045 夢か記憶か~またとないチャンス~
場所:サビノ村
語り:オルフェル・セルティンガー
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――いまならミラナと二人で、しかも人間の姿で話ができるじゃねーか。
これは、俺にとって、またとないチャンスに思えた。
もちろん、疲れているミラナを休ませてあげたい気持ちもある。
だけど、いくら人間の言葉が話せても、犬の姿ではできない話もあるのだ。
特に子犬のときは、きゃんきゃん恥ずかしくて、こんな話はとても無理だ。
俺は布団に寝ているミラナのそばに寄り、意を決して声をかけた。
「ミラナ、俺、聞きたいことがあんだけど……」
「ん? なぁに?」
ミラナが俺に気づいて、のそのそと起きあがる。
フリルとレースがたっぷりついた、薄手で柔らかそうな素材の寝巻が、彼女の白い肌を彩っている。
胸元に散らされた小さなリボン。可愛らしく膨らんだ短いパフスリーブ……。
いつもの真面目顔のミラナとは違う、眠そうにとろけた表情がなんだかよけいに甘く見える。
漂う色香に顔がのぼせ、熱くなった鼻を抑える俺。
可愛い寝巻きをミラナに貸した、村のお姉さんには感謝しかない。
「うわ、ミラナ……。可愛すぎ」
「やだ、スケベッ。そんな目で見ないで」
「人間だと一応、警戒してくれんのな」
「だって、オルフェル。スケベなこと考えてる顔してるよ」
「ぐっ」
はっきりそんなことを言われると、自分がどんな顔をしているのかと不安になる。
ミラナは毛布で体を隠しながら少し身をのけぞらせた。
だけど俺がスケベなのは別に、犬のときだって同じことだ。いまはミラナの反応が、いつもと違いすぎて面白い。
普段が犬扱いなだけに、少しくらい、意識してもらえたなら最高だ。
「なぁミラナ。俺たち、キスしたよな……?」
「へっ!?」
俺は思い切って距離を詰め、あらためてミラナの顔を覗き込んだ。
驚いた様子でかたまった彼女の顔が、どんどん真っ赤に染まっていく。
「いつだかわかんねーけど、なんか俺、ミラナとキスした記憶があんだよ……」
「……や、やだ。オルフェルったら、急にそんな……。キッ、キスだ、なんて……」
ミラナはそう言いながら、俺の唇に視線を送り、ますます赤くなって視線を逸らした。彼女の喉がゴクンと音を立てて大きく動く。
――いや、なんだよその反応っ! これ、完全にしたやつじゃねーか!?
――そうじゃなかったら、ミラナ絶対怒りはじめるところだろ。
怒るどころか、なんだかもじもじしているミラナを見て、俺は完全に調子に乗りはじめた。
――夢か妄想だろうと思ってたけど、あれやっぱり、俺の記憶なんじゃねーか?
