173 ネースの研究室にて1~現実逃避~
[前回までのあらすじ]イザゲルはネースの姉でハーゼンの恋人だったが、王妃の治療のため国王の騎士にさらわれた。その後イザゲルは苦境に立たされ闇落ちし、村々を襲うようになる。苦悩の末イザゲル討伐を決意したネースとハーゼンは……。
微改稿しました(2024/08/15)
場所:ネースの研究室
語り:ネース・シークエン
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オトラー村のクーラー伯爵の屋敷は、かつては広いワインセラーを備えた貴族の酒蔵ともいわれる建物だった。
しかしいまでは、オトラー義勇軍の拠点となり、軍事施設へと改築されている。
ボクの研究室は、そのワインセラーの跡地にある地下室だ。
広々とした空間には魔道具による照明が多数設置され、明るくて清潔な環境が保たれている。
研究用の機材が置かれた台や本棚などは、酒樽を利用して作られ、ワインセラーだったころの名残が所々に見られた。
そんな大人っぽい雰囲気の部屋だけど、ボクはおもちゃが好きだから、部屋の半分はおもちゃで埋まってる。
「ネース、イザゲルを守れなくてすまなかった」
姉さんの討伐が決まった数日後、ハーゼンがボクの研究室に現れた。
ハーゼンは南東の戦線で、大佐として聖騎士軍の侵攻を阻んでいる。
闇魔導師たちを皆殺しにしようとする彼らから、匿っている闇属性魔導師たちを守るためだ。
本拠地に戻っているいまは、もう一人の大佐が代わりに指揮を取ってくれているらしい。
ハーゼンは姉さんを救うために、ともに戦ってきた戦友だ。彼の疲れた顔を見ると、ボクの胸もしくしくと痛む。
ボクは姉さんが王の騎士たちに攫われてからの、ハーゼンをずっと見てきた。
彼はイニシス王国の革命という高き夢を追い求め、王都へと旅立った。
辺境の村で育った平民の少年が、心に秘めたその志。
もしそれを言い換えるなら、どんな言葉が適切だろうか。
届くはずもない想い。
果てしなく遠い願い。
無謀とも言える挑戦。
途方もなく大きな野望?
彼がカタレア学園に入学したのは、そんな果てなき目標に向けての、最初の一歩だったのだ。
だけど姉さんが王妃様の治療に成功し、王子と幸せになる可能性も捨てきれなかった。
彼が革命を実行するのは、あくまで姉さんが苦境に立たされたときだけだ。
そんなのは、すごく切ない話だよね。
『ネース、革命への道を切り開くためには、なにが必要だろうな?』
ある日ハーゼンはボクの部屋にきて、そんなことを言った。
『革命に必要なのは反王制勢力の結束だよ』
ボクがそう言うと、彼はカタ学関係者を通じ、さまざまな分野の有力者たちに接触しはじめた。
ボクが思っているよりずっと、ハーゼンは本気だったんだ。
ボクたちは密かに、革命の下準備を進めていた。
その下準備があったからこそ、あの『闇魔導師追放反対運動』は、あれだけ大きな騒ぎになった。
革命は起こせなかったけど、奇しくもイニシス王国は崩壊した。
ボクたちのしていた準備は、貴族だったシェインの協力を得て、このオトラー義勇軍の基盤となったんだ。
そのあともハーゼンは姉さんのために人生を捧げてきた。ボクだって、いまでも姉さんを愛している。
でも、それだけじゃなくて、ボクはハーゼンに自分の幸せを見つけて欲しかったんだ。
「皮肉だよね。姉さんを助けるために、シェインを利用してまで作ったオトラー義勇軍なのに。結局それが、姉さんを殺すことになるなんて。ハーゼン、きみは姉さんを見捨てたボクを恨んでるの?」
「いや。悪かったのはオレだ。オレが巻き込んだのはシェインだけじゃない。
ネース……この魔玩装備には『平和』への願いが込められてるんだろ。オレはそれを知りながら、いままでこれを振り回してきた。
おもちゃ作りが好きなおまえに、無理やり武器を作らせてきた」
「ハーゼン……」
ハーゼンは作業台の上に、ボクが作った彼の大きな斧をゴトンと乗せた。
――わっははははは!
わっはははは!――
――パチパチ!
パチパチパチパチ!――
斧の柄の部分から拍手の音と笑い声が響いてくる。
ハーゼンの斧は仲間たちに作った魔玩装備のなかでも、特によくできていた。
音は『拍手』だけでなく、『ラッパ』や『子守歌』なども選べるようにした。
刃の部分は魔石の粉で虹色に輝いている。光のパターンも十種類以上あって、見ているだけで楽しい。
さらに刃は歯車で変形する仕組みになっている。魔力を使えば、刃先が回転したり、形を変えたりもできる。
故障しやすい部分だから、特に丁寧に調整した。カッコイイし、ワクワクする仕掛けだ。
要するにハーゼンの斧は、ボクの趣味がてんこ盛りの傑作だった。
だけどハーゼンは、おもちゃの機能を使ってくれない。拍手や笑い声を聞いたのも久しぶりだ。
――わっははははは!
