128 ヒドラス4~あの頃のように~
[前回までのあらすじ]三百年前に封印された六頭の海蛇ヒドラス(同郷のネースさん)と対峙した魔物使いミラナ。海の底に隠れていたヒドラスを電撃で引きずり出し、沈静化魔法をかけるも失敗!弱らせないと仲間にするのは難しい。仲間たちのヒドラスへの攻撃が始まる。
場所:ローグ山遺跡
語り:ミラナ・レニーウェイン
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獣人化したシェインさんの動きは、恐ろしく素早く、鋭かった。
獣人の逞しい脚で氷塊を蹴りあげると、バチバチッと音を立てながら雷に姿を変え、どこにでも移動してしまう。
シンソニーにヒドラスの頭が襲い掛かる!
シェインさんはその頭へ一瞬で移動し、神話の雷神のごとく電撃の槍を突き立てた!
――バチバチ!――
強烈な電流が流れる!
ヒドラスの頭は痙攣し、細かく震え動きを止めた。
――さすがシェインさん。頼もしいわ! テイムしてよかった!
だけど、ヒドラスは巨大で、ひとつやふたつの頭が止まったところで、全体を制圧することはできない。怒りに震えながら別の頭がシェインさんに襲いかかる!
――危ない!
人間のときより体が大きくなっているとはいっても、解放レベル3のシェインさんとヒドラスでは大きさが違いすぎる。
普通なら圧倒されてしまうところだけど、勢いよく振り回される巨大な頭の動きを、シェインさんは冷静に見切っている。
彼は雷雲から落ちる稲妻のように、次々に頭を飛び移って攻撃を仕掛けた。
痺れが治まり止まっていた頭が動き出す! 巨大な口がシェインさんの背後に迫った! 私は息を呑んでそれを見守る。
彼は軽やかに身を翻してそれを避け、ヒドラスの頭に槍を突き立てた!
「キーーーー!」
ヒドラスが苦痛に暴れ、水面に頭を打ち付けるたび、大きな波が氷塊に押し寄せてくる。オルフェルがしっかり私を支えてくれているけれど、冷たく塩辛い水がバシャバシャと顔や服を濡らす。
空はネースさんの心を映すかのように暗く曇りはじめ、そこに閃光のように走る激しい雷が轟いている。そんななか、水面ではベランカさんがペンギンの姿でぴょこっと顔を出している。
「ステキですわー! おにぃさまぁー! 応援してますわよぉー!」
その声は大人のときのベランカさんからは想像もつかないくらい甲高い。バシャバシャと水音を響かせながらフリッパーを振る姿は、まるで小さな応援団のようだ。なんとも言えず、可愛らしい。
シェインさんを振り落とそうと、ヒドラスは必死にその身をよじる!
そこにシンソニーがクチバシを突き立てると、ヒドラスの尾が高く持ちあがり、水面を激しく叩きつけた!
――ザッバーーーーン!――
爆発音のような轟音とともに水飛沫が飛び散る! 水面に大波が立ち、私の乗る氷塊が大きく傾いた!
「ひぁっ」
バランスを崩して声をあげると、オルフェルは私を抱き抱え、後方にあった氷の足場に飛び移った。
「調教、ここからでもいけっかな?」
オルフェルはスタッと氷の上に立つと、私をお姫様抱っこしたまま尋ねてきた。その表情にはさっきまでのような浮かれた様子はなく、視線はヒドラスと戦う仲間たちを見据えている。
「ごめん、届かない!」
調教魔法は対象の心に作用する魔法だ。その威力は術者の知識や魔力や経験、意思の強さだけでなく、対象の心の強さや体の大きさ、対象との距離など、多くのことに影響される。
私は気持ちをしっかり持って、できるだけネースさんの近くで呪文を唱え、魔笛を奏でる必要があった。
かつてネースさんに作ってもらったこの美しい魔笛は、魔力消費を抑えるだけでなく、魔法の威力も高めてくれる、私のお気に入りの武器だ。
彼にこの音色を聞かせれば、きっと彼を鎮めることができるだろう。いますぐ彼に届けたい。仲間たちへの鎮静の祈りを込めた、私の心のメロディーを。
「お願い、もっと前に! もう一回、沈静化を試したいの」
「了解!」
私は前方の足場を指さしてオルフェルにお願いした。オルフェルはひとつ頷いて、ジャンプしようと腰を落とす。そのとき、ヒドラスの頭のひとつが「キーー!」と音を出しながら私たちに向けて大きく口を開いた。
口から無数の海蛇の魔物が噴出されていく。それはまるで蒼白い波のように水中を素早く泳ぎ、私たちに向かってきた。前方の足場が蛇たちに埋め尽くされていく。
――さすがネースさん。だれを狙えばいいかわかってるわ。
私は心のなかで苦笑いした。ネースさんは変人に見えても天才だったのだ。記憶や正気を失っていても、その知性や戦闘センスは失われていないらしい。
――だけど、どうしよう! これじゃ前に行けないどころか、私たち……。
迫りくる海蛇たちを前に私は歯を食いしばった。あれは毒蛇の魔物ベノムスだろう。噛まれればただでは済まない。しかも水属性の魔力を持っているようだ。
「心配いらねー、ミラナは俺が守るぜ」
私の体がこわばったのを感じたのか、オルフェルが耳元で囁いた。防御モードの影響だろうか。彼の落ち着いた声に安心する。彼は私を氷の上に降ろすと、私を腕に抱えてトリガーブレードをかまえた。
「オルフェル、毒を飛ばしてくるから気をつけて!」
「あぁ、まかせとけ!」
オルフェルがそう言うと、トリガーブレードに炎の魔力が宿り刀身が燃えあがった。
彼が剣を素早く振り回すと、炎の渦が巻き起こり、足場の氷塊にあがってきたベノムスたちを切り刻む!
