080 春うらら~たとえどんなに広くても~
改稿しました(2024/10/10)
場所:リヴィーバリー
語り:オルフェル・セルティンガー
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「さっそく魚を買いにいこう!」
ミラナは地図をクルクル回しながら、普段はあまり行くことのない、王都の南を目指して歩きはじめた。
ここベルガノンの王都リヴィーバリーは、南側が海に面している。三百年前は『水の国』とよばれていただけあって、水産資源の豊富な街だ。
南へ行けば、とれたての新鮮な魚が手に入る魚屋が、軒を連ねているらしい。
街道は運河から漂う潮の香りと、窓辺を飾る花の香りで満ちている。
俺は少しワクワクしながら、シェインさんたちの乗った荷車を引いて歩いた。
ポカポカと温かな日差しのせいか、ミラナの表情もいつもより穏やかだ。
室内では薄茶に見える彼女の髪が、優しいピンク色に輝いている。
ときどき俺の袖を引っ張っては、困り顔で見あげてくる彼女が可愛い。
仲よさげな二匹の魔物が目にとまると、近所の人が立ち止まり、俺たちに話しかけてきた。
「お! オル公、新しい仲間か? こいつぁ珍しいな。ペンギンの股に猫が挟まってら」
彼はこの辺を歩いていると、よく出会う太鼓腹のおじさんだ。
口は悪いけど、いつも俺に話しかけてきては、揚げ菓子の入った袋をくれる。お嫁さんがたくさん作ってくれるそうだ。
「そんな変なの、二匹もよく捕まえたもんだな」
「そうなんですよ。ミラナは本当にすごい魔物使いだって、みんな褒めてくれたんですよ!」
「え? いえ、私がすごいわけじゃないんです。騎士団長や防衛隊長が、捕まえるのを手伝ってくれたからですよ」
俺がミラナを褒めると、ミラナは慌てた顔で、いつものようにいじらしく謙遜した。
俺は本当にすごいと思うけど、彼女はまだまだ、調教魔法の訓練中らしい。
「おぉー! あの色っぽい騎士団長に手伝ってもらったのか」
「あの人の色気おかしいですよね」
「まったくだ。うちの嫁さんもあん人を見かけるともうメロメロでなぁ~。まいっちまうぜ」
「ほんとですよ」
「なんだ、オル公。おまえもメス犬とられて困ってんのか?」
――メス犬!?
このおじさんは俺を、人間に化ける犬だと思い込んでいるのだ。
思わずミラナの方を見ると、ミラナは少し驚いた顔をして、俺からスッと目を逸らした。
「いや……。取られてはないですけど……」
「がはは! そりゃよかったな!」
おじさんは俺の肩をバシバシ叩きながら、大口を開けて豪快に笑う。
「ほれ、もってけ」
「「ありがとうございます」」
「やったー!」
少し反応に困るけど、いつも俺たちに揚げ菓子をくれる、このおじさんはいい人だ。
ミラナとシンソニーもこれが好きで、俺たちは三人で揚げ菓子を頬張った。
おじさんが腕を組んでニカッと笑う。
「しかし本当に、すげー人たちに手伝ってもらったもんだな。騎士団長はもちろんだが、カミル防衛隊長だって、この国を救った英雄だぜ。幸運の雨を降らせる戦場の女神ってな!」
「幸運の雨ですか?」
「あぁ。不運を祓う清めの雨だ! 浴びたやつには幸運が訪れるって言われてるぜ!」
「へー? カミルさんの雨なら俺、浴びたことあります」
「ほっほー。オル公、おめー、ずいぶんとラッキーな犬野郎だな!」
「まぁ……、俺くらいになるとそうですよね!……不思議とラッキーに恵まれるっていうか……。やっぱり、日頃の行いがいいですからね!」
俺はそんな冗談を言いながら、ひくっと口元を歪ませた。ぼんやり落ち込んでいる間に、手伝いに来てくれた人たちが帰ってしまったことを思いだしたのだ。
――あれ、そんなありがたい雨だったのかっ。頭を冷やすのに使ってもらったりして、ほんとすいません。
――もしまた会えたら、もっとしっかり礼を言わねーとな……。
「じゃ! オレ、いまから嫁さんとデートなんでまたな!」
「いいですね!」
手を振って去っていくおじさんに、俺たちも手を振って別れた。
