195 エンベルト9~失われた希望~
[前回までのあらすじ]シャーレンによる王妃の治療の失敗を受け、騎士たちは治癒魔導師を探し回り、イザゲルを王宮に連行した。王宮は落ち着きを取り戻し、エンベルトはケイオスの計画を確認するためアジール博士に会いに行く。
場所:トールレニア
語り:エンベルト・マクヴィック
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私はあらためて博士の姿に目をやった。
――それにしても、博士はずいぶん老けてしまったな。
最後に彼と会ったのは、もう何年も前のことだ。しかしこの老け込み方を見るに、本当に無理をさせられているようだ。
体は痩せ細りしわが増え、前髪もずいぶん後退している。ヨレヨレの白衣姿が、その哀れさを助長していた。
博士は私の視線に気づくと、少し申しわけなさそうに肩をすくめた。
「魔転のロザンジュは、おもちゃとして作ったものだった。とても実用に耐えられるものではない。しかし、遊び心で研究していたら、あの男に目をつけられてしまった……。私は息子の未来を人質に取られ、ここに監禁されてしまったのだ」
言いわけするようにそう言って、頭を抱えるアジール博士を見ながら、私はカタレア学園で受けた彼の講義を思い出していた。
『五百年の平和は、我々におもちゃのある暮らしを与えてくれた。世界が平和で人々の暮らしが豊かだからこそ、こうしていくつになっても、私はおもちゃに没頭することができる。
本当に平和とは素晴らしいものだ。だからこそおもちゃは、人々に楽しみや笑顔を与える存在でなければいかん。
子供たちの好奇心や想像力を掻き立て、将来への明るい希望を抱くきっかけになるような、そんなおもちゃが私の理想だ。
それはきっと、平和な世界を次世代につなぐ力になる』
力強い声でそう話していたアジール博士の瞳は、少年のように煌めいていた。彼の授業や著書には、彼の情熱や思いが詰まっていた。
当時の私は、「いい歳をしておもちゃの授業か」などと、少し斜めにかまえて聞いていたが、すぐに彼の授業に夢中になった。
彼は、私に平和の尊さを教えてくれた。そして『聖騎士になり、国の平和に貢献したい』という夢を、私に与えた恩人でもある。
だが、いまのアジール博士は、無理矢理ここに閉じ込められ、戦争の準備を押し付けられている状態だ。
――なんと皮肉な。あまりに不本意で、博士はすっかり参っているようだ。
「ルミナスリペアメンド」
私は光の祝福を使い、浄化と修復の複合魔法を発動した。いまの私にできる最高の魔法だ。
研究室が金色の輝きに満たされると、汚れたものは浄化され、壊れたものは修復されながら、あるべき場所に戻っていく。
一般的な修復魔法のように、時間経過でまた壊れるということもない。
エリミネイトのように魔物化までは治せないが、割れた植木鉢くらいは修理できた。
室内は数秒で片付き、清浄な空気に満たされていく。
研究机の上には、皿に乗ったパンとカップに入ったコーヒー。いつから床に落ちていたのかわからないが、食べても問題ないはずだ。
「有難い祝福を、掃除に使ったりしていいのか?」
「闇のモヤを浄化するなと王命を受けています。祝福の使い道がないので、ほかのものを浄化したにすぎません」
「きみはこのような状況でも、あの王の命令に従うのだな」
「はい。陛下の本当の心は、平和を願っておられます。王妃陛下の治療さえ叶えば、陛下はきっと心を取り戻し、ケイオス殿とも距離を置かれるはずです。私は、陛下への忠誠を捨てるつもりはありません」
「そうか。ならばきみにもこれを渡しておこう。魔転のロザンジュだ。祝福で浄化しているふりをして、ここに魔力を溜めてきて欲しい。
いま使われている装置は、そのうち壊れてしまうだろう。改良はつづけているが、聖騎士に変わるようなものではない。
しかし、このままモヤを放置していれば、精霊たちに怪しまれ、侵略計画が露見してしまうかもしれん。
そうなれば、シャーレンの契約は破棄され、精霊たちは我々を見放すだろう。だからきみたちは、この魔転のロザンジュを使い、祝福で浄化しているふりをつづけてくれ。いままでどおりに、毎年祝福をもらいにいけ」
「王妃の治療が叶うまで、シャーレン様の目を欺けとおっしゃるのですか?」
「そうだ。私はきみに期待しつつ、このまま侵略戦争に勝てるだけの準備を進める。ケイオスはあの権力で、私の息子の未来や夢を簡単に潰すことができるからな。彼に抗うことはできないのだ」
「そうですか。しかし、博士はいったい、どうやって水の国に打ち勝つおつもりですか? 勝算はあるのですか?」
「勝算など無くとも勝たなくては」
アジール博士は切羽詰まった顔でそう言って、私の魔法で浄化されたパンをかじり、コーヒーをぐっと飲みくだした。
△
私はそのあと博士から、侵略計画の全貌を聞かされた。
ケイオス殿は博士に転移魔法を研究させ、兵の大軍を直接水の国の各地へ送り込もうとしていたのだ。
イニシスと水の国の境界にある、魔物だらけの山脈や火山地帯などは、軍の侵攻の妨げとなる。
そこを転移魔法でいっきに突破し、奇襲を仕掛けることができれば、いくら相手が精霊だらけの水の国でも勝機はあると考えたのだろう。
アジール博士が強制されていたのは、そのための転移装置の開発だった。
そしてそのとき、博士はすでに転移魔法を完成させていた。
