117 情熱的に~ミシュリ大尉の魔法訓練~
場所:オトラー本拠地
語り:オルフェル・セルティンガー
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俺とシンソニーは、オトラー本拠地にある訓練所で、魔法の盾を出す訓練をしようとしていた。
「オルフェは、もっと難しいオルトロス出してるからね。できると思うよ?」
「いやー、オルトロスは召喚魔法だからな。盾とはだいぶん違うぜ」
「とにかくやってみよっか。お願い、ゼヒエス! ウィンドシールド!」
「フィネーレ! ファイアーシールドだ!」
盾をかまえるポーズで叫んだシンソニー。だけど、腕の周りで風が渦を巻いただけで、盾は出現しなかった。
俺も同じように叫んでみたけど結果は同じだ。
「残念、ふたりともイメージ不足ですよ。もっと勉強してきてください」
「ほんとほんと。なにがしたいのかさっぱりわからないわ~」
あきれ顔でそっぽを向く守護精霊たち。魔力だけ吸い取っておいて、盾を出さないとは困ったやつらだ。
俺たちがため息をついていると、ミシュリ大尉が駆け寄ってきた。
「二人とも、森の奥へ行くつもりなんだね」
「えっ、どうしてそれを……?」
「どうしてって、ハーゼン君が思い詰めた顔で、部下を貸して欲しいって頼んでくるんだもん」
「あ、そうでしたか……」
「ほんとにしょうがないよね、あなたたちって。ケガばっかりするくせに、無茶するんだから……」
ミシュリ大尉は心配に歪んだ顔で、腰に手を当て深く息を吐いた。
俺はいま療養休暇中だけど、上官のミシュリ大尉に、こんな隠し事が通用するはずもなかったのだ。
彼女はしばらく考えこんでから、ピーチカラーの髪を耳にかけて言った。
「いまから訓練しても盾は間にあわないよ。でももっと、簡単なシールド魔法があるから、私がみっちり訓練してあげるよ」
「えぇ? みっちりですか?」
「うん、みっちりね! まずはこの魔法陣を、見本なしで完璧に描けるようになるまで練習しなさい。オルフェル君は身体を休める必要があるし、座学がちょうどいいよね」
そう言って、魔導書に描かれた複雑な魔法陣を指さしながら、悪戯っぽく笑うミシュリ大尉。だけど、その瞳は真剣だ。
――あぁ、またあの訓練がはじまんのか。
俺はシンソニーと顔を見合わせ、引きつった笑顔を浮かべた。
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その日から、ミシュリ先輩による特別特訓がはじまった。場所は義勇兵たちの自習のために解放されているオトラー本拠地の図書室だ。
そこは、シェインさんの父親であるクーラー伯爵が生前、オトラーに滞在中の書斎として使っていた場所だった。
天井まで届く本棚には魔導書がぎっしりと詰まっている。
クーラー伯爵は志が高く、村人たちに魔法を教えるだけでなく、自分も学ぶことに情熱を注いでいたのだ。
部屋には傾斜した製図台が何台も並んでいて、魔法陣を模写するスペースが十分に確保されていた。
「そうそう。描けるようになってきたじゃない」
「オルトロスのときに、相当しごかれましたからね」
「あのときは絶望しかなかったわ。オルフェル君製図の前に字がぐにゃぐにゃなんだもん」
「いや、ルーヌ文字は最初からぐにゃぐにゃですから」
「屁理屈言わない!」
「ってぇっ、すません」
ちょっと口答えすると、ミシュリ大尉のゲンコツが降ってくる。「その細い腕でその腕力はおかしいだろ!」と、叫びたくなるくらいの痛さだ。
魔法陣に使う文字は、太古の昔から存在すると言われる象形文字だ。
普段使っている文字とは異なり、ひとつひとつに深い意味が込められており、微妙な曲線や点が複雑に絡みあっていて種類も無数にある。
専門家によれば、文字だけでなく一画一画に秘められた力があり、それらを正しく理解して描けば精霊や自然や宇宙や神々とつながり、その恵みを借りられるそうだ。
