192 エンベルト6~失われた誇り~
[前回までのあらすじ]騎士団長となったエンベルトは、ケイオスの命令に従い、王妃を治療するための治癒魔導師を探す。しかし治癒魔導師たちは処刑され、王は水の国への侵攻を宣言する。イニシスの平和が終わることにショックを隠せないエンベルトだが……。
場所:オルンデニア
語り:エンベルト・マクヴィック
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――なんということだ。幾百年と続いてきた平和が終わろうとしているのか。
陛下は王妃陛下のご病気で、私が考えていた以上にお心を痛められているようだ。
『水の国を侵さないことを条件に、毎年闇のモヤを浄化するための祝福を授かる』
このシャーレン様との契約は、イニシス王国における平和と繁栄の礎であり、契約破棄などあってはならない。
それは、この国の摂理のようなものだと、私はずっと思い信じてきた。
しかし、これは陛下のご決断だ。その摂理を覆すほどのなにかがあるのかもしれない。
「陛下……。水の国への侵攻にはどのような目的がおありなのでしょうか? 水の国には強い力をもつ精霊や、その恩恵を受けた人間が多く暮らしております。いったいどのようにして侵攻しようとお考えですか?
それに、我々聖騎士が祝福を失えば、闇のモヤはたちまち蔓延してしまうことでしょう。そして、モヤは濃くなると、無数の魔物を生みだします。それについてはどうお考えでしょうか?」
「エンベルトよ、案ずるでない」
陛下はそう言うと、執務机の上に置かれていた象の玩具に手を伸ばした。
宝石で美しく飾られたその玩具はまるで生きているかのようだ。鼻を振り、足を動かして、王に抵抗の意思を示している。
「誠に素晴らしい玩具よのう」
陛下は恍惚とした表情を浮かべ、そのもがき動く象の輝きに目を細めた。その表情を見た私の背中に、なぜか悪寒のような感覚が走る。
――いったい、陛下はなにを……?
私はごくりと生唾を飲んだ。
しばらく見ていると、象は陛下の手のなかで、魔力切れを起こし動きを止めた。
陛下は卓上に置かれていたなにかに手を伸ばすと、それを玩具に近づけた。すると、まるで生き返ったかのように象が再び動きはじめる。
「これがなにかわかるか?」
陛下が私に見せたのは、無機質な鉄の箱のような、小さな菱形の魔道具だった。首を傾げた私に、陛下はにやりと笑ってみせた。
「おまえもカタレアの出身ならば、天才魔導研究家アジール・レークトンを知っているであろう? あれが、闇のモヤを魔力に変える魔道具を開発したのだ。それがこの、摩転のロザンジュだ」
「なんと……! そのような素晴らしい発明が?」
「そうだ! もうすぐこの国は、シャーレンも聖騎士も不要になる! 偉そうな聖職者たちも真っ青よな!」
――聖騎士が不要!?
陛下のお言葉に、私は思わず息を呑んだ。
浄化の魔道具が発明されたことは、この国にとって、素晴らしいことだ。
しかし、我々は陛下に忠誠を誓い、浄化のために命をかけてきたのだ。それがまさか、陛下から不要と言われてしまうとは。
いままでの陛下からは、考えられない発言だ。
私は震える声を抑えながら言葉を発した。
「し、しかし、そんな魔道具程度の力で、聖騎士と同等の浄化ができるなど私にはとても信じがたく……」
「浄化ではない。闇のモヤは今後、魔力資源として活用されるのだ。それを浄化するなど、愚かなことよ。エンベルト、我は聖騎士たちに、闇のモヤの浄化を禁ずる」
「浄化が禁止!?」
私は目の前が暗くなるのを感じた。きっといま、私の顔は真っ青だろう。
どうしてそんなことを言われているのか、まったく理解が追いつかないのだ。
呆然としている私に、陛下はさらに問いかけた。疑心に満ちた瞳で私の顔を舐めるように見ている。
「我に忠誠を誓った聖騎士よ。おまえは真に我が騎士か? 本当は、我よりシャーレン教に肩入れしているのではないか?」
「ま、まさか、そんなことは……!」
「ならばなぜ、祝福による浄化にこだわり、我が命に背かんとするのだ」
王の冷たい視線が、私の心に突き刺さった。
我が王は、我々がシャーレン様や聖職者たちと手を組み、王家の権威を蔑ろにするのではないかと危惧されたのだ。
シャーレン様への信仰心は、いままで決して陛下への裏切りなどではなかった。
