131 アッシャーの黒猫1~魔法と魔物~
[前回までのあらすじ]三百年前に魔物化し、封印されていたオルフェルたちは、魔物使いのミラナとともに魔物化した仲間を助けようとしている。彼らが封印された遺跡は、三百年前に潜入した怪しい魔法迷宮のようだ。いったいその場所で彼らになにが起きたのか。ネース(魔物化した同郷の先輩)の捕獲に成功した彼らが帰ろうとすると、オルフェルの体に異変が……。
場所:ローグ山
語り:オルフェル・セルティンガー
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「ダメだ……。身体が重い……」
俺の体は石のようにかたまっていた。まったく動けない。声を出そうとしても、詰まった呻き声が漏れるばかりだ。
「大丈夫? オルフェ。これはやっぱりヘキサゴンフォートレスのせいだろうね」
シンソニーの声が聞こえてくる。俺を気にしてくれているようだけど、返事もできない。
ネースさんのテイムに成功した俺たちは、遺跡の外に出て、もときた山道を引き返していた。
今日はとりあえず、あのオトラーが見える、レーデル山の頂まで戻るようだ。
だけど俺はいま、子犬の姿でシンソニーの背負う革のバッグに詰め込まれている。
バッグのなかは暗く、空気が薄い。シンソニーは慎重に歩いてくれているけど、バッグが揺れるたび吐き気がする。道が険しいのだから仕方がない。
――くそぅ。なんで俺こんなことに。帰り道もミラナを守りたかったのに……。
俺は丸くなったまま、ミラナが海に落水し、ベノムスに襲われたときのことを思いだしていた。
あのとき俺は、必死に泳いで彼女に手を伸ばし、ベノムスたちに噛まれながらも、水中でミラナを抱きしめた。
その瞬間、水中が赤く激しく輝いて、周囲の水とともに群がる海蛇たちがはじけ飛んだ。
彼女を守りたいという、俺の願いが形になり、知らない魔法が発動したのだ。
――ヘキサゴンフォートレス……。
数秒で消えてしまうとはいえ、魔法にも物理攻撃にも強い無敵の障壁ヘキサシールド。それを十二枚出してくっつけ、十二面体にしたものがヘキサゴンフォートレスだ。
それが消えることなく、長時間俺たちを守りつづけたのだから、本当に無敵の要塞だと言えるだろう。
魔物化してしまった俺の、この体に宿る魔力は膨大だ。しかも、精霊の力を頼らないということは、勉強しなくても、自分がイメージできれば魔法が出るということだ。
いままで気が付かなかったけど、もしかすると俺は、炎の魔力で可能な魔法なら、なんでも使えてしまうのかもしれない。
そう思うと、少し怖いくらいだった。
だけどミラナが元気になったのを見たとき、俺はなんでもできる。そう思った。
そしてミラナに質問されたとき、俺は自分に酔いながら、その魔法にネーミングした。『ヘキサゴンフォートレス』。放課後の教室で叫ぶくらいカッコいい名前だ。
しかもその要塞のなかで、俺はミラナとキスをした……。彼女もうっとりしてみえたし、夢のなかにでもいるみたいな最高の時間だった。
だけどどうやらそのせいで、俺は気力を使いはたしたようだ。ミラナを守れたのはよかったけど、遺跡を出てから尋常じゃなく体がだるい。
うずくまっていると、ミラナは俺を子犬に戻し、シンソニーのバッグに詰め込んだ。
――なんて雑な扱いすんの? ミラナさん……。俺「やめて」って言いたくても声でねーのに。
――まぁ、笛も吹かなきゃいけねーから、抱いて歩くわけにはいかねーだろうけどさ……。
仕方がないとわかっていても、俺は不満でいっぱいだった。なぜならミラナの肩には、また子猫のライルが乗っているのだ……。
――ミラナ、ちょっと冷たくねー? キスのあともなんかそっけなかったし。うーん。俺また調子に乗ったか?
――ミラナと両想いなのは俺だぜ、ライル……。わかってる?
