188 エンベルト2~危険な思想~
今回はエンベルトが聖騎士になって一年ほど経ったころのお話です。
エンベルト二十六歳、オルフェルは十一歳です。
場所:オルンデニア
語り:エンベルト・マクヴィック
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私が聖騎士になり、一年が過ぎた。
今日は、王都からスキアズの森へと向かう日だ。私は王国軍の騎士や兵たちとともに、城門を目指していた。
私はヴァルター殿の補佐をするため、この任務に自ら志願した。闇のモヤを浄化するという、聖騎士の最も重要な任務だ。
ヴァルター殿は私の憧れであり、師でもある。彼の浄化魔法は、だれよりも強力で広範囲に及ぶ。
私はまだまだ修行中の身だ。この任務をやり遂げて、聖騎士としてもっと成長したいと思っている。
スキアズの森は、聖職者たちにより清められた王都と聖地の中間に位置していた。そのためその森は、時折深い闇のモヤに覆われる。
聖職者たちの行う浄化は、モヤを払いのけているだけだ。消し去るわけではないため、周辺地域にモヤが溜まってしまう。
だから、我々聖騎士は、何度でも浄化に赴くのだった。
浄化作業は闇のモヤが小規模な場合は、騎士団だけで行っている。
しかし今回は、魔物が多い場所ということもあり、王国軍の兵士たちが同行してくれていた。
彼らの指揮官は、王に次ぐ権力を持つと言われている、上級将官のケイオス殿だ。
彼はヴァルター殿よりいくつか年上で、近頃は少し白髪が目立ちはじめている。
しかし、これまでの激しい戦闘を思わせる数々の傷跡と逞しい肉体は、彼の強さを物語っていた。
鋭いナイフのように細い目は、どんなときも警戒を怠らず周りを見回している。
彼は魔物との戦いで輝かしい功績をあげ、王国軍の実質的な指揮権を任されていた。
――この国の英雄であるヴァルター殿やケイオス殿とともに戦えることは、本当に光栄だ。私は彼らから、多くを学ばなくてはならないだろう。
英雄たちとともに王都の城門を目指していると、私は身の引き締まる思いがした。
青い騎士服を身にまとい、イニシスの軍旗が風に揺れるのを見ると、少し誇らしい気持ちにもなる。
城門の前では、色とりどりのドレスに身を包んだ、華やかな貴族のご令嬢たちが我々を待ち構えていた。
彼女たちは歓声をあげながら駆け寄ってきて、ヴァルター殿と私を取り囲んだ。
「キャ! 聖騎士様たちが来たわよ!」
「お会いできて光栄ですわ。ヴァルター様、エンベルト様!」
「こんにちは、お嬢様方。お元気でいらっしゃいますか?」
「えぇ、もちろん。聖騎士様たちのおかげですわ」
ヴァルター殿が優しく微笑みながら、ご令嬢たちに挨拶をしている。
ヴァルター殿は三十五歳という年齢だ。しかし、その姿は若々しく、金色の髪やスラリとした立ち姿も美しかった。彼の女性からの人気は凄まじいものだ。
ヴァルター殿は聖騎士として、王国の規範となるべくだれに対しても礼儀正しく接していた。
彼は騎士団の品位を高め、王国の平和と秩序を維持することに努めているのだ。
そんなヴァルター殿に、女性たちが好意や憧れを抱くのは当然のことだ。
――私ももっと見習わなくては。
賑やかな女性たちは、正直なところ少し煩わしいと感じることもある。
しかし仕事の邪魔だなどと言って、冷たくあしらってはいけない。
我々は民の幸せのために、この国に貢献する聖騎士なのだ。
「エンベルト様! いつも闇のモヤを浄化していただいて、ありがとうございます!」
「いえいえ。当然のことをしているまでです。我々はそのためにシャーレン様の祝福を受けているのですから。みなさんが平和に暮らせるよう、今日も精一杯浄化に努めてまいります」
「本当にまじめで立派な方だわ! エンベルト様なら闇のモヤの根絶もきっと叶いますわね!」
「えぇ。期待していてください。私はもっと修行を積み、いつか闇のモヤを根絶してみせます。この国の平和はみなの願いですから」
「キャー! ステキ! お気を付けていってらっしゃいませ!」
「ありがとうございます」
私はヴァルター殿に見習って、礼儀正しく頭を下げた。ご令嬢たちは我々の言葉や姿に感動したようだ。のぼせたように顔を赤らめて私たちを熱く見詰めている。
振り向くと、ケイオス殿が鋭い眼で私を見据えていた。私はその瞳に、深い怒りが込められているように感じた。
――むむ? また怒らせてしまったか……?