わっはははは!――
まるでいまのボクたちを嘲笑うかのように、その音は研究室に響き渡った。
「クク……。こんな作品、不完全だよね。戦うことも、平和を実現することもできない。ボクの弱さの象徴だ」
ボクは苦笑しながら、自分の作った斧を手に取った。音量を下げて音を止める。
楽しそうな効果音が鳴っても、ボクの心は悲しみに沈んでいくだけだ。
「ネース……」
ハーゼンはボクの肩に手を置いて、そっとボクの名前を呼んだ。
ボクはきみを裏切ったのに、きみはボクを、まだ弟のように思ってくれているのだろうか。
「ボクはわかってた。こんな時代に平和を夢見るなんて、ただの現実逃避だってこと。ボクはもう、おもちゃの武器なんて作らない。本物の強い兵器を作って、必ず姉さんを止めるんだ」
ボクはそう言って、ハーゼンの目を深く見詰めた。ハーゼンもまた、真剣な表情でボクの視線に応えた。
「すまないネース。だがイザゲルを殺すのはオレだ。ネースは武器を作っただけ。それでいい」
「ハーゼン……」
「これがオレの最後の頼みだ。この戦いが終わったら、オレは二度とおまえに武器を作らせない」
力強く響くハーゼンの声。その声にはかたい決意が込められている。
ボクは小さく首を横に振った。
「ハーゼン、もう遅いよ。ボクはもうおもちゃが好きなだけの子供じゃない。ボクはオトラー義勇軍の、武器開発責任者なんだ」
ボクはそう言って、丸まっていた背中を伸ばし、少しだけ胸を張った。
いままでも本当に悩み苦しんだけど、ボクたちの地獄はここからだ。
だけどボクとハーゼンは、ようやく同じ方向を向くことができた。
ハーゼンは悲し気な笑顔を見せてボクの研究室を出ていった。
△
――さぁ、どうしたものかな。姉さんやクルーエルファントを倒すにはただ強い武器があればいいというわけじゃない。ひとつひとつ検証して解決していかないと。
ボクが研究を始めてしばらくすると、コンコンと遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。
「ヒッ」と声が漏れそうになり、ボクは慌てて手で口元を覆った。
――だれ!? ボクの研究室にハーゼン以外の人がくるなんて……。
――こわいこわいこわい。どうする? 居留守にする? それとも死んだふり?
ボクは長年ひきこもってる変人だから、ハーゼンがいないと会話ができない。それはだれもが知っているこの世界の常識だ。
なのに勝手にここへ来て、扉をたたく変なヤツ。ボクの心をかき乱すのはいったいだれだ?
――いやだいやだ。無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。
ボクはいままで、自分の理想を武器に込め、魔玩装備を作りつづけてきた。
武器だって工夫して作れば、使う人に楽しみや驚きを与えることができる。
そしてそれは、この世界の悲惨さをやわらげ、その無意味な戦いのなかで感じる苦痛を忘れさせてくれるのだ。
いつしか笑顔は戦場に満ち、だれもが平和を願う気持ちを思い出す。
この歳でこんなこと考えてたなんて、いま思えば恥ずかしいよね。
――認めるよ。認めただろ?
ボクは本当に幼稚だった。
わかってる。武器はおもちゃとは違うんだ。
武器が生み出すもの。それは暴力、憎しみ、恐怖、不審……。
敵対するものを傷つけ、破壊し、戦争を引き起こす。
その残酷な本質から、それを作る責任から、ボクが逃げることは許されない。
つらすぎる。重すぎる。
それでもボクは、武器を作らなければならない。
なぜなら武器は、危険であると同時に、仲間を守る力でもあるからだ。
愛情、信頼、平和、正義、これらもまた武器の本質だ。
強い武器は交渉や抑止の力になる。ときには戦いを回避したり、終わらせることにも利用できる。
だからこそ、武器は中途半端じゃいけないんだ。
おもちゃ作りにかけたかった情熱を、誇りを、ボクは武器に注ぎ込む。
たとえその武器が、愛する姉さんの体を無惨に切り刻むのだとしても。
――ボクは決めた。だから、ボクをほっておいてね。
――ボクは、これから新兵器を作るために、いろいろ調査しなきゃいけないんだ。ほんとにすごく忙しいんだよ。
――わ、まだノックしてる。いったいだれ? なにしに来たの?
もしかすると、扉の向こうのやつは、新兵器の完成を急かしに来たのだろうか。
だけどまだ研究は開始したばかりだ。いまこんな圧力をかけられたからと、早くなるようなものでもない。
急かすならいますぐ、ボクを一人にしてくれたほうが、百倍くらい早くなるのだ。
――あぁ! なんかボクさっきから抜け毛がすごいよ!? もしかしたら後頭部ハゲてるかも!
――ひどいよ。まだ女の子とまともに会話すらしたことないのに!
頭の毛を思いきり掻きむしったボクは、手のひらに抜け毛を感知し深い悲嘆に沈んだ。
このまま研究机の下にうずくまって気配を消し、扉の外のやつが諦めるのを待つつもりだ。
ボクはどうしてこうなんだろう。自分が情けなくて嫌になる。だけどいまはどうしても、人に会う気になれないんだ。
ボクが一人で震えていると、扉の向こうから声がした。
「ネースさん? 俺です。オルフェルです」




