142 魔法魚(紫)~温室と夢と生きる道~
[前回までのあらすじ]イザゲル討伐を決意したオルフェルたち。ミシュリ大尉の部屋を訪れたオルフェルは、下着姿で待っていた彼女に突然キスされ、デートの約束をさせられてしまう。戸惑いながら彼女の部屋を逃げ出した彼ですが……。
場所:オトラー本拠地
語り:オルフェル・セルティンガー
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ミシュリ大尉の部屋を訪れた一週間後、俺は彼女に言われたとおり、村の南の温室を目指した。
――デートか……。
俺の手がじっとりと汗ばんでいる。
無理やり付きあわされてしまったとはいえ、俺にとってそれは生まれてはじめてのデートだった。
――ミシュリ大尉、本気か……? やっぱり俺、からかわれてる?
――いや、でもな。まさかそんな……。いくらなんでも……。
そう思いながらも、『本気にしたの?』なんて言いながら、イタズラっぽく笑う彼女の顔が脳裏に浮かぶ。
彼女が本気でも困るけど、もしそんなからかいを受けたら、それはそれで大ダメージだ。
俺はただでさえ混乱中で、そんな心ない嫌がらせを受け流す余裕なんてどこにもなかった。
ビクビクしながら、俺は約束の温室に近づいた。遅刻なんてしたら一大事だ。彼女のレッドティガーは恐ろしい。
かなり早めに行ったのに、ミシュリ大尉はもう到着していた。
しっかりとおしゃれして、珍しくソワソワしながら俺を待っている。眩しいくらい白いワンピース姿だ。
その姿に、俺の歩みが止まる。俺はここに来てよかったのか。いまからでも引き返したほうがいいのだろうか。
「オルフェル君!」
距離をとったまま動かない俺に、ミシュリ大尉が笑顔で手を振った。慌てた俺は、姿勢を正して敬礼をした。
「ミシュリ大尉……。お疲れさまであります!」
「ぷ。なにそれ。ミシュリって呼んでよ。今日は私たち、デートでしょ?」
「本気ですか?」
「もちろん」
『うふふ』と微笑むミシュリ大尉。彼女が俺の手を握ると、俺の体に震えが走った。
焦りと不安が入り混じる。体が硬直しているようだ。
「いこ?」
「は、はいっ。了解です!」
「そんなに緊張しなくていいでしょ?」
ミシュリ大尉に手を引かれて、俺は彼女と温室に入った。ガラスで作られた美しい建物だ。
日の光でキラキラと輝いて、大尉がすごく眩しく見える。そこは色とりどりの植物でいっぱいだった。
中央には、カタ学の温室を思わせる小さな池が作られていて、数種類の魔法魚が泳いでいた。
周りにはたくさんの植物が植えられている。美しい場所だ。
あたたかく湿った空気と、土や草花の香り。大尉にもらった、あのハーブの匂いも漂ってくる。
「魔法魚の研究は、いつか義勇軍の役にも立つはずだからね。第四小隊の子たちに掘ってもらって作ったんだよ。たいへんだったな」
「自分で掘ったみたいに言うんですね」
俺の返事に不満そうに口をとがらせながら、髪をかきあげるミシュリ大尉。ピーチカラーの髪は炎属性には珍しい優しい色だ。いつも明るい彼女によく似合っている。
「掘っただけじゃ完成しないんだよ。水を引かせたり土をかためさせたり」
「全部人にやらせてるじゃないですか」
「やだな、計画立てて指示を出すのはたいへんなんだよ? 知ってるでしょ?」
「まぁ、そうですね」
「うふふ。でもね、魔法魚にあわせた環境作りは遣り甲斐があるんだよ。まずは水質を整えるでしょ? 水草も普通のじゃダメだから探して手に入れてきたの。それに……」
池のそばのベンチに座って、大尉は魔法魚の話をはじめた。隣に座って話を聞く俺。
彼女の知識量の多さに圧倒される。魔法魚は魔力を持った特殊な魚で、不思議なことにいろいろな属性を持っていた。
普通の魚は魔力なんてないし、魔力があってもだいたいは水属性だ。なのにこの池に棲む魔法魚は、風や土、光に雷、はては炎属性を持っているものまでいるのだ。これは非常に珍しい。
ミシュリ大尉はこの炎属性の魔法魚を研究することで、水のなかでも燃える炎属性魔法を完成させようとしていた。俺にとっても興味深い研究だ。
「炎属性の魚ヒートロンか。すごい夢がありますよね。やっぱり土砂降りのときとか、なかなか活躍できないですから」
雨のなかで無双する自分の姿を想像して、ついワクワクする俺。
ミシュリ大尉は見かけによらず、派手でかっこいい魔法も好きだった。フェロウシャスレッドティガーもそのひとつだ。
彼女は俺と同じ炎属性だから、話題は尽きない。だんだん俺のテンションがあがってくる。
そんな俺の顔を大きな瞳で見詰めながら、ミシュリ大尉は嬉しそうに微笑んでいる。
そのあたたかい視線に、俺の鼓動が早くなっていく。心が熱くなっていく。
――やばい、もっとなんか言わねーと……。
俺は次の話題を探して目線を泳がせた。ミシュリ大尉の手が俺の手に重なる。また身体に震えが走った。
「だっ、だけど。ただでさえ忙しい大尉が、よくこんな研究まで続けられますね! どこからそんなにやる気が湧いてくるんですか?」