彼の得意技ファイアースワールだ。
輪切りになって飛び散る魔物たち!
これはきっと、防御モードで発動できる剣技の中では最強だろう。炎の剣が空中に赤い軌跡を描きながら、防御しつつも攻撃している。
ベノムスは仲間が切り刻まれると少し怯んで距離をとり、今度は毒液を口から噴射してきた。「キーキー」と耳障りな音を立て、その音だけでも身がすくむ。
オルフェルはさらに剣を高速回転させ、それにより起きた熱風で、飛んでくる毒液の塊すら吹き返した。横や後ろから攻撃が来ると、ヘキサシールドを発動して弾き飛ばしている。
――おぉ……。すごい。
彼の器用さに不器用な私は驚き唸ってしまう。だけど、ベノムスたちは結構大きい。ヒドラスに比べれば小さいけれど、長さは二、三メートル、太さもオルフェルの腕くらいはあるだろうか。
そんな魔物がうじゃうじゃと、波のように足場にあがり群がってくる。しかも炎に強い水中生物だ。
飛んでくる毒液でトリガーブレードの火力が落ちる。オルフェルは防御しきれず、徐々に後退していった。後ろに海が迫り、だんだん逃げ場がなくなってくる。
これ以上後退すれば、シンソニーたちにかけている調教魔法が切れてしまう。いま支援が切れたら、彼らは危機に直面するだろう。
――どうしよう。
そう思ったとき、突然金属音が響いた。
――キーン!――
「げ、トリガーブレードが欠けたっ」
「えぇっ!?」
見ると丈夫なはずのトリガーブレードが大きく欠けてしまっている。当たりどころが悪かったのか、それとも毒で脆くなってしまったのだろうか。愕然とする私。
だけどオルフェルは、素早く剣を鞘に戻し、腕を前に突き出してかまえた。
「心配いらねーよ。ヘキサシールドは無敵だぜ」
お気に入りの剣が壊れても、オルフェルの声が落ち着いている。その様子はすごく頼もしくて、水の国で戦っていたころのオルフェルみたいだ。
――オルフェル……。
彼の周りに六角形のシールドが次々と現れ、群がっていたベノムスを弾き飛ばした。
「おぉっ!? ミラナみて? 防御モードの効果で、ヘキサシールドの出現時間が伸びてるぜ!」
「ほ、ほんとだっ」
本来ならすぐに消えるヘキサシールドが数秒間出たままになっている。
「すげーな、ミラナの魔法は」
オルフェルが感動した声をあげている。だけどすごいのは私より、このヘキサシールドの数だ。
オルフェルは同時に何枚ものシールドを次々に展開しつづけている。いくら防御モードだからと、こんなにたくさん出せるものだろうか。魔力量も尋常じゃないけど、必要なのは気力と集中力だろう。
――でも、いまは褒めないでおこう。せっかく落ち着いてるから。
――きゃんきゃんいうオルフェルも好きだけどね……。
オルフェルの防御モードは確かにすごかった。だけどシールドを出しつづけるだけでは、ベノムスたちは何度でも襲ってくる。ここは撒き餌の出番かもしれない。
「撒き餌撒くよ」
「了解!」
「ほら、おいしいよ~! 蛇さんたち!」
オルフェルがシールドを出すのをやめた瞬間、私は水中のベノムスたちに向かって餌を撒いた。毒を持つ彼らに毒は効かないけれど、気をそらすことくらいはできるはずだ。
ベノムスたちが撒き餌を追って、一斉に振り返り泳いでいく。前方の足場の上にいた魔物たちがいなくなった。
「お、すげー威力! さすがミラナ」
「いまのうちに前へ! そろそろ支援魔法もかけなおさないと!」
「まかせろ!」
オルフェルは私を抱えて素早く飛びあがり、前方の足場に降ろした。私は急いで魔笛を奏で、魔物たちに支援魔法をかけなおした。これが切れれば一大事だ。無事にかけなおせたことにホッとする。
――よし、もう一度ネースさんに沈静化を……。
そのとき突然激しい衝撃が起き、足元の氷塊が砕け散った!
シンソニーたちの攻撃で怒ったヒドラスの尾が、水中から氷塊をかち割りながら飛び出してくる!
――バッシャーーン!――
「きゃぁぁっ!」
「くそっ! はなさねー!」
オルフェルが慌てて私に手を伸ばす。だけどそれは届かず、私は波に飲まれた。無数のベノムスが、私の足に噛み付いてくる。
――痛いっ、痛いよ……!
ゴボッ。
私は苦しくて海水を吸い込んだ。深海に沈んでいく私の目に、海蛇に噛まれながらも、必死にこっちへ泳いでくるオルフェルの姿が映る。
――オルフェルッ!
私も彼に手を伸ばしたけど、意識は遠く離れていった。




