085 ミラナの朝~お肉をどうぞ~
場所:貸し部屋ラ・シアン
語り:ミラナ・レニーウェイン
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身を切るような寒さに身震いしながら、私、ミラナ・レニーウェインは、目を覚ました。
――もっと、分厚い掛け布団が欲しいかも……。
薄い肌掛け布団を体に巻き付け、「はぁっ」とため息をつくと、真っ白な息が出る。
ここは貸し部屋ラ・シアン。魔物使いが少ないベルガノンではまだまだ珍しい、魔獣可の賃貸物件だ。
部屋の奥では、ペンギン姿のベランカさんが、今日も冷気を放っていた。
今日は一段と寒く感じる。一応、昨日も、何度かやめるようにお願いしたし、沈静化魔法をかけてしまおうかとも考えた。
だけど彼女は、自分の体質に適した環境を作る必要があるのだろう。
そう思うと、無理にやめさせることもできない。
――さささ、寒い! みんな大きくなったら、この部屋じゃ手狭だしお部屋数の多いところに引っ越しする?
――うーん、でも、やっぱりビーストケージ買うのが先決だよね。早くお金貯めなきゃ!
昨日まで隣で寝ていたキジーが、また遺跡探しに出かけたこともあり、一人ではなかなか布団も温まらない。
寒さが昨日より、一段とひどくなっている。
――だけど、こんな程度の寒さ、あのときに比べれば全然マシだよね。
――とりあえず起きて、白湯を作ろう。
寒さに凍えながらも、なんとか布団から這いだした私は、肩掛けを羽織り、キッチンでお湯を沸かした。
この部屋のキッチンは、入居前に改装したばかりだったらしく、新しくてとても綺麗だ。
コンロも魔石に炎の魔力を注ぐことで加熱できる、最新式の魔導コンロだった。
オルフェルをテイムしてからは、魔力補充にかかる料金も無料だ。
――なんて便利なの♪ 逃亡中はいつも火起こしからだったから、たいへんだったんだよね。
――魔石に炎の魔力入れてもらうのも結構高かったから、オルフェルがいてほんと助かる♪
そんなことを思いながら、お気に入りの白い陶器のカップにお湯を注ぐ。
お湯が冷めるのを待つ間に、カーテンを開け、洗面所で顔を洗って、それから小さなジョーロに水を入れた。
窓を開くと、黄色い外壁に取り付けられたウィンドウボックスに赤い花が植えられている。
引っ越してくる前から植えられていた花で、名前はラベナだ。
小さな花が丸く集まって咲く様子から、『団結』の花言葉をもつその花は、魔力を込めて調合すると、回復薬の材料にもなる。
観賞用にも実用にもなるということで、最近はどこの家の窓辺にも植えられているようだ。
「元気に育ってね」
声をかけながら水やりをして、キッチンに戻り、さっきの白湯を手に取った。
――まだ熱いかな?
ダイニングの椅子に座り、温かいカップにフーフーと息をかける。
ふと部屋の隅に目をやると、オルフェルが子犬姿で、クッションのうえに丸くなっていた。
彼は寒さにも暑さにも強いらしく、いつもどおり健やかそうな寝顔だ。
――はぁ……。どうして大好きなんて言っちゃったのかな。
――悲しそうな瞳で見詰めてくるから、たまらなくなって本音がでちゃった。
――昔はもっと、真顔を保つのがうまかったのに……。
先日オルフェルに迫られ、いろいろと白状してしまったことを思い出し、一人で悶える私。
昔のように真顔が保てないのは、オルフェルと恋人だった数ヶ月の間に、その幸せを知ってしまったからだ。
そんなことを思いながら、あのツヅミナの舞う湖の畔で、彼に舐められた頬を押さえた。
――キスされるのかと思ったら、ほっぺをペロって舐められちゃった。
――なんだったのかな? あんなのはじめてでびっくりしたよ。
――あ、あつつ。まだ熱かった……。
オルフェルのよくわからない行動に首を傾げる私。
恋人だったころのオルフェルは、私が涙を流すと、いつも瞼にキスを落としてくれた。
私が寂しがるときは頬やこめかみに。愛を囁いたあとは耳や唇に。
まるで宝物を扱うように、大切に、そっと優しく……。
