫理に反するものなどはだいたいが禁呪とされ、その使用法は一般の魔導師たちから忘れ去られている。
あの、王妃を魔物化させたデモンクーズも、しっかりと禁呪に指定されていた。
私がよく使っているデドゥンザペインですら、危険な魔法に指定されていて、戦闘系の魔導書には使い方が載っていない。
時代が変われば、やはり魔法の倫理観も変わるようだ。
そんなことを考えていると、オルフェルがそっと私の頬に手を振れてきた。
なんだか前より距離が近い。気持ちがバレてしまったせいで、彼の遠慮が減ってしまった。
だけど温かくて、つい上から握ってしまいたくなる。
「いいからちょっと休めよ。そうだ、シンソニーを人間に戻してくれ。卵はシンソニーに焼いてもらうぜ!」
「ピピ! いいよー。僕がやるから、ミラナは休んでて」
「そう……? ありがとう。じゃぁ、ふらふらするから、やっぱりちょっとだけ休もうかな……。シンソニー……解放レベル……2」
――あ……目が回る……。
「おっ、おい! ミラナ?」
オルフェルの慌てる声を聴きながら、私は意識を手放した。




