076 できない約束~ツヅミナの舞う夜に~
改稿しました(2024/10/10)
場所:スビレー湖
語り:オルフェル・セルティンガー
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キジーに蹴られながらテントを出ると、そこにはやはり見覚えのある景色が広がっていた。
スビレー湖の前に、ミラナがぼんやりと立っている。
「ツヅミナの綿毛が飛んでるな」
「きれいだね……」
俺が近づいて話しかけると、ミラナがこっちを振り返った。星あかりに照らされた儚げな表情がきれいだ。
辺り一面に白く光る綿毛が飛んでいる。ツヅミナは魔力を持った珍しい花だ。
春になると黄色い花を咲かせ、花が終わると種のついたふわふわの綿毛になる。
それを遠くへ飛ばすため、ツヅミナが魔力を放出すると、微精霊たちがよってきて、キラキラと光るのだ。
すっかり暗くなった湖が星とツヅミナに照らされ、その景色はとても幻想的だった。
さっき見た記憶のせいで、まだ少しドキドキしている俺。
だけど俺たちは、もうとっくに別れているらしい。
そんな記憶を思い出しても、余計に悲しくなるだけだった。
「ミラナも、俺よりグレインがよかった?」
つい口を突いて出た言葉に、俺自身も少し驚いてしまう。ミラナは一瞬表情を硬直させ、その後小さなため息をついた。
「また、そんなこと言ってる。三百年前にも同じこと言われたよ」
「え、ごめん……」
「私たち、また同じこと、繰り返すのかな……」
「俺には、なんのことかわかんねーよ」
不機嫌な声を出した俺にミラナが歩み寄ってきた。少し悲しげな表情で俺を見あげている。
「私……ちゃんと言ったよ。最初から、好きなのはオルフェルだけだって。三百年前にもここで、真剣な気持ちをあなたに伝えた……」
「それ、本当に……?」
「うん……」
「ミラナ……。もう俺たち、本当にダメなの? なんかしたなら俺、謝るからさ……。もう一回、俺と……」
俺はミラナの手を取って、彼女の顔を覗き込んだ。
なにがあったのかはわからないけど、彼女がいまも俺を好きな気がして……。
俺がじっとミラナを見詰めると、彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「違うよ、オルフェル……」
「うん……。なにが違うの?」
「私がオルフェルを振ったんじゃなくて、オルフェルが私を振ったんだよ」
「へ?」
ミラナが唇を噛み締め、俺から目を逸らして下を向く。そんな彼女を見て、俺の脳内は混乱で埋め尽くされた。
「ウソつけ。そんなわけねー。俺、十歳のときからミラナしか見えてねーのに」
「ウソだよ。オルフェルはほかにも好きな人がいたじゃない」
「いや。いねーし!」
「私はオルフェルよりもっと前から好きだったもん」
「いや、ウソつけ……俺、何回ミラナに振られたと思ってんの? なにその負けず嫌い」
「ほら、また怒る。オルフェルは、そうやって怒って、私を捨てていったんだよ」
「いや、ウソだ」
「ウソじゃないもん」
口を尖らせるミラナを見て、今度は俺がため息をついた。
腹が立ったからと、俺がミラナを捨てただなんて、きっとなにかの間違いだ。
それに、ミラナ以外なんて、俺は考えたこともない。
「そんなのありえねーよ。俺、こんなにミラナが好きなのに。なぁミラナは? ミラナはもう、俺のこと好きじゃねーの?」
「だっ……大好き……」
目を泳がせながらも、ミラナが真っ赤になってボソリと言う。もう、俺はミラナが可愛くてたまらない。
どうしようもない期待感に、急激にテンションが跳ね上がる。
「よかった! だったらミラナ、俺たちまた恋人に……」
「それは、ダメッ」
「なんでっ!?」
また声を荒げる俺。彼女の肩を持って迫ると、両腕を突き出して押し戻された。
だけどいま手をはなすと、彼女はまた、走ってテントに戻ってしまいそうだ。
俺は焦りに震える手で、ミラナが突き出した腕をしっかと掴んだ。
「なんでだよ」
「だって、オルフェルは、絶対また私を振るもん」
「えっ? 振らねーし」
「絶対振るもん」
「振らねーし!?」
「ほら怒ってる」
「怒ってねーよ!?」
ミラナとのこのやりとりは、驚くほど長い、長い長い平行線を辿った。俺がどんなに否定しても、彼女は首を横に振るばかりだ。
だけどこんな理由はあり得ない。俺はすっかり困りはてた。
「はぁー? なんなんだよ。百万歩譲って俺がミラナを振ったとして、なんで振ったの?」
「それは……」
「理由くらいあんだろ?」
「言いたくない」
「いや、言えって」
普段の俺なら、こんなにミラナを問い詰めたりはしない。
ミラナを困らせるのは好きではないし、俺はそもそも、真面目な話が苦手なのだ。
だから聞きたいことがあっても、嫌な話だろうと思うと、自分で話をそらしてしまう。
だけどこれだけは、どうしても納得がいかなかった。
