190 エンベルト4~浄化魔法~
[前回までのあらすじ]スキアズの森で闇のモヤの浄化を開始した聖騎士たち。瞑想する聖騎士を守っていた兵士が一人、モヤのなかにさらわれてしまう。丸三日同じ場所で浄化を続けた彼らのもとに現れたのは……?
場所:スキアズの森
語り:エンベルト・マクヴィック
*************
「くそ! おまえマルセルだな! 心配してたぜ。そんな凶悪なツラになりやがってよぉ!」
「ぐうぉー! うぉうぉう!」
現れた魔物には、初日にモヤのなかに消えてしまった、マルセルの特徴が見て取れた。
しかしその体は緑色に変色し、もとがだれなのかわからないほどに膨れあがっていた。指先には尖った爪。口からは鋭い牙が突き出している。
兵士たちは剣をかまえていたが、彼が魔物化した仲間だと気付くと、攻撃をやめて防御体制に入った。
「マルセル! しっかりしろ、正気を取り戻せ! そんな姿見たらおまえの母さんが泣くぞ!」
「ウガーーー!」
奇声をあげるマルセル!
勢いよく剣を振り、次々に兵を襲う。吹っ飛ばされる兵たち。
しかし、ケイオス殿は盾をかまえ、マルセルの攻撃を受け止めた!
「くそ! なんって怪力だ! 大人しくしろ!」
「やめるんだ、マルセル!」
兵士たちが、二人を取り囲み声をかけている。
しかしマルセルは、ケイオス殿の盾に剣を叩きつける。
巨大化した腕で繰り出される攻撃は凄まじい迫力だ。
ケイオス殿の盾が破壊されていく。
「まずい、このままじゃケイオス殿がやられる!」
「だめだ! 攻撃できねーよ! 相手はマルセルだぞ!」
「くっ、つらいが倒すしかない。許せ、マルセル! トルネードカッター!」
激しい攻撃に耐えかね、ケイオス殿は攻撃魔法を発動した。マルセルの体がみるみるうちに傷だらけになっていく。
「ぐぅぅぅぉぉぉぉお!」
「あぁぁ……!」
マルセルの全身から緑の血が吹き出している。みなが絶望に顔を歪ませた、そのときだった。
「我が名はヴァルター・エルドール! 光の大精霊シャーレンに祝福されし聖騎士なり。光の微精霊たちよ、我が祈りに応えよ! 悪しき呪縛を払い、真の姿を復元せよ! エリミネイト!」
瞑想していたヴァルター殿が立ちあがり、呪文を唱えた。
眩しい光がマルセルを包み込む。
プシューっと音を立てながら、魔物は人間の姿に戻っていった。
傷ひとつないツヤツヤの肌だ。吹き出した血すらも一滴残らず体内に戻り、肌ももとより綺麗になっている。
そして破れていた戦闘服や刃こぼれした剣までが、修復されて元に戻った。汚れひとつない新品の状態だ。
エリミネイトは、あらゆるものを最適な状態にする魔法だった。
回復ではなく、浄化と修復を兼ね備えた複雑で高度な魔法だ。
これを使うと、全ての生物は健康になり、物は新品の状態に戻る。
この過酷な瞑想の最中にこんな魔法を成功させてしまうとは。
「わ、マルセルが元に戻った!」
「あれ? 俺なにしてた?」
「おぉぉ! 治ったのか!?」
「はい! 俺、なんか若返った気分です!」
マルセルはすっかり元気になり、自分の体を見回して驚いた顔をしている。風呂上がりのようにさっぱりした笑顔だ。
「ありがとうございます、ヴァルター殿!」
「すごい……! これがシャーレン様の祝福の力か!」
「いや、これは桁違いだ……。ほかの聖騎士様はこんなことできないはずだぞ」
「信じられない。ヴァルター殿なら本当にいつか、闇のモヤを根絶できたりして……!?」
「もし本当に魔物がいなくなったら、俺軍人なんかやめて、ケーキ職人になろうかな」
「そりゃぁ、いいや!」
「「ははははは!」」
奇跡としか思えないその魔法に、兵士たちはすっかり笑顔になった。
ヴァルター殿はやつれても美しいその顔に、優しい笑みを浮かべている。
いつも目つきが鋭いケイオス殿ですら、少しほっとしている様子だ。
部下を殺さずに済んだのだから当然だろう。
――さすがはヴァルター殿だ! みなの心に希望が生まれたぞ!
――これこそが聖騎士の勤め! 私ももっと、誇りをもって修行に励もう。
――エリミネイトもきっと、習得してみせる!
「ヴァルター殿……。大丈夫ですか?」
私はふらつくヴァルター殿をささえようと彼に手を伸ばした。その瞬間。
――ギュイン!――
闇深い弾丸が風を切る。
ヴァルター殿の腹部に巨大な穴が開き、彼はガックリと膝をついた。
「ぐぁっ!」
「ヴァルター殿!?」
大量の鮮血が溢れ出す。白く整った顔が、みるみると青ざめていく。
苦悶の表情で手を伸ばし、助けを求めるヴァルター殿を私は慌てて抱き止めた。
――なんということだ!?
私とヴァルター殿の周りを、兵士たちが魔法障壁で取り囲む。ケイオス殿は魔物と戦いながら、険しい顔で兵士に怒鳴りつけた。
「おまえら! 油断してるんじゃないぞ!」
「すっ、すみません!」
木の影から現れたのは、ぬめぬめと黒光する大きなワームだった。
王都に近いこの森に、こんな危険な魔物が存在していたとは。
魔物が口を開くと、その赤く醜い口中に尖った歯が円形に並んでいるのが見える。
次の攻撃を放とうと、魔物はそこに闇の魔力を溜め込んでいる。
静かに、しかし、確実に。
「くっ……トルネードカッター!」
ケイオス殿が呪文を唱え、ワームはサイコロのように切り刻まれた。
私はヴァルター殿の手を握る。彼の口から鮮血が吹き出し、青い騎士服が黒く染まっていく。
「そんなっ! 死なないでください、ヴァルター殿! この国にはあなたが必要です! 私はまだ、あなたから学ばなければならないことが……!」
「諦めないでください! 僕がいま治します!」
絶望の涙を流す私のとなりで、治癒魔導師が必死にヒールを唱えはじめた。しかしそれは無駄なことだ。
ヴァルター殿が受けた攻撃はダークバレット。治癒魔法では治らない、転送魔法の一種なのだ。
「治らない!? どうして……!?」
「やめろ。その傷を修復できるのは、ヴァルター殿のエリミネイトくらいだ……」
「そんな……!」
「無駄な魔力を使うな。治るケガ人が治らなくなるぞ」
ケイオス殿に怒鳴りつけられ、治癒魔導師はがっくりと肩を落とした。
悪夢のような光景だ。
ヴァルター殿は長きに渡り、この国の希望そのものだった。
それなのに、私にはなにもできることがないのだ。
「あぁ! 私がエリミネイトを習得できていれば……! 無力な私を許してください、ヴァルター殿……。あぁ、あぁぁ……」
「みな! エンベルトだけはなんとしても守れ。ここで聖騎士を失えば我々は全員魔物になってしまうぞ!」
「「「はい!」」」
私を守るため、兵士たちは必死に戦った。その顔は悲しみと後悔に染まっている。
イニシスの英雄、聖騎士ヴァルター・エルドールは、悲嘆に暮れる私の腕のなか、静かに息を引き取った。