それはシャーレン様に愛された王家への忠誠の証であり、王への忠誠心を高めるものであるはずだった。
――浄化を禁止されたうえ、こんな疑いをかけられるとは……。
いままで信じてきたことや、聖騎士としての誇りが、ガラガラと崩れ落ちていく。
私がしばし放心していると、王の書斎の扉がノックされた。
「入れ」
王に促されて入ってきたのはケイオス殿だった。
彼は困惑している私に歩み寄ると、厳めしい顔で私を睨んだ。
「エンベルトよ。陛下の心を乱すような言動は慎むのだ。陛下はもう、十分に苦しんでおられるのだぞ」
「は……。しかし……、これは……」
「このように見せかけの平和が続いていること自体が、シャーレンの策略だということがわからんのか? イニシスは長きにわたり、周辺諸国への侵略を封じられたことにより、国力も領地も増えることなく、衰退の一途をたどっている」
「な、そんな、封じられたなどと……」
「エンベルト、おまえはまだ若いからわからんのだろうな。イニシスの初代王はかつて、大陸の覇者であったのだ。我々イニシスの民は、シャーレンの祝福などなくとも、自らの力で闇を払い魔物を退け、他国を征服して国を作った。
しかし初代王はシャーレンに惑わされ、国力の増強よりも平和を好むようになってしまった。我が国が寒く貧しいのはそのためだ。
シャーレンは仰々しく我々に力を与え、友好的なふりをしているが、あれはもともと、精霊たちに奪われた我々の魔力だ。
彼女は完全な浄化が叶わない程度に祝福を与え、我々の動きを封じている」
「そんな、馬鹿な言いがかりを……」
「王妃陛下の病気が治らないのも、我々がシャーレンに騙されているせいだ。精霊を神のように崇めることで、我々は創造神ガレナの怒りを買っている。王妃陛下はその怒りをその身に引き受けておられるのだ」
「なにを根拠に、そんなことを……!」
私はケイオス殿が恐ろしかった。陛下がケイオス殿の隣で、納得したように頷いていたからだ。
――なんてことだ。ケイオス殿は心の弱った陛下を惑わせ、戦争を企てているのか。
――この男は以前から、誉れ高い聖騎士を妬み、無用の戦いを好んでいた。
――まさか王妃陛下の治療を遅らせるため、優秀な治癒魔導師に罪を着せ、わざと処刑しているなんてことは……。
――もしや我々に治癒魔導師を探させているのも、聖騎士の心を折るためか?
――私が王宮へ連れてきたばかりに、なんの罪もない善良な民が二人も犠牲になってしまった……。
目の前がグルグルと回っている。
この国の未来は、いったいどうなってしまうのだろうか。
――摩転のロザンジュ……。それがケイオス殿をこんな強気な行動に出させている……。
私はカタレア学園でアジール博士の講義を受けていた。
彼は確かに天才だったが、その魔道具は本当に、大精霊の祝福に代わるほどの力があるのだろうか。
もし博士の魔道具に問題があれば、この国はきっと滅亡するだろう。
焦りで体が震えてくる。
私が青い顔で立ち尽くしていると、陛下はまた二マリと笑った。
「だがな。我もできるなら、戦争は避けたいと思っておるのだ。戦争となれば我も、戦いの矢面に立たねばならぬ。そうなれば病床のリリアにも、心労をかけてしまうからな。
おまえたちがシャーレンとの契約を守りたいというならば、侵攻の準備が整う前に王への忠誠を示すがよい。
さっさとリリアを治せる魔導師を連れてくるのだ。もしくはシャーレンにリリアを治療させ、身の潔白を証明させよ。
それができなければ、我は聖騎士も裏切り者とみなし、水の国への侵攻を開始する」
陛下の出した二つの選択肢は、どちらも私にとって非常に苦しいものだった。
これ以上治癒魔導師たちを苦しめるのも、シャーレン様に無理をいうのもはばかられる。
しかし、こうなってはやるしかないだろう。
――なんとかして、シャーレン様と陛下の関係を修復しなくては。それには、シャーレン様に王妃陛下を治療していただくのが一番だろう。
――人間の治療はしないというシャーレン様だが、あのお方は慈悲深い。誠心誠意頼み込めばきっと……。
「……承知致しました。必ずや王妃陛下のご病気を治してみせます」
「よろしい。くれぐれもこの件は、口外するでないぞ」
王の書斎を出た私は、シャーレン様の説得を試みるため、急ぎ神殿に向かったのだった。