あの甘い時間を思い出すと、顔がカッカと熱くなる。
とても真顔でなんていられない。
――あのころのオルフェルなら、泣き止むまでずっと抱きしめていてくれたんだろうな。キスもいっぱい、してくれたはず。
――だけどもう、キスしてほしいなんて、とても言えないね。
三百年前と言っても、封印されていた間の記憶はない。オルフェルと恋人だったのは、私にとってはまだ、わりと最近のことだ。
――私ったら、未練がましいよ。オルフェルの記憶が戻ったら、また振られるってわかってるじゃない。
――きっと、そんなに先の話じゃないわ……。
白湯を飲み終わった私は、うーんと伸びをしてから、自分の布団を畳んだ。
できればベッドが欲しいけど、やっぱり贅沢は言えない。逃亡中に比べれば、布団があるだけでも幸せだ。
――だけど、これは買っちゃったんだよね。
先日メージョーさんの店で思い切って買ってきた、魔導冷蔵庫の扉を開ける。
ここには、魔物たちのエサが保管してあった。少し値が張ったけれど、どうしても必要な出費だ。
これも定期的に氷の魔力を込める必要があるけど、ベランカさんがいれば問題ないだろう。
シェインさんに食べさせるお肉を取り出し、大きなトレイに乗せて運ぶ。
実はビーストケージの解放レベルは、割と目安みたいなものだ。
私の魔力の込めかたしだいで、ある程度解放具合を変化させられる。
私は彼の様子を見ながら、少しずつシェインさんを大きくしていった。
あまりに小さいと、ベランカさんがお股に挟んでしまうからだ。これはやっぱり、お部屋の風紀上よくない気がする。
そんなわけでいまは、シェインさんははじめより、だいぶん大きくなっていた。子犬のオルフェルと同じくらいだろうか。
遺跡で間近に見たときは、正直かなり怖かったけれど、いまはコロコロしていて可愛らしい。
だけど、ここまで大きいと、ミルクじゃなくてお肉が必要なのだった。
「シェインさん、お肉をどうぞ」
シェインさんの前にお肉を差し出すと、彼は「がうっ」と迫力のある唸り声をあげて、勢いよくお肉に飛びついてきた。
まだあまり食べ慣れないのか、少し弄んではいるものの、なかなかの食べっぷりだ。
――いっぱい買ってきたけど、足りないかなぁ……。すっごい食べますね、シェインさん。一キロ……二キロ……!?
シェインさんは、オルフェルがいちばん懐いていた先輩だ。
いい加減なオルフェルをカタ学に導いた彼は、生徒会長としても私とは比べものにならないほど優秀だった。
温厚で柔らかな雰囲気をまとい、みなをまとめる調整力や、責任感を持っている。視野が広くてとても思慮深い人だ。
外見だけでなく所作も美しく、生徒会長の先輩として、かなり尊敬できる人だった。
次は解凍しておいた魚を、ベランカさんに食べさせる。
彼女は王都の南で買ってきた魚を、スルッと頭から丸呑みだ。
――八匹、九匹……。え? うそ、まだ食べるの? 十二匹、十三匹……。あわわ、あんなに華奢なベランカさんが、お魚を十四匹も食べるなんて!
魚は市場で安く大量に買ってきたとはいえ、彼女の食欲も予想以上だ。
ベランカさんは、シェインさんにくっついているだけの人だと思われがちだけれど、実際はそうじゃない。
シェインさんにいくつかある弱点を補い、彼を指導者たらしめていたのがベランカさんだ。
少し優柔不断なところのあるシェインさんに、カタ学生徒会長としての行動力や決断力を与えていたのは彼女だろう。
実際に二人はいつも、先頭に立ってみなを引っ張り、新しいことにも次々に挑戦していた。
仲間としては、心強い二人だ。
――次の解放レベルにあげるまで、お魚足りるかな?
ビーストケージを二つ買って、少し寒くなってしまった懐具合に、私は思わず白いため息をついた。
あと三人、私は同郷の仲間を探し出したい。
だけど、必要なのはビーストケージの費用だけではないのだ。
――人数が増えれば増えるほど、生活費もバカにならないんだよね。
そんなことを考えていた私の足元に、子犬なオルフェルが寄ってきた。




