145 自粛~どうして隠れるの?~
[前回までのあらすじ]ミラナは三百年前に魔物化し封印された仲間たちを助けるため、魔物使いになった。魔物たちは記憶を失っており、最近捕獲したネースもまだ言葉を発しない。主人公のオルフェルは一途にミラナを想っていたが、三百年前自分に恋人がいたことを思い出した。ミラナは彼を買い出しに付きあわせるため、人間に戻そうとしたが……。
場所:貸し部屋ラ・シアン
語り:オルフェル・セルティンガー
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ミラナに人間に戻されそうになり、子犬姿の俺は大慌てで水槽の裏に逃げ込んだ。
「ちょっと、どうしてそんなとこに隠れるの?」
呆れ顔で首を傾げるミラナ。隙間に挟まって動けなくなった俺は、変なポーズでかたまっている。恥ずかしいけどそれ以上にいまは必死だ。
「今日は俺、腹がいてーからっ。荷物持ちはできねーかなっ」
「え? そう?」
「それに荷物持ちなら俺よりシンソニーのほうが、ミラナの負担も少ねーだろ!」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
解放レベル3で人間になる俺は、解放レベル2で人間になるシンソニーより、人間にするのに必要な魔力が多い。それに人間の状態を維持している間も、ミラナに負担がかかっているのだ。
――どうだっ。もっともらしい理由だろ!
俺はミラナを納得させようと、真剣な目で彼女を見あげた。水槽越しだし子犬だしでまったく格好はつかないんだけど。
ミラナは訝しげに顔をしかめながらも、諦めたように小さくため息をついた。それからくるっと後ろを向いて、止まり木に止まっていたシンソニーに声をかける。
「うーん。……じゃぁ、シンソニー、来てくれる?」
「ピピ! もちろん!」
「じゃぁ、いくよ。シンソニー解放レベル2」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
ミラナが呪文を唱え魔笛を奏でると、小鳥の姿だったシンソニーが人間の姿に変わる。
三日ぶりに人間に戻れて、シンソニーは嬉しそうだ。
ミラナがシンソニーと部屋を出ていき、俺はホッとひとつ息を吐いた。
――げげ。出られねー。
必死になって隙間からでようとしている俺を、キジーがじっとりとした目で見ている。
「な、なんだよ……」
「いいや? 腹が痛そうには見えなかったなーと思って」
「今痛くなったんだよ。あっ、いてて」
キジーは疑わしいという顔をしながらも、水槽を少し動かして、俺が出られるようにしてくれた。
「ありがとう、キジー」
「いや、邪魔だからだよ」
すぐにネースさんに視線を戻すキジー。助けてくれたのかと思ったけど、どうやら水槽の奥にいる俺が目障りだったようだ。
とりあえず助かったことに「ふぅ」と安堵の息が漏れる。
――ミラナとデートしたかったけど、いまはダメだ。二人きりにはなれねーよ。
『ネースさんのテイムが終わったら、なんでも話す』と言ってくれたミラナ。
だけど俺は、あのテイムの前後で、あまりに多くのことを思い出してしまった。
三百年前、ミシュリと恋人になった俺は、そのあとミラナとも恋人になったはずだ。
本気で愛そうと決めたはずのミシュリと、俺は別れてしまったのだろうか。
彼女とあのあとどうなったのか、どうしてもそこが思い出せない。
――まさか俺、ミラナとミシュリを二股したとか……?
――えー? まさか、そんなはずねーよな?
ミシュリとのその後を思い出そうとするたび、俺はひどい罪悪感に苛まれた。
あのツヅミナの舞う夜に湖の畔で、ミラナに言われた言葉を思い出す。
『オルフェルは、ほかにも好きな人いたじゃない』
ミラナは俺に、恋人がいたことを知っていた。あのときは、『そんなはずはない』と思ったけど、ミラナが言ったことは本当だった。
それなのに俺は、ミラナを嘘つき呼ばわりして責め立てたのだ。
もし俺が、ミラナを理由にミシュリと別れたのだとしたら。ミシュリを理由にミラナを振ったのだとしたら。
いったい俺は、どれほど二人を傷つけてしまったのだろう。
自分の判断、自分の記憶、自分の行動、その全てが疑わしい。
こんな状態でミラナの話を聞いて、俺は正しく理解し、判断することができるだろうか。
またミラナを傷つける結果になるのではないか。そう思うと、俺は不安になるのだった。
――もうちょっとしっかり思い出すまで、犬のまま自粛しよう。
△
ネースさんをテイムしてから、五日が経った。
俺たちは朝から準備をして、みんなでとある湖畔にやってきた。王都の西に広がるアーシラの森だ。
ミラナは今日、ここでネースさんの解放レベルをあげるつもりのようだ。
この森は防衛隊が管理に力を入れているらしく、ほかの場所に比べるとだいぶん安全なのだった。
「なにになるかわかんないけど、大きくなってお部屋が水浸しになったりすると困るからね……」
「ついに人間になるのかな? ワクワクするよ!」
そんなことを言いながら、ネースさんの入った水槽を抱えているのはキジーだ。
結構重いんだけど、本当に気に入っているようで「アタシが運ぶよ」と率先して持ってくれていた。
俺はいま成犬の姿だから、持ってくれて正直助かる。
キジーが期待を込めた瞳で見詰めるなか、ミラナは魔物使いのための魔導書を開き、真剣になにか確認している。
魔導書は書き込みがびっしりで、しおりやメモも挟まれて膨れあがっていた。
この数日彼女はネースさんの解放に備えて、一生懸命勉強していた。ネースさんがなにに変身しても対応できるようにと、知識を深めていたようだ。
ミラナは慎重にウミヘビのネースさんを水槽から出そうとしている。その表情は真剣そのものだ。
ネースさんは毒もあるから、噛まれるとたいへんだ。シンソニーが人間の姿になって、なにかあったときに備えている。
解毒薬も準備しているし、シンソニーのヒールや、麻痺を消す魔法『キュアパラリシス』もあるから万全だ。
「水槽から出して、一緒に出かけられる姿になるといいけど」
少し不安げな顔のミラナ。ウミヘビとはいえ、ネースさんは水槽から出していても、多分死んだりはしないと思う。彼には水の魔力があるからだ。
だけど、ネースさんは捕獲されてからまだ一言も声を発していない。意思疎通ができないと、彼が困っていても気付けない可能性があるのだ。
だからミラナは、念のためしっかり環境を整えて、彼が快適にすごせるようにしてあげたいようだ。
水から引きあげられたネースさんは、俺たちに攻撃するような様子はなく、触られても非常に大人しかった。
毎日与えているミラナ特製のエサの効果も出ているのだろう。
ミラナがネースさんを水辺に置いて魔笛を吹いた。
「ネース解放レベル2」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
青い海蛇だったネースさんの体が、みるみる大きくなっていく。にょきにょきと手足が生え、胴体部分が膨らんで……。これは……!?