いつもよりしつこく食い下がる俺に、ミラナはだんまりを決め込んでいる。
「はぁーありえねー。さっき俺のこと大好きって言ってたくせに……。いつもあんな抱きしめて、俺を弄んでるくせに……。恋人にはしたくないなんて、ほんとひでーな」
俺が肩をすくめてため息をつくと、ミラナは突然、グスグスと泣きはじめた。
「ぐすっ……ごめんなさい。オルフェルが、まだ私を好きだったころに戻ったって思ったら、私、嬉しくなっちゃったの……」
「え……?」
「ひっく……オルフェルが、このままなにも、思い出さなければいいのにって……そう思って……っ」
「ふむ……?」
「ぐすっ……ダメって、わかってたんだよ? だけど、振られたけど、好きだから……。いまだけ、ちょっとだけ、犬だけならいいかなって、思っちゃって……ひっく」
「おぉ……」
「……だっ、抱きしめたりして、ごめんなさいっ」
「あの、ミラナさん……? さっきから、めちゃくちゃ可愛いこと言ってるって、自覚あんの……? 俺、いますぐミラナを抱きしめたいんだけど……?」
可愛い言いわけをはじめたミラナを前に、猛烈にソワソワする俺。
ここまでミラナに愛されていたなんて、俺は夢にも思ってなかった。
いま俺に尻尾があったら、ガンガンに振ってるところだ。
「うっ……。いつまでも未練がましくて、ほんとに、ごめんなさい……。もう、抱きしめたりしません……。がまんします……。ひっく、ごめんなさい」
「えぇっ……!? あのぉ、ミラナさん? あやまんなくていいから、ぜんぜんいいから!? 恋人になってくれたらそれでいいからね?」
「ぐす……ダメなの……! 私、ひどいから……。絶対またオルフェルに嫌われるんだもん……」
「えぇ? だから、嫌わねーってば……」
焦ったり喜んだりしながらも、必死にミラナを説得する俺。だけどミラナは声を震わせるばかりで、完全なる頑固さんモードだ。
――これ、いったいどうしたらいーの?
ミラナは俺を近づけさせまいと、ずっと腕を突き出している。
このおかしな状況に、俺は何度も首を傾げた。
ミラナの話が本当なら、俺たちは子供のころからずっと、両思いだったということになる。
だったらなぜ振られたんだという疑問は、この際だから置いておこう。
問題は、振られたことより、振ると思われているほうだ。
「なぁ、俺絶対振らねーから、俺の恋人になって?」
「ひっく、やだぁっ、もう、オルフェルに振られるのやだもんっ」
「振らねーって言ってんのに、なんでそうなんの?」
「だって、わかったでしょ? 私、自分勝手で最低なんだよ。また振られるのわかってるんだもん。うっ、うぁーん!」
「あぁ、もう。そんな泣くなって。ミラナが最低なわけねーだろ」
――ミラナって、こんな困った泣き虫だったっけ……?
彼女の白い頬を涙が次々に流れ落ちる。俺はミラナの頭を撫で、一生懸命慰めた。
ミラナが泣くところを、見たことがないわけではない。
グレインが死んだあとなんか、俺たちは二人で散々泣いたし、今日だってミラナはよく泣いていた。
だけど突然王都を追い出されたとき、彼女は少しも涙を見せなかったのだ。
彼女の心の強さに、あのときの俺は驚いたものだ。
それなのに今日のミラナは、まるで迷子の子供だった。
――やっぱり、ミラナは変わったな。いや、俺が最初から、ミラナをよくわかってなかっただけか……?
俺はずっと彼女が好きだった。笑顔も声も仕草も、怒った顔ですら好きだった。それなのにいまの俺は、なにひとつミラナがわからない。
それは俺にとって、結構大きな発見だった。
――俺もうちょっと、ミラナのことわかってる気でいたんだけどな。想像以上に謎が多いぜ。
――でもこれ、いまも俺とミラナは両想いってことでいいんだよな……?
――それって普通に最高じゃねー?
俺の記憶の中のミラナは、俺が話しかけると、いつも無表情に黙り込んでいた。
そんな彼女が、これだけ涙を流しながら、俺に本当の気持ちを話してくれたのだ。
俺にはそれが、すごく嬉しいことに思えた。
恋人になってくれないのは相変わらずだけど、こんなに愛されているのなら、そのうちきっとなんとかなる。
戸惑っていた俺の心に、しだいに高揚感が戻ってきた。
「なぁ、キスしていい? 俺今日頑張ったし、一回だけ」
調子に乗って褒美をせがむと、ミラナが伏せていた顔を上げた。そのまま少し恨めしそうに、じっと俺を見詰めている。
「この先なにがあっても、なにを思い出しても、俺はぜったいミラナを嫌ったりしねー」
「ウソだよ、そんなの」
「すぐに信じてくれなくてもいい。だけど、ミラナが信じてくれるまで、俺、ほんとに諦めねーから」
「……できない約束をするのが、オルフェルの悪い癖だよ」
「うっせー」
また俯いた彼女の頬に、俺は勝手にキスをした。
いまの俺にとってははじめてのキスだ。
それは少しほろ苦い、涙の味がした。




