198 ソワソワ2~オルフェルのいない朝~
[前回までのあらすじ]過去の記憶に戸惑っているのか、ずっと様子がおかしいオルフェル。過去に一度振られたこと思うと、恋心は封印したい彼女だが、オルフェルが気になって仕方がなくて……。
場所:レーマ村
語り:ミラナ・レニーウェイン
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「二人とも、おはよう。がう」
「まぁ、お早いですわね、おにぃさまん」
「おはようございます!」
テリーヌを準備していると、シェインさんが二階から声をかけてきた。
気品溢れるシェインさんも、朝はいつも子ライオンの姿だ。
階段の段差より足が短いため、ピョコンピョコンと跳ねながら、一段ずつ慎重に降りてくる。
それでも滑って落ちそうになるシェインさん。コロコロしていて可愛らしい。
ベランカさんが駆け寄って、彼を抱きあげてラグの上におろした。
「がう。ありがとう、ベランカ」
「いいえ。お安いご用ですわ、おにぃさまん。お目覚めはいかがですか?」
「あぁ、とてもいいよ」
「シェインさんは、生肉にしますか? それとも、テリーヌと一緒にオーブンでお肉を焼きましょうか?」
「そうだね、生肉もいいけど、ベランカと一緒にテーブルで食べられるとうれしいよ」
「わかりました。焼けるまで時間がかかるのでゆっくり待っていてください」
解放レベルをあげて人間にすると、金色の髪をかきあげるシェインさん。
書棚から本を一冊手に取り、ソファーに座って驚くほど長い足を組んだ。さっきの階段の光景が嘘のように絵になる姿だ。
そして彼が読むのは、いつも歴史の本だった。シェインさんも国々の歴史を知ることで、自分の過去を探ろうとしているのだろう。
シェインさんのお肉に魔物使い特製のスパイスをふり、オーブンに入れる。
魚介が苦手なシンソニーには、レイの実入りのパンケーキを焼き、人間になりたがらないオルフェルには、いつもの特製ドッグフードを犬用のお皿に盛りつけた。
――うーん、またドッグフードかぁ。オルフェルもそろそろ飽きてるはずだよね。
――私もオルフェルと一緒に、卵料理を食べたいな……。同じものを食べられるのって、すごく幸せだったのに。
犬用の浅い食器にミルクを入れていると、二階から小鳥姿のシンソニーが、パタパタと飛んできた。魔力を帯びた翼から、キラキラと光が舞っている。
「ピピ! おはようミラナ。おはようございます、シェインさん、ベランカさん」
「おはようシンソニー! パンケーキが焼けてるよ」
「わ、ありがとう! いい香りだ。じゃぁ僕はみんなの飲みものを入れるよ」
人間に戻すと、彼は神秘的な緑色の瞳を細めて爽やかに笑う。そして慣れた手つきで、テキパキと紅茶を準備しはじめた。
その姿はあまりに様になっている。カタ学時代の彼のファンが見たら、黄色い歓声をあげながら、きっと卒倒するだろう。
「テリーヌやお肉も焼けたし、朝食にしましょうか……って、あれ? オルフェルは?」
てっきりシンソニーと一緒に降りてきたと思っていたけれど、オルフェルの姿がどこにも見えない。
キョロキョロする私を見て、シンソニーが、少し困ったような表情を浮かべている。
「オルフェ、今朝もあんまり、反応がないんだよね」
「そうなんだ……」
「昨日からずっとですわね」
「まぁ、記憶が戻っているせいだろうけど、少し心配なくらいだね」
みなが吹抜けの二階部分に見える、男性用の部屋の扉を見あげた。
オルフェルがここにいないと思うだけで、この広いリビングが、すごく静かに感じる。
――なんだろう……。みんながいるのに、寂しくてたまんない。だめだわ、またソワソワしちゃう。
いつも私の周りを跳ね回っていた、オルフェルの姿を思い出す。
犬のときも、人間のときも、彼は私のそばにいて、愛おしげに私を見詰めていた。
自分に自信のない私でも、自惚れだなんて思えないくらい、その眼差しはいつも容赦なく熱かった。
だけど彼はもう、私を嫌いになった理由を思い出してしまったのかもしれない。
最近ずっと犬のままだし、どことなく距離を置かれているように感じるのだ。
――私って、知らないうちに、オルフェルに嫌われるようなことしてるのかな?
――それって、私に直接、嫌だって言えないようなことなの? 確かに私は不器用だけど、言ってくれたら気を付けるのに……。
忘れようと思ってみても、どうしても、こんなことばかり考えてしまう。寂しくて不安で、ソワソワする気持ちが止まらない。
胸を締め付けるような苦しさが、涙になってこぼれそうだ。
私はドッグフードとネースさん用の生き餌をトレーに乗せた。
「……みんな、先に食べていてください。私、ネースさんにエサをあげないと。オルフェルも、朝はしっかり食べないと凶暴化しちゃうから、二階へエサを持っていってきます……」
「え、ミラナ……?」
自分でも声が震えているのがわかる。だって落ち着いてなんていられない。
オルフェルの気持ちが知りたいのだ。
彼がいるのは男性用の部屋。女の私が入っていくのは、はしたないことなのかもしれない。
だけど私はみんなの飼い主だし、部屋にいるのは犬とウミヘビだ。そんなに問題ないと思う。
――どうしてずっと犬のままで、私を避けるみたいな態度を取るの?
――あんなに好きだって言ってくれたのに、私を嫌いになっちゃう理由はなに? 聞いてみても、いいよね?
トレーを持ちあげようとする手が震えている。オルフェルの気持ちが気になるのに、知るのが怖くて震えている。
――だけど、気になって勉強に集中できないんだもん。エサだってあげないといけないし。
「待って、ミラナ。いま行くのはやめておこうよ」
「……どうして止めるの……?」
泣きそうな気持ちで歩き出した私を、シンソニーが呼び止めた。
振り返ると、三人が心配そうに私を見ている。私のこの焦る気持ちは、みんなに筒抜けだったようだ。
「いまはあんまり刺激しないで、待っててあげて欲しいんだ。オルフェは気持ちが落ち着いたら、自分から話してくれるはずだから」
「そうだね。質問の時間までには食事をするように、私からも言っておくよ。ネースのエサは、私が担当しよう」
「そうですわ。ひとまずは落ち着いて、ゆっくり朝食をいただきましょう」
ベランカさんが私の椅子を引き、ここへ座れと促してくる。私はようやく少し冷静になって、ベランカさんの隣に座った。
――あぁ、なんてばか……。私、自分の気持ちばっかり……。
――つらいのは、いろいろ忘れてるオルフェルの方なのに。もう、恥ずかしいな……。
三人の顔を見ていると、煮詰まった頭が冷やされていく。
「そうですね……。いただきましょうか」
「ミラナは、なに食べる?」
「私もレイの実入りのパンケーキにしようかな」
「気持ちが休まりますわよね」
「紅茶も入ったよ」
「ありがとう」
ベランカさんがふわふわのパンケーキに、レイの実のソースをかけ、私に差し出してくれた。
フォークを挿して口に運ぶと、甘酸っぱい香りが口のなかに広がっていく。
新鮮なミルクをたっぷり注いだ、まろやかな紅茶の香りも漂っている。
私たちは楽しく談笑しながら、四人で朝食を食べたのだった。