俺は上擦った声で質問した。俺たち義勇兵は、自分たちの生活を自分たちで支えている。だから、軍に活動資金を献金したり、物資を納めたりするために、休みの日も各自の仕事に追われているのだ。それは士官といえど例外ではなかった。
俺も休みの日は農作業の助っ人をしたり、簡単な武具の製造をしたりしている。傭兵をして資金を作ることもあった。ミシュリ大尉はしばしば魔法薬を作り、軍に提供しているようだ。
大尉としての役割も大きいなか、それはたいへんなことだろう。それでもミシュリ大尉は、苦労している素振りを少しも見せない。
「忙しくても挑戦したいんだよ。どれだけやるべきことが山積みでも、一歩ずつでいいから、やりたいことをやっていたいの。そうでないと、人生つまらないじゃない?」
「なるほど、そうですよね」
俺は彼女の言葉に頷いた。彼女はこんな時代になっても、自分の夢を追いかけているのだ。
俺にはできなかった。夢は失くしたとあきらめていた。
だけどもし、俺にもそんな夢があったなら。俺もそんなふうに生きられたなら。
彼女は俺に、いつもなにかを教えてくれる。だから俺は彼女に感謝しているし、尊敬だってしているのだ。
魔法の話、勉強の話、カタ学にいた懐かしい人たちの話。俺たちはいろんな話をした。俺がなんの話をしていても、彼女は楽しそうに聞いてくれていた。俺も彼女の話に夢中になった。
その笑顔に浮かぶのは、好奇心や興味だけではない。俺への心配、俺への気遣い、俺への愛情。そのすべてを俺は深く感じていた。
彼女がグイッと近づいてくる。
「それにね? 好きな人とも一緒にいたいんだよ」
驚いてのけ反る俺の目を、彼女がじっと見据えている。彼女の瞳は珊瑚のようなコーラルピンクだ。この美しい人の顔を、俺はよく見たことがあっただろうか。
「ね? 私たち相性がいいと思うでしょ?」
ミシュリ大尉が俺の腕に、自分の頭をもたれさせた。くっついて座ると、強い大尉も意外と小柄な女の人だ。
彼女の体温が伝わってくる。嗅ぎなれたハーブの香りが漂ってくる。
「ミシュリ大尉……。俺、ミラナのことが好きです」
俺は声を絞り出した。彼女の想いに、俺は応えることができない。ミラナを忘れられない俺には、その資格がないと思った。だけど、ミシュリ大尉はまたイタズラな笑みを浮かべている。
「知ってるよ。無理に忘れなくていいって言ったでしょ?」
「どうしてそんなことが言えるんですか……」
「あんなことまでしたのに、言わせるの?」
彼女はまた、不満そうに唇を尖らせた。あられもない彼女の姿を思い出し、急激に顔が熱くなった。
「どうして……。ミシュリ大尉、あんなことする人じゃないですよね」
「だってオルフェル君、女の子の告白全部断るって有名だし……。もう色仕掛けしかないから、思い切ってやってこいってローラに言われたんだよ」
「ローラ大佐か……」
豪快に笑うローラ大佐の姿を思い出して、俺は大きなため息をついた。
あの大佐の指令は過激すぎるのだ。げんなりしている俺をミシュリ大尉が不安げな顔で覗き込んだ。
「今日来てくれなかったら、さすがに泣いちゃうとこだったよ」
「むちゃくちゃすぎます……」
「だって、ずっと好きだったんだよ……。知ってたでしょ?」
――知ってた……かも。
そう思った瞬間、彼女の唇が俺の唇に重なった。飛び跳ねそうになる俺を、彼女がきつく抱きしめる。
彼女は俺のことをいままでもずっと見てくれていたのだろう。
俺の努力も葛藤も、弱さも苦しみも、夢やミラナへの思いも、彼女は全部知っている。
それでも彼女は、俺を好きでいてくれたのだ。そんなうれしいことがあるだろうか。
それなのにどうして、俺はこんなに逃げたいのだろう。
こわくてこわくて、尻込みしたくなるのはなぜだろう。
彼女の唇の熱を感じていると、それがスルスルと紐解かれていく。
――そうだ。俺だってだれかを愛して、一緒に笑って生きていきたい。
――俺はこの気持ちに気付きたくなかった……。
――別のだれかを好きになるなんて、許せないと思ってたから。
いまの俺を見て、ミラナはなんて言うだろう。
背中を押してくれるかもしれないし、呆れてそっぽを向くかもしれない。
だけど俺は、人を愛する道を選ぼう。
大切な人のそばで、俺も生きる理由をみつけて、一歩一歩前へ進んでいこう。
「ミシュリ大尉。俺、本気になってもいいですか?」
「やだ、オルフェル君。ミシュリって呼んでよ」
心を決めてそう言った俺に、ミシュリはイタズラな笑顔を見せた。
ミラナとの恋を応援してくれている読者のみなさまには申し訳ない展開で大変恐縮ですが、オルフェル君は本気になってしまいました。
夢や大切な人を失っても前向きに生きようとする彼を、これからも応援していただけると嬉しいです。
ふたつの愛はどうなってしまうのか? というところですが、次回から現在に戻ります。
ヒドラスのテイムに成功し、下山するミラナたち。魔法で気力を使い果たしたオルフェルは、子犬に戻されシンソニーの背負うバッグに詰められたままですが……。
第百四十三話 追慕~否定できない想い~をお楽しみに!
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