138 海蛇の夢2~変人作戦~
[前回までのあらすじ]三百年前魔物化したネースは魔物使いのミラナに捕獲された。ビーストケージに封印された彼は、闇堕ちしてしまった姉のイザゲルとすごした子供のころの夢を見る。それは姉が騎士に連れ去られた日の夢で……。
場所:夢のなか
語り:ネース・シークエン
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――夢を見ていた。音のない冷たい水の底で。
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「ネース、みてみて? ハーゼンにもらった貝殻のイヤリング、素敵でしょ?」
「くふふ。そうだね、姉さん! 二人がいつも熱々で、ボクもうれしいよ」
姉さんとそんな会話をした日、村に騎士たちがやってきた。王妃を治療できる魔導師を探している王様の命令で、優秀な魔導師を攫いにきたんだ。
「二人とも隠れろ! いまさっき会った人から聞いたんだ。国王の騎士たちがこっちに向かってる。狙いはたぶん、イザゲルだ」
ハーゼンが、慌てた顔でボクの家にやってきた。
――ついに来たか。
だけどボクは慌てない。姉さんは天才魔導師だから、騎士に狙われるのはわかってたんだ。
だからボクは、前々から姉さんを隠す準備をしていた。
「姉さん、これを使って! ウォータースクリーンがあれば、絶対見つからないから」
ウォータースクリーンは、僕が作った透明化の魔道具だ。ボクがそれに手をかざすと、守護精霊のミズリナが水の魔力を込めてくれる。
ボクはそれを、姉さんに持たせて発動させた。水の膜が現れて、ゆっくりと姉さんの姿が消えていく。
ウォータースクリーンの動作は完璧だ。ボクがホッとしていると、姉さんがスクリーンから顔を出してきた。
なんだか顔だけ浮いてるみたいで、不思議な光景だ。
「ネース、でもあなたは? ウォータースクリーンは一人分しかないんでしょ? あなたも天才だって有名だから、私が見つからないと代わりに連れていかれるんじゃ……」
ボクを心配してソワソワする姉さん。だけど、ボクだってもう十三歳だ。姉さんに守られるばかりじゃない。今日はボクが、姉さんを守るんだ。
ボクは姉さんを安心させようと、姉さんにハグをした。だけど姉さんの温かさに触れると、僕のほうが安心してしまった。姉さんの髪の匂いや優しい鼓動は、いつも僕の不安を和らげてくれる。
「姉さん、ありがとう。だけど大丈夫だよ。ボクはウォーターイブルで透明になって裏山に移動するから」
ウォーターイブルは水属性の透明化魔法だ。魔道具より不安定だけど、発動したまま移動もできる。
姉さんから離れるのは心配だけど、いまはかたまっていないほうが安全だ。ボクも強くなって、一人でも騎士から逃げきってやる。
「そっか、でもまって。ウォーターイブルはくしゃみひとつで切れちゃうでしょ。念のため別人に見える幻術をかけてあげるわね。フェイスシフト!」
「くひひ。姉さんは心配性だね」
姉さんはボクの顔を見てうんうんと頷くと、今度は眉をひそめてハーゼンを見あげた。
「ハーゼン、あなたも姿を変えたほうがいいわ。幻術をかける?」
「オレは大丈夫だ。心配いらない」
ハーゼンはボクの変わった顔を見て、苦笑いしながらそう言った。
ハーゼンもしっかり準備はしているはずだ。それに自分のことより、ボクたちのことが心配なんだろう。
ハーゼンはいつもそうなんだ。
寂しげに伸ばされた姉さんの手が、ウォータースクリーンの中から現れた。ハーゼンがその手を握って、姉さんを引き寄せて抱きしめる。僕は顔を赤くしながら横を向いた。
「それじゃ、あとでね。二人とも本当に気を付けて」
「あぁ、わかってる」
「姉さん、顔出しちゃダメだよ」
ボクは姉さんの姿がどこからも見えないのを何度も確認した。万一にも騎士に見つかったら、ボクはもう二度と姉さんに会えないかもしれない。そう思うと、身が縮むほど怖かった。
『王妃の治療に成功したら王子と結婚させる』なんて、王様は言ってるみたいだけど、そんなのだれも望んでない。僕はハーゼンを応援してるんだ。
だからボクはこの日のために、ずっと準備を重ねてきた。だからきっと大丈夫なんだ。
僕は自分にそう言い聞かせながら、自分もウォーターイブルを発動した。水の膜がボクを覆って、ひんやりした感覚が全身を包む。少しだけ視界がぼやけたけど、それもすぐに元に戻った。
裏山に行くって言ったけど、ボクは村の入り口近くに身を潜めた。村に入ってきた騎士たちの様子が気になったんだ。
そして、しばらくすると、村の入り口からお父さんの声が聞こえてきた。
「そんな急に、イザゲルを差し出せって言われても困ります。あの子はまだ十五歳ですよ。それに、イザゲルは闇属性です。闇属性の魔導師は、治癒魔法なんて使えませんよ」
――やっぱり、姉さん狙いか……。でも探しても無駄だよ。姉さんはウォータースクリーンのなかだからね!
ボクがそう思ったとき、後ろからだれかに肩を掴まれた。僕は目を見開いて飛びあがる。大きな声が漏れそうになって、慌てて口を塞いだけど遅かった。
ボクを覆っていた水の膜が剥がれ落ちる。ウォーターイブルが切れたんだ。
――なっ!? 見つかった!? どうして!?
