194 エンベルト8~窮地の博士~
[前回までのあらすじ]イニシスの王はシャーレンとの契約破棄をほのめかし、それを守りたければ王妃を治療せよと聖騎士に迫る。エンベルトはシャーレンに王妃の治療を頼んだが、治療は失敗に終わってしまい……。
場所:オルンデニア
語り:エンベルト・マクヴィック
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シャーレン様による王妃陛下の治療は失敗に終わった。
非常に残念なことだったが、シャーレン様にも不可能なことはある。
それでも王妃陛下のご病気の原因が判明したことは、シャーレン様のおかげであり、素晴らしいことだろう。
私はなんとか気を取りなおし、騎士団を指揮して、治癒魔導師探しに奔走した。
陛下はアジール博士を王国軍の武器開発第一人者に任命し、本格的に侵略戦争の準備をはじめている。
すでに陛下の耳に、私の進言は届かなかった。それどころか、陛下はすっかりケイオス殿の言いなりだ。
ケイオス殿の意見に異を唱えようものなら、私が処刑されかねない。王宮内は、そのように危機的な状況だった。
この計画を阻止するためには、水の国への侵攻が始まる前に、なんとしても王妃陛下を治療するしかない。
陛下は恐ろしく殺気立ち、すぐにでもシャーレン様との契約を破棄したがっている。
私は陛下のお気持ちを和らげようと、新たな治癒魔導師を次々に王宮へと送り届けた。
陛下は彼らに期待している。もし治療が成功すれば、戦争を避けることができるかもしれない。
王宮にはすでに、闇属性を除くすべての属性の治癒魔導士たちが揃っていた。
ある村から招いた炎属性の治癒魔導士は、温感魔法により患者の血行を改善し、身体の苦痛を取り除くことができた。
心の症状にも効果があるのではないかと期待が高まる。
また水属性の治癒魔導士は、解毒や傷の化膿を防ぐ魔法が得意だった。特に肌あれの改善には自信があるという。
肌の状態が改善すれば、心も晴れやかになるのではと期待された。
そのほかの属性の魔導師たちも、みなそれぞれに治癒魔法を使えた。同じ属性でも人によって、得意な魔法もその効果もさまざまだ。
しかし何人治癒魔導師を連れてきても、王妃陛下のご病気は一向に改善しなかった。
高名な治癒魔導師たちが、次々に投獄されていく。私もできる限り手を尽くしたが、また数名が処刑されてしまった。
――この国の平和は、治癒魔導師たちの犠牲により保たれているのだ。あなた方の死は決して無駄ではない。無駄にはしない。
――罪なき魂に、シャーレン様の光の注がれんことを。
しだいに私は、治癒魔導師に拘らず、魔力の高そうな魔導師なら誰彼かまわず、王宮へ引きずっていくようになった。
それはほとんど人攫いだったが、国中が戦禍に包まれ、闇のモヤに呑み込まれることを思えば、ほかに選択の余地はなかった。
だが、こんなことはいつまでも続けられるものではない。投獄されている魔導師たちもいまに処刑されてしまうだろう。
魔導師たちは我々を恐れ、必死になって隠れようとしている。
捜索を命じられた騎士たちも、民衆に対し高圧的な態度をとるようになった。
彼らは詳しい事情を知らされていないが、ただならぬ私の様子に、不穏な空気を察している。
そんななか、嫌われ役を押し付けられ、毎日私に急かされているのだ。苛立ちを隠せなくなるのも当然かもしれない。
――弱ったな。本当に弱った……。
私が頭を抱えていたとき、また新たな魔導士が一人、王宮に連れてこられた。
彼女はまだ幼さの残る十五歳の少女で、名をイザゲルといった。
イザゲルは優秀な魔導師たちが多く住む、イコロという小さな村の出であった。
そのなかでも彼女は天才と噂され、王都にまでその名が響いていた。
騎士たちは大いに期待して連れてきたようだ。しかし彼女は治癒魔導師でないだけでなく、闇属性の魔導師だった。
闇属性魔導士は、基本的に治癒魔法が使えない。王妃陛下の治療には明らかに不向きだ。
――彼女もきっと、すぐに投獄されるだろう。
私は彼女を哀れに思っていたが、数日後、驚くべきことが起こった。
ずっとベッドのうえで譫言を言い、暴れるばかりだった王妃陛下が突然穏やかになったのだ。それだけではなく、わずかではあるが、微笑みまで浮かべたという。
イザゲルは闇属性のため治癒魔法は使えなかったが、代わりに魔法薬を調合したらしい。
彼女の薬に、陛下は大いに喜ばれた。
数ヶ月がすぎても、王妃陛下はベッドから起きあがることはできなかったが、顔色は徐々によくなり、抜け落ちていた髪も生えはじめた。
「リリアの病を治したものは、第一王子と結婚させると言ったな。あれは嘘ではないぞ」
陛下はイザゲルに大変な期待をかけ、王妃陛下の部屋のそばに立派な個室を与えた。そして、豪華なドレスを贈って着飾らせては、王子と食事をとらせたりした。
――よかった。最近はすっかり、陛下の気分も落ち着いて、シャーレン様への恨み言もほとんど言わなくなった。あの少女が頑張ってくれているおかげだな。
光の大精霊シャーレン様との契約を受け継ぐ王子殿下が、闇属性魔導師とご結婚というのは、いままでに一度もない話だ。
しかし、シャーレン様をはじめ精霊たちは、人間の魔法属性を個性のひとつ程度に考えているらしい。
それにより契約に支障が出ることはないだろう。王子殿下も陛下のお怒りを恐れて、なにも言えないご様子だった。
△
――王宮が平穏ないまのうちに、アジール博士の研究の内容を把握しておかねば。
我々聖騎士は陛下のご命令により、国土の浄化を禁止されたままだった。
数ヶ月もの間、浄化任務を行わずにいたが、王都周辺の闇のモヤの状況は、想像したほど悪化していないようだった。
ケイオス殿が兵に命じて、闇のモヤを魔力に変換する『魔転のロザンジュ』を各所に設置させたらしい。
菱形をしたこの魔道具は一見鉄の塊に見えるが、高度な技術で造られたものだ。その効果は、私の予想をはるかに超えていた。
だが地域によっては、魔物が急激に増えているようだ。
王国軍の兵たちの、華々しい活躍の話が聞こえてくる。
――魔物がいた方が活躍できるからと、ケイオス殿は意図的にモヤを残しているのか?
