166 ベランカ1~だっこがいいですわ~
[前回までのあらすじ]謎の原因で魔物化し、義理の兄であるシェインとともに三百年封印されていたベランカ。気が付くと二人は魔物使いのミラナに捕獲されていた。後輩だったはずのミラナに使役されるベランカの思いは……。
場所:ナダンの丸太小屋
語り:ベランカ・クーラー
*************
ナダンさんの丸太小屋の窓辺にて、私はお兄様の姿を忠実に再現した氷像を、大満足で眺めていた。
透明な氷が光を受けて、宝石のように輝いている。
それは実物の二倍の大きさで、窓から見える青空と白い雲に映えていた。
――うふふ。見れば見るほど美しいわ! 私の魔力、放出量もすごいけど、繊細さも素晴らしいですわ。
――おにぃさまの美しい立ち姿をこんなにステキに再現できちゃうんですもの。
――クラスタルは寒くて氷が溶けないからいい場所ですわね!
隣に座っているお兄様も、嬉しそうに氷像を見あげている。その澄んだ青い瞳にも、氷の輝きが映り込んでいた。
――やっぱり、本物がいちばん美しいですわね!
お兄様と二人の時間を楽しんでいると、ミラナが声をかけてきた。
「シェインさん、ベランカさん、少しお手伝いしてもらえますか? さっき使った脚立をあっちの物置き小屋に片付けてきてもらいたいんですが」
「かまわないよ」
すぐに立ちあがるお兄様。
『おにぃさまがミラナに使役されるなんて、本当に不本意ですわ!』
と、はじめは思っていた私。
だれど、彼女は魔物化した私たちに前と変わらず、敬意をもって接してくれる。
ミラナはナダンさんに渡された魔導書を大切そうに抱えていた。
調教魔法の勉強に意欲が湧いているようだ。
――ミラナはいまが頑張りどころのようですわね。
――雑用を押し付けられるのも、いたしかたなしですわ。
私はお兄様につづいて立ちあがった。
そもそも私は、ミラナがそんなに嫌いではない。彼女は不器用なところがあるけれど、それを補えるだけの努力をしているし、真面目でとても信頼できる子だ。
清潔感や品があるのもとてもいい。
そしてなにより、彼女は私たち魔物の運命を一人で背負い、救ってくれた。
その強さと優しさがあったからこそ、私たちは野蛮なまま罪に染まり、殺されることを免れたのだ。
――私だって、そのうちきちんとお礼を言うつもりですわよ?
――もう少し、私を大人にしてくれたらね。
お兄様が脚立を持って外に出ると、雪がさっきより積もっていた。ふわふわと舞う雪に心が弾む。
だけど、一歩踏み出してみると、ブーツが雪にはまってしまった。幼児は足が短いから、膝上まで埋もれてしまうのだ。
「おにぃさま、お待ちになって」
「大丈夫かい? ベランカ。手をつなぐ? それとも、だっこしようか?」
私に手を差し伸べるお兄様の表情は、まるでお父様のような温もりに満ちている。
――おにぃさまったら、また私を子ども扱いして! でも……。
私は少し恥ずかしくなって顔を赤らめながら、小さな声でお兄様に答えた。
「……だっこがいいですわ」
「おいで。ベランカ」
手を伸ばすと、脚立を持っていないほうの手で、お兄様に軽々と抱きあげられた。
お兄様の胸に顔をうずめると、心地よい鼓動が聞こえてくる。
――やっぱり大好き、逞しくて優しくて、嫌いなところがひとつもないんですもの。
――安心するわ。このおにぃさまの温かさ……。子供のころに戻ったみたい。
私は幸せな気分で昔のことを思い出していた。
△
お兄様とグレインがクーラー家の屋敷にやってきたのは、私がまだ六歳のころだった。
私はちょうど、幼児化したいまの私と、同じくらいの身長だっただろうか。
お父様とお母様が「今日からベランカの兄弟になるよ」と、私に二人を紹介したのだ。
二人は遠縁とはいえ平民で、あまり身なりがいいとは言えなかった。特にグレインは服が汚れているし、髪がぼさぼさで鼻水まで出している。
彼は私を見るなり下まぶたを指で引き下げて、「べーっ」と舌を出してみせた。
――まぁ! なんて下品。こんなのが私の兄や弟になるだなんて、認めませんわよ。意地悪して屋敷から追い出してやりますわ!
私は騒がしいグレインが好きになれず、不満でいっぱいだった。私も負けじと彼を睨んで、「ふん」と鼻を鳴らしてみせた。
――グレインに伯爵家は似合いませんもの。追い出すのはお互いのためですわね。どうやって追い出そうかしら? 気の弱そうな兄のほうがいじめがいがありそうですわね。
私は物陰から、荷解きをするお兄様を覗き見ていた。その様子はとても丁寧でグレインとは対照的だった。
バッグから取り出した本や身の回りのものも、とても大切に扱っているようだ。
窓から差し込む夕日に照らされて、彼の金色の髪が輝いている。青く澄んだ瞳はどこか悲しげだ。
――きれい。絵本に出てくる王子様みたい……。
私が息を呑んでその光景を眺めていると、ふいにお兄様に声をかけられてしまった。
「ベランカ? どうしたんだい? なにか困りごとかな?」
――見つかっちゃった! どうしましょう。まだ作戦も考えていませんのに。
覗き見がばれてしまったことに動揺しながらも、私はスタスタと歩み寄って、少し高慢な口調で答えた。
「ふん。私はなにも困ったりしませんわ。私はこの家の本当の娘ですもの。困っているのはあなたのほうでしょう?」
「僕が、困ってるって?」
「だって、ご両親が死んでしまったんですものね? それで、こんな知らない場所にきて、知らない人の子供になったのでしょう? 寂しくて、泣きたくなったんじゃありませんの?」
意地悪を言ったつもりだった。だけど彼の青い瞳に見据えられたとたん、私の目から涙がこぼれ落ちた。
――お母様やお父様が死んでしまった……? そんなの、悲しいに決まってますわよね。
――私、なんてことを言ったのかしら。
後悔が胸に押し寄せてくる。
立ち尽くしている私に、お兄様は心配そうに近づいてきた。
私の頬に手を添えて、綺麗な白いハンカチで、そっと涙を拭ってくれた。
「ベランカ、僕を心配して、泣いてくれているんだね。優しい子だね」
「私、優しくなんてありませんの。みんなには、いじわるべランカとよばれていますのよ?」
彼の言葉に戸惑って、素直に受け止められない私。
気にしていた自分のあだ名を口にしてしまい、恥ずかしくてまた涙が出てきた。
「みんな、ベランカの優しさに気付いていないんだね。もったいないな。きみみたいな可愛い妹ができて、僕はすごくうれしいよ」
お兄様が微笑んで、優しく髪を撫でてくれる。水晶のように澄んだ瞳が、素直になれず隠してしまう、本当の私を見てくれているようで。
――どうしてそんなに、優しい声で私の名前を呼ぶの?
いつまでも泣いている私を、懸命に慰めてくれるお兄様。
はじめて会ったあの日から、私はお兄様が大好きだった。