バッグのなかは孤独すぎる。気力が尽きたせいで、心が沈んでいるのかもしれない。
――というか、黒い子猫か……。そういえばなんか、覚えがあるような……。
目を閉じた俺の頭に、三百年前の記憶が蘇った。
それは、あの地下迷宮で、クルーエルファントを崖から突き落としたあとの、とてつもなく苦い記憶だった。
△
アジール博士の屋敷だったと思われる魔法迷宮。
その罠により落とされた地下迷宮から、見つけた梯子を登った先は、巨大な地下の監獄だった。
象の魔物クルーエルファント。その鋭い牙が、暗闇のなかあちこちで白く光っている。
そしてその周りには、多種多様な魔物たちが大量にひしめきあっていた。その辺の村なんか、あっという間に廃墟にしてしまう数だ。
――なんだこれ! やべぇ。
その恐ろしい光景に、「ヒュッ」とかたい息を吸い込んだ俺は、その音にドキリとして慌てて口を手で塞いだ。
目を見開いたまま、仲間たちと顔を見合わせると、みんなすっかり血の気を失っている。
ネースさんがその血色の悪い唇に指を当て、声を立てないように促した。
こくこくと頷く俺たち。
俺たちは静かにその場所をとおり抜けて、通路の奥の階段を登り、さらにうえの階に移動した。
幸いなことに、魔物たちは、じっとして動かなかった。こっちをみているヤツもいたけど、襲ってくる気配はなかった。
前に俺が戦った、魔物を操る闇魔導師がいないからだろうか。
それでも足が震えて、嫌な汗が噴き出した。もしあれが一斉に襲いかかってきたら、俺たちはひとたまりもないだろう。
――村を襲う魔物がこんなところに飼われてるなんて……。
無言で歩く俺の心が、黒い霧に覆われていく。俺はもがくように手を伸ばした。残されていたわずかな希望の光が、消え入りそうに明滅している。
手が届かない。遠すぎる。この息苦しさはなんだろう。
人から大切なものを奪っておいて、どうして生きていられるのか。あの魔物を飼っているヤツは、人間の命や幸せをいったいなんだと思っているのか。
欲望のために魔物を使って、罪悪感はないのだろうか。それは俺には理解できない、魔物より恐ろしい化け物か。
そんなヤツに、この悲しい魔物たちは操られ、また罪もない村を襲うのだろう。
悔しくてたまらないのに、いまの俺たちはなにもできない。重苦しい沈黙。目の前に広がるのは、途方もない迷宮だ。
『闇のモヤを放っているものはなんなのか』俺たちはそれを確認するためここにきた。
罠かもしれないという予感はあったけど、確認しないわけにいかなかった。決して軽い気持ちで来たわけじゃない。
だけど覚悟が足りなかった。俺たちはまた迷いつづける。もうさっきの場所に戻るのも無理だ。
仕方ない。クルーエルファントは一匹でも強敵なのだ。あんなにみなで頑張っても、崖から突き落としただけだ。
俺たちはもう魔力も少ないし、心も体も疲弊している。あんなにいたんじゃどうしようもない。
どうしようもないから、俺たちは黙って迷いつづけた。
だけど故郷を襲った魔物の前を、なにもできずに素通りして、平気なやつがいるわけもないのだ。
「くそ! もううんざりだ!」
しばらく迷っていると、ハーゼン大佐がそう叫びながら、目の前にあった石の壁に巨大な斧を打ち下ろした。
彼の太い腕や筋肉で盛り上がった背中がその乱れた息遣いにあわせて上下している。
大きな音を立て崩れた壁の先には、どこまでもつづく冷たい廊下。いくら歩いてもなにも変わらない。
――そろそろ本気でやばいな……。
ここは深い闇のモヤが漂う迷宮だ。浄化装置の魔力が切れれば意識を保つこともできない。
そして装置には、シンソニーとエニーの魔力が必要だ。だけど二人も、かなり魔力を消耗している。
二人の魔力が切れる前にここを抜け出せなければ、次に目が覚めたとき、俺たちはあの檻のなかにいるのかもしれない。
「このままじゃ……」
エニーが不安げにそう呟いたとき、俺は廊下の先に、小さな黒猫がいるのを発見した。俺たちに尻尾を向けて止まり、顔だけ振りかえって、誘うようにこっちを見ている。
――ん? こんな場所に、なんで猫なんか……。
不思議な猫に首を傾げていると、とたんにみなが気の抜けたような明るい声を出しはじめた。
「お! あんなとこに可愛い子猫がいるぞ!」
「ほんとだ☆ 子猫ちゃーん、なにしてるの?」
「なんだろ……? 僕たちと遊びたいのかな?」
「あのフワフワの尻尾、触らせてくれないかな♪」
みんなの楽しそうな様子に、俺の張りつめていた気持ちも嘘のようにほぐれていく。学生のころみたいに楽しい気分だ。
「ほんとだ! 呼んでるみたいだぜ!」
俺たちは不思議な子猫に魅せられて、キャッキャと笑いながらそのあとを追いかけた。危険な魔物かもしれないというのに、警戒心なんてものは、微塵もわいてこなかった。
あとから思えば、なにかの呪いか、それとも幻術にかかっていたのかもしれない。
子猫についてしばらく行くと、いままでの廊下にはなかった、重そうな鉄の扉が目の前に現れた。そしてその扉の向こうには、この迷宮の真実が待ち受けていたのだ。