――そんなことをして、手に負えない魔物が現れたらどうするつもりだ。
実際に、魔物による被害は確実に増えている。私は焦りと怒りを感じながら、アジール博士の研究室へと向かった。
水の国への侵略計画にも、アジール博士は深く関わっているようだ。
しかし、水の国には、強大な力をもつ大精霊が数多く存在している。そのような国に侵略するなど、考えただけで恐ろしい。
いったいどのようにして、ケイオス殿は隣国に侵攻するつもりなのだろうか。
△
アジール博士の研究室はトールレニアという街の軍事施設のなかにあった。
博士は無理やりここに連れてこられ、いまはほぼ監禁状態で研究を強要されているらしい。
その場所は厳重に秘匿されており、容易には近づけないようになっていた。
しかし幸い、見張りの兵は下級兵士だ。基本的に私の命令に従ってくれる。
騎士団長の私が、上級将官のケイオス殿と敵対しているなど、兵士には思いもよらないことだろう。
「申しわけありません。だれにも場所を漏らすなと、ケイオス将官から厳命されておりまして……」
兵士は心から申しわけなさそうにしながら、目隠しをして私を案内した。
地下道のような、冷たく湿った空気の場所を進み、いくつかの魔法で閉ざされたゲートをくぐる。
ときにはぐるぐると回転させられ、方向感覚も奪われたうえに、かなり歩かされてしまった。
博士はこんな厳重な監視下で、いったいなにをさせられているのだろうか。
――あのアジール博士がこんなことに。名声を得たばかりに、巻き込まれてしまったのだな。
私は博士を不憫に感じながら、その研究室にたどり着いた。
目隠しをはずすと、そこは見覚えのない空間だった。
グレーの石レンガで造られた冷たい壁。窓ひとつない閉ざされた部屋。いったいどこなのか見当もつかない。
研究室の入り口には、別の見張りの兵が立っていた。
「聖騎士エンベルト様! お疲れ様です!」
「あぁ、きみも」
敬礼する兵にそう答えると、研究室の扉が開かれた。
部屋のなかではよく見知った男が、工具を手に必死な様子で魔道具を開発している。
――おっと、これはひどいな。足の踏み場がないぞ。
研究室内はさまざまなものが床に投げ捨てられ、壊れて散乱している有様だった。
失敗作なのか未完成の魔道具に、細かな部品、工具や魔導書などが散らばっている。植物は植木鉢ごとひっくり返り、土で床を汚していた。
割れた食器やかじりかけのパンまで床に落ちている。
「アジール博士……、ご無沙汰しております。お話をお聞かせ願いたいのですが……」
私が入り口で声をかけると、博士は驚いた様子で顔をあげた。
「きみは……。見覚えがあるな。確か、エンベルト君だね。カタレア学園で会ったな。真面目で優秀な生徒だった。よく覚えているよ」
「光栄です」
博士はカタレア学園にときどき講師として授業をしにきていた。私は学年で主席になるため、彼の授業を理解する必要があったのだ。
しかし博士の授業は、難解だった。私はほかの生徒に差をつけるため、必死に彼の本を読み、ときには直接質問に行ったりもした。
「散らかっていてすまないな。近ごろ苛立つとつい物を投げてしまうのだ。もう何日も眠っていないからな……」
「博士、あまり無理をしては体に障ります」
「しかし……。これを完成させるまでは、寝てはいけないと命じられていてな……」
「もしや、ケイオス殿ですか……?」
「うむ。あれは危険な男だ……。きみも大切な人がいるなら、逆らわないほうが身のためだぞ」
博士にそう言われて、私は王都にいる恋人のエレーナを思い浮かべた。
ヴァルター殿の死から多忙が続き、私は彼女と結婚の話を詰めるどころか、ろくに会うことすらできていない。
しかし、彼女に危害が及ぶようなことは、私も絶対に避けたかった。
愛する人のためにも、私はなんとしても、この国の平和を守りたい。
そのためにも、ケイオス殿の作戦がどのようなものか、博士から聞き出さなくてはならない。
そんな決意を固めながら、私はあらためて博士の姿に目を向けた。




