059 行かないで~ミラナの悪夢~
場所:イコロ村
語り:ミラナ・レニーウェイン
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『オルフェル! お願い、行かないで!』
遠くなっていくオルフェルの背中に、私は必死に手を伸ばす。
『お願い……そばにいて……』
だけど、彼との距離はどんどん遠ざかって、その後ろ姿は白い霧の奥へと滑るように消えていく。
「やだっ、寂しいよ……。オルフェル……」
何度目かもわからない同じ夢を見て、私、ミラナ・レニーウェインは、今日も泣きながら目を覚ました。
――またこんな変な夢見ちゃった……。どうしてこんなことに……。あぁ虚しい。虚しくて死にそう。
ここはイコロ村。カタレア魔法学園に合格し、皆に祝福されて旅立ったはずの故郷の村だ。
一人っ子の私の部屋は、村を出たときと変わりがない。
使い慣れた木製のベッド、いつもかじりついていた勉強机。
なのにいまの私は、あのころの私とはまるで違う。
王様が出した理不尽な命令が、私が頑張って積みあげてきたものを、根こそぎ奪ってしまったのだ。
なにをしていても虚しさがこみあげてきて、まったく気力が沸いてこない。
――私、勉強しかできないのに。まさかそれを奪われちゃうなんて……。
そんななか毎夜見てしまうのは、オルフェルの後ろ姿に縋りつくような、なんとも女々しい夢なのだった。
「ミラナ……。またうわ言を言ってたわよ?」
「やだ、クイシス……。聞いてたの?」
私の守護精霊のクイシスが、顔のそばに飛んできた。
クイシスは私の両手に乗るくらい、小さな闇の精霊だった。
真っ白な肌にクルクルと巻いた艶やかな黒い髪、フリフリのドレスを着ていて、お人形のように可愛らしい。
ほかの精霊のような綺麗な羽はないけれど、重力魔法を使い、自由自在に飛び回ることができた。
「そんなに寂しいなら、行かないでって言えばいいじゃない。オルフェルは今日もきっとくるわよ」
「ダメだよ。こんなわがまま言えるはずないよ」
クイシスはため息をつきながらも、小さなハンカチでいつも私の涙を拭いてくれる。
「そんなに意地をはってどうするの? あんなに何度も来てくれてるのに。あの子が一時の気まぐれで、あなたに言い寄ってるわけじゃないことくらい、もういい加減わかってるんでしょ?」
「意地なんかじゃないよ……。ずっと騎士を目指して頑張ってきたオルフェルを、村に引きとめられるわけないじゃない」
△
王都を追放された一ヶ月後、カタ学は長期休暇に入り、オルフェルはイコロ村に帰ってきた。
「ミラナ。俺、やっぱりこのまま村でミラナのそばにいてーんだけど……」
ふわふわはねるくせ毛の少し長い前髪越しに、彼の赤い瞳が探るように私を見詰める。
その瞳の輝きは、ろうそくの炎のように不安げに揺らいで……。
吸い込まれそうな、それでいて胸が潰れてしまいそうな、切ない表情をするオルフェル。
私はいますぐ抱きつきたいのをなんとか耐えて、必死に平気なフリをしてみせた。
「ダメだよ、オルフェル。せっかくカタ学に入って、生徒会長にだってなったのに」
「でも俺、ミラナに好きになってもらいたかっただけだからさ。ミラナがつらいときにそばにいてやれねーなら、騎士になっても意味ねーかなって……」
「どうしてそんな情けないこというの? いまさら投げ出すなんてかっこ悪いよ?」
「だってさ、ミラナも俺が泣きそうなとき、グレイン川に来てくれただろ。なのに、こんなつらそうな顔してるミラナ、残して戻るなんて、俺……」
「オルフェル……」
オルフェルが一歩前に出て私の顔を覗き込む。
どんなに気丈に振る舞おうとしても、顔に出てしまうこの虚無感。
彼はそれを見透かしたのか私の頬に手を添えた。
「……情けねーって思うなら、もう俺のこと好きになんなくてもいい……。だからいまだけ、近くでミラナのこと守らせてくんねー?」
真剣な眼差しで、私を見詰めるオルフェル。
射抜かれた獲物のように飛び跳ねる気持ちを、私は全力で抑えつけた。
「バカ言わないで。騎士にならないと、もうオルフェルとは口聞かないからね」
「ミラナ……」
私の強い口調に、頬に添えていた手をはなし、オルフェルは黙り込んだ。
こんなやりとりを、彼が休みの間に何回繰り返したことだろう。
本当は泣きつきたかった。そばにいてほしいと叫びたかった。
だけど、そんなわがままで、彼の輝かしい未来を台無しにはできない。
彼はもうすこしで、騎士に手が届くところまできているのだ。
何度も来てくれるオルフェルを、私は冷たい態度で追い返した。
△
「じゃぁ、本当に俺、カタ学にもどるぜ? いいの? 俺がいなくて寂しくないの? ミラナさん」
いよいよ王都に帰るという日、彼はまた私のところにやってきた。
「……オルフェル、頑張って。私もここで、できることを頑張るから」
「わかった。だけど俺が騎士になったら、ほんとに俺の恋人になってもらうからな。さっ、最低でも、手繋ぎデートは絶対だぜっ。俺をカタ学にかえしたこと後悔すんなよ」
騎士になる決意を新たに、カタ学に帰っていくオルフェルを見送る。
――私、なんて嘘つきなんだろう。
――オルフェルに、騎士になってほしいなんて、一度も思ったことないのに……。
ほんの少し、不安だっただけだった。
恥ずかしくて、言い出せなかっただけだった。
ぐずぐずしてるうちに嘘が膨らんで、ますます言えなくなってしまった。
それでもそばにいられれば、いつかは、そう思っていた。
自分があまりにバカすぎて、涙が溢れて止まらない。
「やだ、行かないで……。好きだよ、オルフェル……」
「バカな子ね。人間の一生なんて短いんだから、好きな人のそばにいればいいじゃない。オルフェルがあんなにミラナのそばにいたいって言ってるのに……」
クイシスの小さな手が、優しく優しく私の髪を撫でている。
「だめだよ、いまさら。私なんか、負担にしかならないよ……」
苦しくてつかえる胸を押さえると、クイシスはまた静かに涙を拭いてくれた。
△
『行かないで! お願い、そばにいて……』
オルフェルのいないイコロ村で、私はまた未練がましい夢を見る。
――こっそり姿を見にいきたい……。
だけど、恋しい彼のいる場所は、行けば死刑になるオルンデニアだ。
どんなに会いたくても、こちらから会いにいくことはできない。
そして、オルフェルはきっとあの国王の騎士になる。
彼がこんな小さな村に帰ってくる未来なんて、ここにあるはずもないのだった。
考えれば考えるほど現実は虚しい。
そんな夜をいくつもすごして、私はほんの少し大人になった。




