066 スビレー湖2~あの日のキス~
場所:スビレー湖
語り:オルフェル・セルティンガー
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シンソニーとキジーの動きを封じた俺は、ミラナの近くにお座りして、じっとその様子を眺めていた。
彼女は俺の期待どおり、持ってきたテントを組み立てられずに悪戦苦闘している。
――可愛いな、ミラナ。相変わらずこういうのは苦手なんだな。
――こうやって、一人でなんとかしようとしてる姿を見ると、学生のころを思い出すぜ。
しばらく黙って眺めていると、日が落ちるにつれ、真剣だったミラナの顔が、少ししょんぼりしはじめた。
「オルフェル……」
「どしたの?」
「お願い……」
「まかせてっっ」
やっと人間にしてもらった俺は、張り切ってテントを組み立てた。小さいテントで、入れるのはせいぜい二人だ。
すぐ犬に戻されるかもしれないけれど、たとえ一時でも、人間に戻れるのはうれしい。
――協力助かったぜ! シンソニー!
シンソニーが、人間になった俺を見てニコニコしている。
「いえーい! 調子乗ってきたぜー!」
「いいけど、乗りすぎないでね?」
「へーい」
テントを組み立て終わると、辺りはだいぶん暗くなってきた。
「焚き火もお願いできる?」
「おぅ! 任せとけ」
火の魔力というのは野営には本当に役立つ。
俺は焚き火をつくり、さっき風呂をつくったついでに捕まえた魚を焼いた。
「「おいしー!」」
「はは。よかった」
にこにこしながら魚を食べるミラナとシンソニー。可愛い二人を幸せな気分で眺めていると、キジーが風呂から戻ってきた。
「わ、アンタ誰だよ」
「あ、俺? 三頭犬だけど」
「でっかー! 頭まっかっか」
「キジーの感想、犬のときとあんまり変わんねーな」
キジーが俺を見上げて目を丸くしている。人間になってあらためてみると、キジーは小さくてかなり華奢だ。
「まぁいいや。魚焼いたから食ってくれ。いっぱい食べてキジーもでっかくなれよ」
「おぉ、やるね! 三頭犬」
「炎属性だからな。こういうときは役に立つぜ!」
「お風呂もよかったよ。景色最高! いまは近くに魔物もいないから、ミラナも入ってきなよ」
「あ、うん! ありがとう! うれしいな」
「喜んでもらえてよかったぜ」
△
焚き火を囲み、キジーやシンソニーとたわいもない話で盛りあがっているうちに、空には明るく星が輝きはじめた。
――あ、ミラナ。風呂から出たっけ?
ふとミラナの姿を探して振り返ると、彼女は湖のほとりに座っていた。
なにか物思いにふけっているような、儚げな表情をしている。星あかりに照らされとても綺麗だ。
「ミラナ。寒くねーか?」
「うん、平気だよ」
ミラナの隣に座った俺の脳裏に、三百年前の、彼女とのキスの記憶が蘇る。
――この空に湖……この場所、なんか見覚えが……。もしかして、あのとき、ここで俺たち……。
ゴクリと喉を鳴らしながら、ミラナの横顔を見詰めていると、彼女もこっちを向いて、俺を見詰め返した。
「やっぱり俺たち……キスしたよな……?」
また同じことを聞いた俺に、ミラナが喉から搾り出すように声を出す。
「……したよ……忘れるなんて、ひどいよ」
「ごっ、ごめん」
「……何回もしたのに……」
「なんかっ……いも……っ!?」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、俯いたミラナ。星に照らされた白い肌のうえで、魅惑の果実のような唇がキュッと結ばれる。
自分の顔がぶわっと熱くなるのを感じて、俺は思わず鼻を抑えた。
――この、ずるいくらい可愛い唇に、俺が何度もキスをした……?
――いったいなにがどうなって、そんな夢みたいな状況になったの?
――俺、いま、すっげー調子乗ってますけど大丈夫……?
心臓がおかしいくらいに飛び跳ねて、俺の喉が、またゴクンと大きな音を立てた。
「ま、まさか……俺たち、恋人だった? じゃねーと、ミラナはキスなんかしねーよな……? だって、真面目だもんな……?」
ドキドキしながらも、俺はミラナの手を掴んだ。ミラナは特に抵抗しない……。
知りたい、聞きたい。知る怖さ以上に、その気持ちが走っていく。
「うん……」
「うん!?」
ミラナがこっくりと頷く。俺はミラナの手を握りながら、じりっと彼女ににじり寄った。
「じゃぁっ、じゃぁ、ミラナ、俺のこと……好き……?」
「うん……」
「えっ、いっ、いま……」
「だけど、私たち、もう別れてるから」
「いまも好き?」と言いかけた俺の言葉を制し、彼女はそう言うと、俺に握られた手をはなした。
そのまま、すっくと立ちあがり、呆然とする俺の頭上に、冷たい視線を振り落とす。
「なんでっ、なに!? 俺、なにしたの? なんで!? そんな……っ」
「言いたくない」
「なんでーーー!?」
俺の出した大声に、テントの前で焚き火を囲んでいたシンソニーとキジーが、驚いてこっちを見る。
だけど、俺はかまっていられない。
欲しくて欲しくて、あんなに恋焦がれていたものを手に入れておきながら、俺はいったい、なにをしでかしたのだろう。
「なんでだよ……。なんで……? なんで別れたの? 理由くらい、教えてくれよ」
「ごめん、言えないよ……」
「うっ、ぐっ……なんっだよっ……それ……」
湖の畔の地面を叩きながら、声にならない呻きを漏らす俺に、ミラナは「言うんじゃなかった」と言い捨てて、走ってテントに入っていった。
△
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
懸命に俺を慰めてくれていたシンソニーはワシの姿で眠りにつき、俺は一人、テントの外に出ていた。
キジーが寝てしまうと探知が切れるため、見張りが一人必要なのだ。
シンソニーと交代でと約束したけど、俺は朝まで見張りをするつもりだった。
ミラナはあの小さなテントで、みんなで眠れるだろうと思っていたようだけど、さすがに今日は、彼女の腕のなかで寝るのはつらい。
どうせ外で寝るなら、ずっと見張りをしていても、さほど変わりはないだろう。
ふと視線を感じて振り返ると、ミラナがテントの隙間から目だけのぞかせこっちを見ていた。俺がまた逃げるんじゃないかと、不安で寝付けないようだ。
「逃げねーから心配すんな。もう俺のせいで、ミラナたちを危険な目には遭わせねーよ」
「ぜったいだよ? 魔物が出たら、一人で戦わないで知らせてね」
「あぁ、ゆっくりねろよ」
ミラナをテントに押し込み、俺は湖の畔の木の陰に座り込んだ。
暗い湖を眺めていると、まだいくらでも涙が出てくる。
――せっかくミラナが恋人になってくれたのに、なんでしくじったんだ、俺は……。
俺は、その原因を探ろうと、ぼんやり三百年前の記憶を辿った。