実をいうと、こういったことは、これが初めてではなかった。以前にも同じように、彼に睨まれたことがあったのだ。
そのときは私が戸惑っていると、仲間の騎士がこっそりと教えてくれた。
ケイオス殿は、ご令嬢たちのなかに想い人がいるのだと。しかもその女性は、私に好意を寄せている人物らしい。
それが本当かどうかもわからないし、だれのことを言っているのかもわからない。でも、それが彼の怒りの理由なら、私はどう対処すればいいのだろうか。
――まさか、英雄のケイオス殿が、そんなくだらない嫉妬などするはずがない。きっと、お待たせしてしまったのが原因だろう。
私には、騎士団に入ったころから結婚を考えている恋人のエレーナがいる。エレーナは私を支えてくれる、とても愛しい人だ。
だから私は、どんなに女性たちに騒がれても、誤解を招くようなことはしていないつもりだった。
ケイオス殿は私が戸惑っているのを見ると、すぐに睨むのをやめて笑顔になった。
「さすがは誉ある聖騎士だ。今日もすごい人気だな」
「いえいえ、私はまだまだ修行中の身です。ケイオス殿の偉大な功績には遠く及ばず、敬服するばかりです」
女性たちに手を振られながら、我々は王都を出た。
森へ向かう道中、ケイオス殿がからかうように、私の肩を叩いてくる。
「エンベルトよ。婚約者とうまくいってるらしいじゃないか。駐屯地まで差し入れを持ってきたと聞いたぞ」
「あ、はい。よくご存じですね」
「誉れ高い聖騎士殿はなにをしても噂になるからな」
恋人の話を出され、私は思わず照れてしまった。
しかし、ケイオス殿の言葉には、逐一嫌味が込められているようにも思える。
彼はもしかすると私に限らず、聖騎士の人気ぶりに不満を抱いているのかもしれない。
こうして有能な上級将官と歩いていても、聖騎士だけが声援を送られることも多いからだ。
しかし魔物から国を守っているのは聖騎士だけの力ではない。
浄化は聖騎士にしかできないが、すでに湧いてしまった魔物を倒しているのは、聖騎士ではなく兵士たちなのだ。
騎士団の浄化作業が遅れると、まれに恐ろしく巨大な魔物が王都付近に出現することがある。
ケイオス殿はそれを、強烈な風の魔法で過去に何匹も倒してきたのだ。
「聖騎士の人気は、シャーレン様への信仰心によるものです。みな闇のモヤの根絶を期待しています。
しかし、王国軍を統率し、凶悪な魔物を倒してきたケイオス殿こそ、賞賛すべき将軍です。民衆たちにはわからなくとも、我々聖騎士はみなそれを理解しております」
「はは、そうだな。しかし王国軍の最高指揮官は国王陛下だ。私を将軍などとよぶと不敬にあたるぞ」
ケイオス殿はそう言いながらも、少し嬉しそうに見えた。
私たちの会話を聞いて、兵士たちが後ろで口々に話をしている。
「しかしモヤの根絶だなどと、民衆どもは期待がすぎる。聖騎士殿はたいへんだな」
「浄化の力には限りがある。一年分の祝福といっても、大量にモヤを浄化すれば数ヶ月でなくなってしまうというのに」
「ご令嬢たちは、魔法のことをよくわかってないのさ」
彼らのいうとおり、祝福の力は有限だった。
だから闇雲に、そこらじゅうのモヤを浄化するわけにはいかない。
しかし大切なのは、シャーレン様への信仰と浄化への強い意志や願いを持つことだ。そうやって浄化の修行を積み重ねれば、より多くのモヤを浄化できる。
「私は必ずもっと修行をし、より多くのモヤを……、いえ、モヤの根絶をはたしたいと思っております」
決意を胸に、大まじめにそう言った私を見て、ヴァルター殿は微笑んでいる。しかしケイオス殿はひどく呆れた顔をして、ため息交じりにこう言った。
「まぁそう気負うな。闇のモヤは人間がこの世界に誕生した遥か昔から存在すると言われているものなのだ。精霊の力を得たとて、人間には無理な話よ」
「それでも、私は国のため、人々のために……」
「意気込みはわかるがいい迷惑だ。モヤがなくなれば我々の仕事がなくなるぞ、なぁ? おまえたち、そう思わんか?」
「ケイオス殿の言うとおりだ! たまにでっかい魔物が湧いて、俺たちが活躍するくらいでちょうどいいのさ」
「まったくだぜ」
「「ははははは」」
彼らは冗談めかしてそう言っては、私の理想や使命を笑う。
『シャーレン様が与えてくださった五百年の平和は、王国軍の兵たちの役目を奪っている』
そんな彼らの考えは、しばしば私を失望させた。
私が気負いすぎないよう、彼らはそう言ってくれたのかもしれない。それでも私は納得がいかず顔を歪めた。
魔物が湧いてから倒していたのでは、どうしたって被害が出るからだ。
ヴァルター殿はそんな私の肩を叩き、「気にすることはない」と、声をかけてくれた。