リヴィーバリーの人たちは、皆陽気でほがらかだ。俺が笑わせようとしなくても、みんなはじめからニコニコしている。
この街を歩くと、俺たちも自然に笑顔がこぼれた。
イニシスよりずっと温暖な気候や、きれいな水、美味しい食べものの影響があるのかもしれない。
それにこの街は、あのカミルさんが率いる防衛隊が、しっかり守ってくれている。それによる安心感も、この街の穏やかな雰囲気を作り出している要因だろう。
△
――ふぅ。遠かったぜ。南の端に移動できる転送ゲートもあるけど、料金が高いんだよな。
この王都リヴィーバリーは、本当にすごく広い街だ。水路や転送ゲートを使わずに移動すると、どこに行くのも結構な時間がかかる。
昼前になって、ようやく南の端に着いた俺たちは、眼前に広がる海を見た。
青い春空、きらめく水面、どこまでもつづく水平線。寄せては返す波は砂浜で白く美しい曲線を描いている。
「すっげー! でっけー! 俺、海は初めて見たぜ!」
「僕たち内陸育ちだもんね。噂には聞いてたけど、こんなに青くて綺麗だなんて!」
「ほんと! 眩しいくらいだね」
興奮して叫ぶ俺のとなりで、ミラナが目を細めている。
ふとシンソニーに目をやると、彼は瞳に涙を浮かべていた。
「シンソニー?」
「はは。なんだか涙が出るな。世界って、こんなに広いのかって思うと」
「たしかにな……」
この世界のどこかにいる、魔物化した仲間たち。
これから彼らを探すことを思うと、俺はこの広い海に浮かぶ小舟にでもなった気分だった。
エニーを想うシンソニーは、もっと不安になったはずだ。
三百年の時を超え、もはや祖国にも帰れない。俺たちはどれほどに、遠い所へ来たのだろうか。
潮風に吹かれながら吸い込んだ空気は、どこか異国の香りがした。
「……だけど、俺たちはまた出会えただろ。こんなに時間が経ってても、姿かたちが変わっても。だから、いくら世界が広くたって、ほかの三人にも絶対会えるぜ!」
「うん! そうだよね!」
「そうだよ、みんな見つけるまでがんばろう!」
決意を込めた俺の言葉に、ミラナとシンソニーも頷いた。その声はさっきまでよりずっと明るい。
大切な二人の笑顔を見ると、俺の胸にも期待と希望が広がっていく。
なによりもこの二人と、気持ちをひとつにできることがうれしい。
「なぁ、海入っていい?」
「え? こんな季節に入る人いないよ」
「犬ならいい? 犬にして!」
「僕も! ワシで!」
「えぇっ? シンソニーまで? 人間から動物にしてって言われたのははじめてだよ……」
「早く! 早く!」
「わかったよ」
俺がワクワクしながらミラナを急かすと、彼女は戸惑った顔をしながらも魔笛を構えた。
「オルフェル、レベルダウン!」
――ピロリローン♪――
「シンソニー、解放レベル3!」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
俺は赤い犬になって、海岸を走り回った。白い波に揉まれながら、砂のうえを走る気分は上々だ。
「うぉーーーーん! 調子乗ってきたぜーーー!」
「ピキーーーー! 最高ーー!」
シンソニーも大きなワシになって、大空に舞いあがった。それからビューンと降りてきて、水面ギリギリを滑るように飛ぶ。
翼を広げると三メートルはあるシンソニーを指さして、海岸にいた人たちが大騒ぎしはじめた。
だけどいまは、シンソニーも結構調子に乗っているようだ。やめようという気はないらしい。
「プァーーーー!」
ペンギン姿のベランカさんが、突然その白い胸を反らし、空に向かって大きく鳴いた。
みなが驚いて振り返るなか、砂浜をよちよちと、それでいて堂々と歩いていく。
そのどうにも愛らしい姿に、子供たちが集まって「がんばれー!」と声援を送った。
だけど、海に滑り込んだ彼女の泳ぎはすごい速さで、今度はパチパチと拍手が起きる。
ミラナは赤ちゃんライオンのシェインさんと並んで砂浜に座り、そんな俺たちをにこやかに眺めていた。
そして俺は飽きるまで水際を走りまわり、皆と一緒に海を満喫したのだった。