全身から冷や汗が噴き出してくる。ドキドキしながらかたまっているボクの背中に、野太い騎士の声が降ってきた。
「ほう? ウォーターイブルか? その若さでこんな高度な魔法を使うとはな。さてはおまえが、イザゲルの弟、ネースだな? 残念だったな。どんなにうまく隠れても、私の探知魔法はごまかせない。さぁ顔を見せろ!」
――そうか、探知魔法のことすっかり忘れてた!
騎士の威圧的な声に、ぼくはすっかり震えあがった。だけどボクはいま、別人に見える幻術をかけられているんだ。
恐る恐る振り返ったボクを見て、騎士は驚いた顔で目を見開いた。
「うわ、なんだその醜い顔は……。あまりにひどいな。見るに耐えん」
――いったい、どんな顔にされたんだ、ボク……。本当の顔じゃなくても傷つくよ……。
ボクの心がげんなりと沈んでいく。いつも変だって言われるボクだけど、こんなに失礼なのははじめてだ。だんだん腹が立ってイライラしてきた。
――まぁいいや。どうせならもっと変人になって追い返してやる。
ボクは思い切りしかめっ面をして騎士の顔を見あげた。
ありったけの皮肉を込め、だれにも意味のわからない言葉を発したんだ。
――いまの政治って寝ながらやってるのかな? 蛇やサソリみたいに嫌われてるよ? 本当にうんざりするね。――
「ねんねのギャクセイ。ダカツショクショウもらね」
「ん? なんだと?」
――お猿の暴君は悪口言われても気付かないからさ。無法で無能な統治者は早く自滅してよ。――
「サルアンクンにチュウショウガンガン。ずんべらぼうでムホームノー。シキュージメツセツガン……」
「いったいなんだ。よく聞こえないし、なに言ってるか全然わからん。本当に残念な子供だな。ウォータイブルはだれかにかけられたものだったのか……?」
――くらえ! ボンクラ王の傀儡どもめ! 海神の裁きを受けよ! シュッシュッシュッ!――
「くひひ。トンマクグツグツ! ポセイドンサージもらよ! シュッシュッシュッ!」
ボクはポケットから小さなおもちゃの水大砲を取り出して、騎士に向かって連射した。
こんなことするのは危険だろうけど、ボクは我慢できなかったんだ。
怖くて震える手を抑え込んだ。怖くてもボクは戦う! ボクこそが正義の騎士だ!
おもちゃから飛び出した泡が騎士の肩にくっついて膨らんでいく。騎士は忌々しそうに口を歪ませ泡をぬぐった。
「あー、もういい。さっさと消えろ! おまえのような変人の相手をしている暇はない」
騎士は汚いものを見るような顔で、あっちに行けとボクを手で払う。そのあとボクを触った手を、白いハンカチで拭いたんだ。
――なんだよ、腹立つな。だけど助かったからいいか……。ざまぁみろ!
くるっと背中を向けた騎士に、ボクはベーっと舌を出した。ボクの変人作戦は大成功だったんだ。僕は嬉しくて、勝利の握りこぶしを小さく振った。
そのとき、村の入り口から姉さんの声がしたんだ。
「私は、ここにいます」
その声にボクは、青くなって振り返る。
「イザゲル、どうして出てきたんだ!」
ボクが言いたかったことを先に叫んだのは父さんだった。その声は焦りに震えている。
ボクは唖然として、そのままその場に尻もちをついた。心が遠くへ離れていくみたいだ。なにが起きているのか、頭が理解を拒んでいる。
姉さんはきっと、ボクが見つかったことに気付いて、慌てて出てきてしまったんだ。
姉さんは騎士の前へ凛とした表情で歩み出た。その顔に強い覚悟の色が浮かぶ。
成長したその姿には、ますます母さんの面影があった。濃紫の髪が風に揺れる。
ずっと見ていたいくらいきれいな姉さん。だけど涙があふれてきて、姉さんはぼやけて見えなくなった。
騎士たちが姉さんを取り囲む。
――なんでだよ、姉さん。ボクならうまく逃げきれたのに!
そう思ったけど、もう手遅れだった。
姉さんは、どうしようもなかったのかもしれない。
ウォータースクリーンも、探知魔法は想定してなかったし、姉さんの幻術もすぐに切れてしまったから。見つかるのは時間の問題だった。
いつの間にかボクの隣にハーゼンが立っていた。だけどかける言葉なんか見つかるわけもない。
ボクたちは無力感に打ちひしがれながら、連れ去られる姉さんを見送ったんだ。
――こんなことになるなんて。
胸が苦しくて張り裂けそうだ。
ボクたちは全然、天才なんかじゃなかった。
ボクはおもちゃが好きなだけのバカな子供で、姉さんは優しくてときどき少し抜けているけど、普通の恋する女の子だった。
なのに騎士たちは、そんなボクたちを追いかけて追い詰めた。ボクは騎士なんか大嫌いだ。
ボクは部屋に引きこもった。怖い怖い騎士に、二度と会わなくて済むように。
姉さんに会えなくなってしまったことは、ボクにとっていちばんの苦しみだ。
姉さんはどうしているだろう。元気でやっているだろうか。
そんなことばかり考えて泣くボクを、ハーゼンはいつも気にかけてくれた。
ボクたちはいつも二人で、姉さんの無事を祈っていた。