だけどミラナは、俺から目線を逸らせたまま、なぜかブツブツ言いはじめた。
「オルフェル、魔物になって混乱してるから、思い違いしてるんだよ」
「……本当に? 俺、昨日からずっと考えてたけど、どうしても、そんなふうに思えねーんだよな」
「ゆ、夢だよ……夢見たんだよ……」
「じゃぁ、なんでそんな真っ赤になってんの? ミラナも、なんか思い出したんじゃねーの?」
俺がじりじりと顔を近づけると、ミラナは後ろ手で笛を探しはじめた。
なんとか俺を犬に戻し、話を終わらせようとしているようだ。
だけどそんな彼女の態度が、ますます俺に確信させる。
あのキスは、現実に起こった出来事で、ミラナも覚えているのだと。
「ミラナ、ちゃんとこっち向いて俺を見て? あのとき、『あなただけだよ』って言ってくれただろ」
「そんなの、しらないもん」
「俺のこと好きなんだよな?」
「しらないったら。もうっ、いますぐ離れないと、封印するよ?」
ミラナがうしろを振り向き、枕元の畳んだ服のうえに置かれていた笛に手を伸ばす。
俺は彼女にかぶさるように近づいて、笛を求めるその手をおさえた。
「やってみろよ。いまミラナ、ほとんど魔力切れだろ。笛なしでできんの?」
「オルフェル……」
「本当のこと言えって」
そのとき、にわかに外が騒がしくなり、村の人たちの悲鳴が聞こえてきた。
「助けて! 助けてください!」
そんな叫び声をあげながら、だれかが慌てた様子で俺たちの部屋の扉を叩く。
ミラナにかぶさっていた俺は、はっとして彼女から飛びのいた。
それと同時に我に返り、また調子に乗りすぎていたことに気付く。
――いかん、調子乗った! なにが『俺のこと好きなんだよな?』だっ。
――我ながら気持ち悪いな! だれか、いますぐ俺を封印してくれっ。
逃げ出したくなりながら扉を開けると、そこにいたのは、ケリンさんの奥さんだった。
「ど、どうしたんっすか?」
「巨大なポイズンスパイダーが、主人を攫ってしまいました! どうか助けてください」
「えぇっ!? それはすぐ追いかけねーと……! 大丈夫だ! 俺にまるまるまかせとけ!」
「あ、ま、待ってオルフェル」
立ちあがったミラナがふらりとよろけて、俺は彼女を支え、部屋の隅に座らせた。
やはり彼女は、かなり疲れているようだ。
「俺一人で行く。ミラナは休んでろ」
「待ってったら! ダメだよっ」
「早くいかねーと、ケリンさん食われちまうぜ」
「やだ! 勝手にいかないで!」
焦った声をあげながら、俺の腕にしがみつくミラナの肩を押し、俺は彼女を引き離した。
「そんな色っぽい格好で出てくんなよ」
また赤くなったミラナを残し、俺は一人で外に出た。
△
外に出ると、村人たちが村の入り口の広場に集まっていた。
みな松明を手に持ちながらも、青い顔を見あわせ途方に暮れているようだった。
村のなかはまた、大量の蜘蛛の巣で覆われている。闇夜のなか下手に動いて、引っかかってしまうのを警戒しているようだ。
――ジャキーーン!――
俺が腰に挿していたトリガーブレードを抜くと、空気を切り裂くようなその効果音に、村人たちが一斉に振り返った。
皆の注目を一身に浴びた俺は、ニヤリと笑いながら、刃に炎の魔力を込める。
熱くなった刃で蜘蛛の巣に触れると、簡単に糸は溶けて千切れていった。
「すごい。松明でもなかなか取り払えないのに」
「焼き払うわけにもいかなくて……」
「ふっふっふ! これくらいで驚くなよ! 俺の炎は火力も温度も自由自在だぜ!」
褒められてにわかに調子に乗る俺。
刃にさらに魔力を込め、炎を燃えあがらせると、村人たちから歓声があがった。
「「「おぉ~!」」」
「見たか! 俺の力! 俺は炎の化身、オルフェル・セルティンガーだ!」
言いながら周辺の蜘蛛の糸を取り払うと、村人たちから今度は拍手が起こった。
「お、お願いです! セルティンガーさん! ケリンを取り返してください」
「おう! まるまる俺に任せとけ!」
「助かります!」
「で、ポイズンスパイダーはどっち行ったの?」
「ガザリ山に入っていきました! 前にきたやつより大きくて、ケリンを糸で絡めとって、引きずっていってしまったんです」
「待ってろよ! 俺がすーぐ連れて帰ってくるぜ!」
俺は村人たちが指さす方向を目指して、走り出した。
熱した剣を振りながら、蜘蛛の巣を払って村を飛び出し、夜の山に入っていく。
山道は暗いけど、トリガーブレードが赤く輝いて、周りが見えないほどではなかった。
俺はケリンさんが引きずられた跡を頼りに、どんどん山を登っていった。




