193 エンベルト7~王妃の治療~
[前回までのあらすじ]ケイオス将官にそそのかされたイニシスの王アルトゥール。彼は聖騎士に闇のモヤの浄化を禁じ、『水の国』への侵略を宣言した。聖騎士のエンベルトはイニシスの平和を守るため、シャーレンに王妃の治療を頼みに行くことに。
場所:秘密の祭壇
語り:エンベルト・マクヴィック
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あの日私は、すぐに秘密の神殿に向かった。
そして、シャーレン様の御前で、王妃陛下の苦しむご様子や、国王陛下のつらい現状を、涙ながらに訴えた。
三日三晩土下座しつづけたが、浄化瞑想に比べればなんでもない。
誇り高いはずの聖騎士のこの姿を、情けないと思う民もいることだろう。だがこれは、イニシスの平和を守るためだ。
それでもシャーレン様をわずらわせることは、私には本当に心苦しかった。
彼女は自分の居場所を、人々に知られることを嫌う。
その身体からあふれる癒しの力を欲した人間が、森を汚したり精霊たちを脅かした過去があるのだという。
それに、病気の人間を頼まれるがままに治療することは、自然の摂理にもとると言えよう。
それでもシャーレン様は「特別に一度だけなら」と、王妃陛下の治療を承諾してくださった。
――シャーレン様、感謝いたします! 王妃陛下が回復されなければ、この国は滅亡してしまうところでした。
――これでいままでどおり、王国の平和と、民の幸せを守ることができます!
優しい微笑みを浮かべたシャーレン様を見て、私はまた、感動に胸を震わせていた。
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その一ヶ月後、我々は王妃陛下の乗る宮輿とともに、シャーレン様の神殿を目指した。
ご病気の王妃陛下の乗る宮輿を運ばせるには、二百人近い人間が必要になる。
その行列は、まるで華やかな祭りのようだった。
犬の仮面を被った者たちが踊りながら宮輿の通る道を清めていく。
王妃陛下の回復を祈る民衆が道の脇につめかけ、虹色に染めたラーンの花びらを撒いていく。
できるだけ目立たぬようにと手配していたはずが、どこからか話が漏れ、気が付くとこんな騒ぎになってしまっていた。
王妃陛下の宮輿が神殿に入っていく。
シャーレン様の隠された神殿は、このイニシス王国にいくつか存在していた。
今回治療の場所として選ばれたのは、それらの神殿のうちのひとつだった。
祭りのような大騒ぎなのだから、多くの人間が神殿の場所を知ることになってしまう。
そのためシャーレン様は、王妃陛下の治療が終われば、この神殿を放棄するとおっしゃっていた。
シャーレン様をここまでの面倒に巻き込んでしまったことを、私はまた心苦しく感じていた。
しかし、このまま戦争になるよりは、彼女にとっても良いはずだ。
シャーレン様が祭壇で眩しい背光を放っている。いつ見ても本当に神々しいお姿だ。
――これならきっと。
我々は王妃陛下の宮輿を祭壇の前に降ろさせた。お付きの者が宮輿から王妃陛下を担ぎ出し、祭壇に準備された寝台に寝かせた。
「まぁ……。あの美しかった王妃陛下があんなお姿に……」
「おいたわしや……」
「なんと……。これはひどい……」
ここのところずっと人前に出ていなかった王妃陛下のその姿。
集まった人々はみな憐みの声を漏らしながら、王妃陛下から目を背けた。
王妃陛下はもともと、白く美しいラーンの花にも喩えられるほど、華やかな美貌をお持ちだった。
しかしいま、そのお身体は痩せ細り、髪も抜け落ちてしまっている。
そしてその手には、しっかりと枷がはめられていた。
そうしておかないと、自分で顔を引っ掻いたり、髪をむしったりしてしまうらしいのだ。
寝台に横たわった王妃陛下は、くぼんだ目で周りを見回すと、カッと目を見開き叫びはじめた。
「ひぃぃ……! 早くわたくしを王宮に連れ帰ってくださいませ! だれにもこんな姿は見られたくない! あんなにそう言いましたのにぃー! カリナ! カリナァァァ!」
「リリア様! カリナはここにおります。どうか気をしっかりお持ちくださいませ! ご病気を治して一緒に王宮へ帰りましょうね」
