199 対話1~サンカクレンタイ~
[前回までのあらすじ]狂気に堕ちた姉が魔物を操り、村々を襲うという事態に苦悩するネース。ハーゼンとともにイザゲル討伐を宣言した彼は、クルーエルファント対策の兵器を作る傍ら、姉の使う転移魔法についての調査を進める。
場所:オトラー本拠地
語り:ネース・シークエン
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闇のモヤの奥の研究室で、転移装置から姉さんが現れたとき、ボクは驚きと同時に感動を覚えていた。
転移魔法というのは、この世界では実現し得ないはずの魔法だ。
かつて多くの高名な魔導師たちが挑戦したが、失敗に終わったと伝えられている。
そして、その魔導師たちのほとんどが、消息を絶ったか、あるいは命を落とした。だれもが諦めた最上位魔法を超える究極の魔法。それが転移魔法だった。
――ふふ。博士はやはり凄まじいな……。転移魔法を成功させただけでなく、それを魔道具にし、実用レベルにまで仕上げていたなんて……。
ボクが転移魔法の存在について考えはじめたのは、ドンレビ村で姉さんと戦ったオルフェルから、報告を受けたときだった。
オルフェルの証言によると、姉さんは空中に紫黒色の光を放つ穴を出現させ、その中に姿を消したという。
姉さんが村々を襲撃する際には、いつも突然現れては消えてしまう。だから、転移魔法が使用されているのではないかという見方は、もっと前からあるにはあった。
だけどアジール博士の著書を愛読していたボクにも、それは本当に信じがたいことだったのだ。
幻術や透明化などのような、一時的に姿を消す魔法を使ったと考えたほうが、まだいくらか自然だ。ボクはずっと、そう思っていた。
――博士はいつも、ボクの想像を遥かに超えた場所にいる。
――だけど、なにか手がかりがあれば、ボクにだって……。
ボクはあの研究所に乗り込んだ日から、姉さんを追跡し撃破する方法を模索していた。
姉さんがアジール博士の研究施設にいることはわかっているけど、そこに潜入するのはきわめて危険だ。
呪いはあらかじめ準備しておけば対応可能だし、闇のモヤも対策はできる。
だけど、空間を捻じ曲げるような、あの迷宮の再構築に巻き込まれれば命はない。
あのとき生きて帰れたのは、間違いなくライルのおかげだ。
だから姉さんを捕縛するためには、姉さんが次にどこに出現するかを予測し、そこで待ち伏せる必要がある。
姉さんが村を襲う際に、村周辺に転移してきたところを狙うのだ。そして姉さんが転移で逃げないように、対策しておく必要がある。
だけどそれには、アジール博士の転移魔法が、どのようなものなのかを知っておかなくてはならない。
だからボクは、民衆に暴行され逃げ延びてきたという、聖騎士エンベルトに会おうとしていた。
彼は、かつての王国軍でもっとも王の信頼を受けていた聖騎士であり、アジール博士とも親交が深かった人物だ。正気だったころの姉さんとも面識があるらしい。
重要な情報を持っている可能性は十分にあった。
この塔の階段を降りると、エンベルトの収容されている牢屋がある。
ボクはオルフェルに連れられて、その階段を降りようとしていた。
だけどボクは恐怖のあまり、塔の入り口で身動きが取れなくなってしまったんだ。
――ダメだっ。部屋に帰りたい! ボクタンやっぱり騎士は無理もら。
――なかでも聖騎士って、いちばん頭おかしいやつもらよ。
――あの清純系真面目美少女のミラナを捕まえて処刑するとか。闇属性なら天使でもアイドルでもおかまいなし? 鬼畜すぎて、わかりあえる可能性皆無。
――ボクタンには難易度高すぎもら。
聖騎士という存在は、魔物よりずっと恐ろしい。
彼らは鋼の鎧に身を包み、鋭い刃を振るって、ボクたちの身体を切り刻む鬼だ。
その威圧的な姿を見ただけで、ボクは震えあがってしまうだろう。