しかし、ひとつのゲートで、一度に送れる兵の数は限られている。
敵国を確実に潰すには、より多くの兵を同時に複数の地域へ送らなければならない。
博士はそれを実現させるため、さらに高度な研究を続けていた。
△
そのあと私は、アジール博士の指示に従い、聖騎士としての役目をはたしているふりをしながら暮らした。
しかし、恋人のエレーナに嘘を重ねるたび、私の心は深く歪んでいく。
彼女の目をまっすぐに見ることもできず、しだいに会う回数も減っていった。
エレーナも私に、なにか不審なものを感じたのだろう。
数ヶ月後には婚約破棄を言い渡されたが、私は彼女の幸せを祈りながら、身を引くことしかできなかった。
△
それから数年の年月が流れた。
陛下の言動は、一時期のことを思うと、ずいぶんと落ち着きを取り戻していた。
ケイオス殿の指揮のもと、侵略の準備が順調に進められていることに、喜びを感じておられるご様子だった。
魔転のロザンジュにより、膨大な闇の魔力が研究施設にため込まれている。
それは、複数の転送装置を同時に稼働させ、隣国に軍隊を送りこむために必要な魔力だった。
考えただけで恐ろしい計画だ。
そんななかでも、闇属性魔導師のイザゲルは、私に希望を与えてくれる。
王妃陛下の病状は、少しずつ、本当にゆっくりとだが、確実に改善しているようだった。
彼女を連れてこられたおかげで、陛下の私に対する信頼もかなり回復している。
しかしまだ、王妃陛下はベッドから起きあがることができないようだ。
長い眠りから目覚めたばかりの乙女のように、彼女は弱々しく微笑んでいるという話だった。
「我が騎士エンベルトよ。早く元気になったリリアを、国民たちに見せてやりたいものだな」
陛下はたびたび私を書斎によび、不安げな顔でそんなことをおっしゃっていた。
王妃陛下の元気なお姿を目にできれば、国民たちもどれだけ安心するだろうか。
私もイザゲルの治療には、心の底から期待をしている。
彼女が王妃陛下を癒せるかどうかに、この国の運命がかかっているのだ。
――表面上は冷静に見えても、陛下のシャーレン様への憎悪は増している。
――それでも、王妃陛下が回復すれば、きっと……。
闇のモヤは各地で増え続けている。
魔転のロザンジュだけでは、やはり浄化が間にあわないのだ。
あの魔道具を作るには、希少な素材が必要らしい。加えて、高度な機構に大きな負荷がかかるせいか、故障や不具合も頻発している。
それでも断固として、聖騎士による浄化を禁じているのだから、陛下の憎しみは相当なものだ。
しかし、そういう事情があるなかでも、表向きはシャーレン教への弾圧などは行われていない。それは陛下たちが水の国へ、奇襲による侵略を画策しているからだった。
イザゲルが、王妃陛下を魔物化させたのはそんなときだ。
私が王の書斎へ駆けつけたときには、すでに王子殿下は血まみれで床に倒れていた。
陛下は息子の血で真っ赤に染められた自分の手を凝視しながら、床で腰を抜かしている。
私が魔物を討とうと剣を抜くと、陛下が慌てて私を止めた。
私がその魔物を王妃陛下だと理解するのに、それほどの時間はかからなかった。
大きく膨れあがった魔物の体には、裂けた白いナイトガウンと、淡い桃色のレースのローブが絡みついていたのだ。
そしてそのローブには、王妃陛下の象徴である、ラーンの花が刺繍されていた。
私は絶望に沈みそうになりながらも、なんとか王妃陛下を誘導し牢屋にいれた。
そのころには、私も傷だらけになり、本当にひどい有様だった。
イザゲルが逃げたと気付いたのはその直後だ。
――なんてことをしてくれたのだ! きみは私の、唯一の希望だったのだぞ!
その日から聖騎士たちは、毎日エリミネイトを唱え続けた。
ヴァルター殿にしか成し得なかった、あの高度な修復魔法だ。
しかし、何度呪文を唱えても、その魔法が成功することはなかった。
エリミネイトは純粋な正義の心を持つものにのみ、発動できる魔法なのだ。
罪なきものを犠牲にしてきた後悔と、イザゲルへの深い憎しみを抱えた我々には、どんなに鍛錬しても使えないだろう。
陛下に失望され、ケイオス殿には蔑んだ目で見られ、聖騎士たちの目が死んでいく。
怒りと悲しみの海の底に、全てが沈んでいくようだ。
「なんて惨めで情けないんだ……。我々は、なにもできない……」
絶望に沈んだ顔で、そう呟く仲間たちに、私が言えることはなにもなかった。
「こうなったのは、全部、全部、あの女、イザゲルのせいだ」
怒りに震えながらイザゲル捜索の王命を出す陛下。しかし、その足取りは一向に掴めない。
気が付くと、陛下の怒りの矛先も、シャーレン様からイザゲルへ、そして、闇属性全体へと移り変わっていた。
闇属性をみな殺しにしろという陛下を、我々は必死に止めた。
しかし魔物化してしまった王妃陛下の姿を見るたび、陛下の怒りは再燃してしまう。
イザゲルに希望を託していただけに、私にも陛下の憎しみが理解できた。
――陛下はずっと、この感情に駆り立てられ、突き動かされてきたのだな。
――心からの忠誠を誓っていながら、私はいままで、どれだけ陛下のお心に寄り添ってこられただろうか。
「殺せ! 闇魔導師は全員処刑だ! 闇の精霊たちも、全員だ!」
「陛下のお心のままに」
そうして私は王命に従い、罪なき闇属性の者たちを処刑するため、国中の村を回ることとなったのだった。