カリナは王妃陛下の侍女だった。彼女は王妃陛下を慰めながら、必死にその手を握り祈りはじめた。
「早く治療せよ!」
陛下がそう言ってシャーレン様を呼ぶと、シャーレン様は寝台に近づいた。彼女がその手を王妃陛下にかざすと、濃く強い金色の光が微粒子のように降り注ぐ。
王妃陛下の顔についていた無数の引っ掻き傷が綺麗に治り、周囲からどよめきが起きた。
しかし王妃陛下は、涙を流し叫びつづけている。
「うぁぁぁ! こんな生き恥を晒すくらいなら、死んだほうがマシでございます! どうかわたくしを切り捨ててくださいませ!」
王妃陛下の泣き声が森の神殿に響き渡る。そのあまりにも悲しいご様子に、お祭り騒ぎだった人々も静まり返った。
陛下は目を見開いたまま、戸惑った様子で立ち尽くしている。
「リリア様……! そんな悲しいことをおっしゃらないでくださいませ……。大丈夫です、ほら、この光を見てください。傷が治っていますよ。ご病気もすぐによくなります!」
カリナはシャーレン様の癒しの光に目を細めながら、王妃陛下の手を握り祈っている。
だが、どれだけ時間が経っても、王妃陛下の悲鳴のような泣き声は、一向に止むことがなかった。
落ち着かない様子で歩き回る陛下。
そんななか、ケイオス殿が陛下に囁いた声が、私の耳に入ってきた。
「陛下、王妃陛下は国民たちの憧れであり、誇りであり、王国の象徴となる存在です。失礼を承知で申しあげますが、このような醜いお姿をいつまでも晒していては、王家の権威を損ないますぞ」
「なっ……。なんと心無いことを! 王妃陛下は病に苦しんでおられるというのに……! 不忠な言動で、王家の権威を蔑ろにしているのはあなたです、ケイオス殿!」
私は思わず声をあげた。
陛下の顔が怒りに赤く染まっていく。陛下はワナワナと震えながら、掠れた声を張りあげた。
「もうよい! はやく、リリアを輿に戻せ!」
王妃陛下は泣き叫びながら、宮輿のなかへ担ぎ込まれていく。
「これはどういうことだ、シャーレン! その光は万病を治療できるのではなかったのか!?」
陛下の獣のように鋭い目が、シャーレン様を睨みつける。
陛下の怒りはまたシャーレン様に向かってしまった。
シャーレン様は悲し気に口を結び、ゆっくりとその首を横に振った。そして、怒れる王を宥めるように、静かにその声を発した。
「イニシスの王アルトゥールよ。あなたの大切なリリアは、心の病にかかっているようです。残念ですが、私には治せません」
「この大嘘つきの羽虫め! リリアは我が妃ぞ! こんな醜いままでいいとでも思っているのか! さては美しかったリリアを妬み、おまえが邪術をかけたのであろう! こんなのは全て、この国を滅ぼさんとする羽虫の陰謀だ!」
「陛下!? シャーレン様は決してそのようなことは……!」
シャーレン様に飛びかかろうとする陛下を、私は慌てて止めに入った。陛下は私の腕を振り払い、持っていた杖を床に叩きつける。
宮輿のなかで泣きつづける王妃陛下の声はますます悲しく、神殿の空気を震わせていた。
だれもがその様子に驚愕し、ただ呆然と立ち尽くしている。
「アルトゥール、あなたがそのように取乱しては、リリアの病によい影響がありませんよ。まずはあなたが心を落ち着け、彼女に愛と尊敬を示しなさい。そして彼女の手を取り、二人で散歩をするのです。その穏やかな時間が、リリアの心を癒すでしょう」
「なんだと! お前はリリアのこれを我のせいだと申すのか! なんという無礼者だ! 騎士ども! いますぐこのいんちき羽虫を切り刻めーー!」
シャーレン様は陛下を宥めてくださったが、陛下はますますお怒りになった。
あまりのことに、騎士団を率いてきた私も、どうしていいのかわからない。
いくら王命とはいえ、私はただの聖騎士だ。超回復の力を持つシャーレン様を、切り刻むことなどできるはずもない。
彼女の神々しく輝くお姿を見れば、それはひと目で判断できた。
「イニシスの騎士たちよ。いまの王に正常な判断はできないようです。落ち着くのを待って連れ帰ってください。私は一度、この場を離れます」
かたまる我々を残して、シャーレン様は空高く飛び立っていく。
私はそのとき、騒然とする人々のなかで、不敵に笑うケイオス殿を見てしまったのだった。




