185 聖騎士の誇り3~みなで検討してくれ~
[前回までのあらすじ]アガランス砦に投降してきた聖騎士エンベルトを尋問するオルフェル。シャーレンを捜索してほしいというエンベルトに、彼は激しい怒りと疑問を抱く。エンベルトが話しはじめた『世界の異変』とは?
場所:アガランス砦
語り:オルフェル・セルティンガー
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「世界に異変……? なんの話だ?」
俺が思わず首を傾げると、エンベルトは険しい表情を浮かべた。
「やはり気が付いていないようだな。魔法が使えない地域が広がっていることに……」
「魔法が使えない地域……?」
俺は衝撃で目を見開きそうになるのをぐっと堪え眉根を寄せた。しかし生唾を飲む音が牢屋に響く。
俺の動揺を察したのか、エンベルトは見透かすような視線で静かに俺を観察していた。
――本当ならとんでもない話だぜ……?
俺の胸が焦りに震えている。
俺たちの生活は魔法に依存しているのだ。
「シャーレニア地方ではもはやかなり広範囲で、魔法が使えなくなっている。これがどういうことかわかるか?」
牢屋のなかの男が俺に質問を投げかける。俺は魔法のない世界に思いを馳せた。
魔法が使われるのは魔物退治や戦争だけではない。明かりや暖房、食料の生産や調理、情報のやり取りや各種契約など、実にさまざまなものが、生活魔法に支えられている。
もしこれを失えば、俺たちは寒さと暗闇のなか、やがて食料難にも見舞われるだろう。魔法障壁や魔道具を発動できなくては、魔物の餌食になるしかない。
――なに言ってるんだ? そんなのこの世界の終わりじゃねーか?
俺は焦りに波打つ胸を抑えながら、血と泥にまみれた捕虜たちを見回した。
捕虜たちは裸のままだけど、正座の姿勢を崩さずにいる。震えているのは涙のせいだけではない。零度を下回る気温に凍えているのだ。
しかしエンベルトだけは、泣くことも震えることもなく、まっすぐに俺を見据えていた。
座っていてもわかるくらい背が高く、その体は均整のとれた筋肉で覆われている。体力も魔力も俺よりもはるかに高いだろう。
いまは魔力を封じる腕輪で拘束されているが、それでもその身体からは、彼が別格の存在であることを示す背光が、かすかに発せられていた。
どんなに民衆が暴徒化しても、この男は絶対負けたりしない。
聖騎士たちは本当に、一度死のうとしたのだろうか。そして死の淵で覚悟を固め、世界を救おうと立ちあがった?
俺はその場で目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。
燃え盛り渦巻く怒りの炎。俺はそれを鎮めるように、ゆっくりと鼻から息を吐き出す。
いまは怒りに任せて、恨み言をいう場面ではないのだろう。
この男は大嘘つきで、まったく信用に値しない。だけどレーギアナで彼が語ったイザゲルさんの話は、全て真実だったのだ。
だからきっとこの話も、全てが嘘とは言いきれない。
――そうだ、こいつが俺らの知らねーことを、いろいろ知ってんのは間違いがねーんだ。
――もっといろいろ聞き出して、嘘か本当か判断しねーと。
俺は丸椅子に座りなおした。テーブルの上に調書を広げ、設置されていた羽ペンにインクをつける。
「話せ」
俺がそう言うと、エンベルトは恐ろしい話をはじめた。
「アジール博士がいまいる研究施設はもともとはスキアズの森にあった。それなのに、なぜきみたちはレーギアナの森からあそこに辿りつけたのか、それがわかるか?」
――うん……?
俺はペンを持ったまま首を傾げた。あの場所はかなり異様な空間だった。
膨大な力が働いていて、時空がねじれているような、とにかく危険な感じがした。
俺が顔をしかめるのを見て、エンベルトがまた話しはじめる。
「レーギアナの森にあったのは、アジール博士が昔住んでいた古い屋敷だ。きみたちも屋敷の外観や内装を見ただろう? あの場所は研究施設ではなかったはずだ」
――確かに、あれは……。
俺は闇のモヤのなかで見た、寂れた屋敷を思い出した。
荒れはてた庭に置かれたブランコやテーブルセット。それから、屋敷のなかに飾られていた絵画や赤い絨毯の敷かれた廊下。
あそこは研究施設ではなく、普通に人が生活するための屋敷だった。
それが迷宮で迷っているうちに、あのおかしなカプセルのある研究施設に辿りついたのだ。
「理解したか? アジール博士のいる場所は博士の魔法により、あらゆる研究施設や軍事施設とつながっている。そしてその全てが、マレスが囚われた地下牢へと通じているのだ。
マレスを浄化しないかぎり、闇のモヤは国中から溢れてくる。
リューグエンの森、レーギアナの森、スキアズの森にある闇のモヤも、発生源は全てマレスだ」
「国中が、マレスとつながってる……?」
「そうだ。この国にはもう逃げ場などない。マレスを放置すれば、いずれイニシス中が闇のモヤに覆われることになる」
――またそんな、大袈裟な嘘を……。
そう思いながらも、俺はあの迷宮の牢屋に入れられていた、大量の魔物やマレスの姿を思い出していた。
それが本当だとしたら、アジール博士はいったいなんのために、あの魔物だらけの迷宮を作っているのだろうか。
「魔法を使えない地域が広がった原因はわからないが、私はアジール博士が関係していると踏んでいる。
放置しておけばオトラーの領地でも、魔法が使えなくなるのは時間の問題だろう。
そうなればもう、魔物退治は不可能だ。なぜなら魔法が使えない地域でも、魔物は魔法が使えるからな」
「はぁ……? さすがに話を作りすぎだろ? そうやっていままでも、民衆を怖がらせて煽ってきたのか?」
俺はできる限りの皮肉を込め、冷ややかにそう答えた。だけど俺の身体が、狼狽えて震えている。本当ならあまりに酷い話だ。
人間が魔法を使えないのに、魔物だけが魔法を使ってくるなんて。
しかもそれを、アジール博士が主導している?