いや、聖騎士はボクを殺そうとせず、拷問や実験の道具にするかもしれない。あいつらの狂気と執着は鬼畜そのものだ。
ボクの肉体や精神はねじ曲げられ、聖騎士の思うがままに操られる。
ボクはその悪意で、どこまでも追い詰められて……。
「……ネースさん、大丈夫ですか?」
オルフェルの手がボクの震える肩に触れた。彼の瞳は優しくボクに向けられ、ボクの心を深く探ろうとしている。
オルフェルはボクの孤独と多忙を察して、あれから何度もボクの研究室に来てくれた。
だけどボクは、そんなオルフェル相手でも、いまは言葉に詰まってしまう。
これは防衛本能の現れで、ボクはそれに抗えないんだ。
「ネースさん、怖がる必要はないですよ。エンベルトは牢屋のなかですし、魔力も封じてありますから」
――わかってる。その魔力封じる腕輪作ったのボクタンだし。あれは完璧だ。大丈夫、大丈夫……。
だけどボクは、威圧的な聖騎士の姿を想像すると、恐怖で脚が震えてしまう。
できれば口に猿轡でもして、話もできないようにしておいてほしい。いや、話ができないと、ここにきた意味がないんだけど。
「うひぃっ、ザンギャクレンタイ……ッ!」
「え? サンカクレンタイってなんですか?」
恐怖のあまり意味不明な言葉を発すると、オルフェルがいつものように聞き返してきた。
その暖かな赤い瞳には、ボクへの親しみと信頼が映し出されている。
ボクはいま、だれよりもオルフェルに、誠意を見せなくちゃいけないんだ。
「レッ、レンタイっていうのは、聖騎士のこともら。レンタイはザンギャクヒドウでキョクムソウでクギョウコウアクフカシギシゴく……」
「あ、あの。俺いまいち理解できなくて。すみません、もう少し説明してもらえますか?」
「えっとね!? ザンギャクヒドウっていうのは可愛い子犬を蹴っ飛ばしたりすることだよ? で、キョクムソウっていうのは、迷惑なくらいでかいってこと!」
「確かに。聖騎士は非道だしデカくてムカつきますよね。説明助かります。ありがとうございます!」
「うんうん。でね? クギョウコウアクっていうのは、毎日水だけで生活したり、真冬に裸で外に出たりすることなんだ。フカシギはわかるよね? 魚が空を飛んでるっていう意味だよ」
「あー、なるほど。聖騎士ってやってることの意味がわからないですからね。魔法魚眺めてるみたいな、不思議な気分になりますよね。すげーわかりやすいです。ネースさん」
「そ、そう? だからさ、レンタイホショウっていうのはね、お友達が困ったときに助けてあげることなんだ。それで、ムスウカイハツゲンっていうのは、たくさん話すことだからね!」
「……ですよね。いつも俺と話してくれてうれしいです。ネースさんの話はためになります」
――えー? オルフェルどうした!? ちょっと理解力高すぎない?
――最近ボクとよく話してたとはいえびっくりだよ。
オルフェルは本当に不思議だ。できるならボクは、もっときみを研究してみたい。
「……ふぅ。ソンゲンっていうのは、すごくステキだと思うことだ」
「俺もそう思います。聖騎士は腹立ちますけど、ネースさんには俺がついてますから。一緒に頑張りましょう」
「ふひぃ……」
「ネースさん。さっきも言いましたけど、エンベルトは俺たちの知らない情報をもってます。それはきっと、俺たちの役に立つはずです。
俺もミラナを殺した聖騎士は憎いから、本当は会いたくないです。でもいまはそれ以上に、やらなきゃいけないことがあります」
「……うん、わかってる」
「俺が聞き出してもいいですけど、ネースさんが直接聞いたほうが、わかることも多いと思うんです」
「そうだね。いろいろありがとう。きみのおかげで落ち着いたよ。なんとか聖騎士と話せそうだ」
「よかった。じゃぁ、そろそろ牢屋いきますか?」
「うん、行こう」
――頼もしいな、オルフェルは。
ボクはオルフェルと一緒に、聖騎士のいる牢屋に踏み込んだ。