「これは作り話ではない。きみたちだって見ただろう? あの頭のおかしい研究者を。狂気のイザゲルを。闇に堕ちた大聖霊を……。彼らはなにをしてもおかしくない」
――うーん、それは確かに……。
俺が黙ってしまうと、エンベルトはまた話しはじめた。
「マレスの絶望は深く、モヤは刻々と広がっている。このままではオトラーも危ないのだ。
シャーレン様の行方を探すことが、この世界を救う唯一の道だ。きみたちが手を貸してくれれば、我々はモヤを浄化するため、この命を捧げると誓おう」
――闇のモヤを浄化できるのは聖騎士だけ……。俺たちはこれに従う以外方法はないのか?
オトラーにいる魔導師たちは光の精霊と守護の契約を交わしていても、闇のモヤの浄化は行えない。
聖騎士たちは、適性があるだけでなく、専門の訓練を積んでいるのだ。
そして、その訓練のための方法は、シャーレン教の教会が管理しており、一般のものは知ることができなかった。
浄化魔法は、聖騎士たちにのみ許された魔法、こんなのは本当に理不尽な話だ。
――なんとかなんねーの?
俺たちは、この憎くて情けない聖騎士に頼らざるを得ないのだろうか。
悔しさが胸に押し寄せてくる。いま聞かされた話にも、まだまだ理解が追い付かない。
この世界は、滅亡に向かっているのだろうか。
「たとえその話が本当でも、俺たちは聖騎士を許さねー。おまえらは道具にされるだけだ。受け入れられることも、感謝されることもないと思え。聖騎士の功績は全部、オトラーのものだ」
冷たく放った俺の言葉に、エンベルトは瞳を輝かせた。
「それでかまわない。みなで検討してくれ」
△
俺はそのあと、時間をかけて聖騎士の話を聞きだし、報告書をまとめて収容所を出た。
エンベルトの気迫にやられたのか、なんだか頭がくらくらしている。
目の前がぼやけて、耳には血の気がせまる音が響いていた。
「はぁ~~~~」
俺が力なく地面にへたり込むと、ミシュリとシンソニーが駆け寄ってきた。
「オルフェル君……!」
「大丈夫? すごい顔色悪いよ」
俺を心配する声が聞こえる。
肩に触れる二人の手が、俺の冷え切った心に温かさを伝えてくれた。
俺を想ってくれる二人の姿に、俺はすごくホッとした。
「ミシュリ! シンソニー! 俺本当に、びっくりするくらいムカついたぜ! でも見て? すっげー報告書できたから! 俺えらくねーか!?」
「わぁ、よく燃やさずに書けたね」
「本当にお疲れ様! えらいえらい!」
俺がいま作った報告書を掲げて見せると、二人が交互に俺を褒めてくれた。たとえ一緒にいなくても、俺はずっと、二人に支えられていたと思う。
「まぁ、きつかったけど、ミシュリとシンソニーの顔見たら落ち着いてきたぜ。でもあいつら、早く服着せねーと、見苦しすぎるな」
「服はいま準備させてるよ。まだ数が揃わないみたいだけど」
「そうか、まぁ人数が多いからな……。あ、それからシンソニー、あいつらのケガ治しといてくれ」
「えぇ!?」
シンソニーが不満そうな声を出す。彼だって聖騎士は嫌いなのだ。
だけど聖騎士にはまだ利用価値がある。
彼らに浄化魔法の方法を開示させれば、光属性魔導師たちがそれを使えるようになる可能性は、きっとゼロじゃないと思う。
それでも祝福を持った聖騎士ほどの効果はないだろうし、訓練にも時間がかかるだろう。
祝福が得られなければ、光属性魔導師たちはかなりの大人数で、地道に浄化を行う必要があるのかもしれない。
俺は報告書をまとめながら、そんなことを考えていた。効果があるのかはわからないけど、試す価値はあるはずだ。
「嫌だろうけど、あいつら……聖騎士たちには、まだ聞かなきゃいけねーことがある。
それにこっから先、光属性魔導師は何人いても足りねーだろうから。生かしておけば、エニーの負担を減らせるかもだぜ。
腹が立っても虐待はすんなって、みんなにも伝えてくれ」
「うーん? わかったよ」
不思議そうにしつつも頷くシンソニー。聖騎士の処遇は、今後の定例会議で決めることになるだろう。
いま聖騎士に死なれては困る。
「ミシュリ、俺はいまから本拠地へ戻る。ネースさんにいろいろ相談しなきゃなんねーから。急いで捕虜を移送するぜ」
「もぅ。オルフェル君? 上官は私なんだけど? まずは尋問した内容を報告してね?」
「おっと!? 上官モードか!」
不満げな顔をするミシュリを見て、俺は思わず笑ってしまう。
大切な人たちがいるこの世界を、破滅になんかさせられない。
俺は二人に状況を説明して、ネースさんに会うため本拠地へと戻った。