もちろん、戦闘中に紙やペンを出して、呪文や魔法陣を書くわけではないけれど、普段から声に出し、手を動かし、イメージを深めて、その神秘を身体に刻み付けることで、必要なときに力を引き出すことができる。
「ここの曲線はもっと、燃え盛る炎をイメージして、勢いよく、情熱的に……」
俺の背後に立ったミシュリ大尉が、羽ペンを持つ俺の手を上から握り、動かしていく。
――わ。耳がくすぐってぇーな。
――この香り……。集中力を高めるハーブか。
ミシュリ大尉が近すぎるせいで、頭のなかがざわついて、ハーブの効力は感じられない。
されるがまま手を動かしていると、美しい魔法陣が描きあがった。
「うん、なかなかいいわね。それをあと、三百回描いてね」
「さんびゃっ……!?」
「その魔法陣はシールドの基礎だよ。丈夫なシールドを出すには、もっと発展させたものを覚えなくちゃいけないんだからね? 集中しなさい!」
――ひぃ……。やっぱり厳しいぜ。
俺が一人で模写をはじめると、シンソニーがミシュリ大尉に声をかけた。
「ミシュリ大尉、僕の魔法陣はどうですか?」
「シンソニー君はばっちりだよぉ。だけど、そうだね。きみは風属性だから、ここはもっと流れるように……穏やかに……」
今度はシンソニーの手を握るミシュリ大尉。真っ赤になったシンソニーを横目で見ながら、ニヤニヤする俺。
――心配すんな。エニーにはだまっとくぜ。
△
俺たちは七日かけて複雑な魔法陣を覚え込み、残りの三日間は実戦訓練に取り組んだ。
「「ヘキサシールド!」」
覚えた魔法陣をイメージしながら呪文を唱えると、俺は赤、シンソニーは緑に光る半透明のシールドを出現させることができた。
「おぉ、出たっ」
「出たね!」
シールドには覚えた魔法陣が浮かびあがっている。属性に応じて細部が異なるものの、同じような防御効果を発揮する便利な障壁だ。
非常に丈夫で、斬撃でも魔法でもほとんどの攻撃を跳ね返せるらしい。
だけど、このヘキサシールドの特徴は、発動から数秒で消滅してしまうということだった。
持続させることができないため、攻撃を受ける直前に反射的に発動させる必要がある。
タイミングを誤ったり、相手の攻撃時間が長かったりするとシールドは消え、ダメージを受けてしまう。
実践訓練ということで、ミシュリ大尉が俺に魔法攻撃を仕掛けてくる。
「フェロウシャスレッドティガー!」
ミシュリ大尉が高らかに呪文を唱えると、赤い炎が巻きあがり大きな魔法陣が現れた。そのなかから真っ赤なトラが飛び出して、咆哮とともに襲い掛かってくる。
「ヘキサシ……んぐっはぁー!」
慌てて呪文を唱えるも間に合わず、俺は地面に叩きつけられた。
「遅い! もっと集中しなさい!」
本拠地の屋外訓練場にミシュリ大尉の怒号と、「ぐるる……」というトラの唸り声が響いた。
燃え盛る炎をまとった巨大なレッドティガー。炎耐性がある俺でも、その威圧感に震えが走る。
――ひぃー、ミシュリ先輩ほんっとにこえー!
――あの複雑な魔法陣をこれと戦いながら思い出せって!?
魔法陣を思い出すどころか、頭が真っ白になっていく。
だけど、ミシュリ大尉は、これでも手加減してくれているようだ。いつもならこのレッドティガーは、二匹同時に現れるのだから。
「ビビってるんじゃないよ! 集中集中! いけーレッドティガー!」
「ぐぉーーー!」
後方に飛びのいた俺に、ミシュリ大尉が追い討ちをかけてくる。
俺の前に立ちふさがり、鋭い牙をむき出しにして、力強く吠えるレッドティガー!
怖気づいた俺を見て、シンソニーも青い顔だ。レッドティガーが再び俺に飛び掛かってくる。
――くっそー! こんなんじゃシンソニーが不安になるぜ! ちゃんと守れるってとこ見せねーと!
「跳ね返せ! ヘキサシールド!」
レッドティガーが俺に爪を突き立てようとした瞬間、六角形の魔法陣が俺の前に現れた。
レッドティガーは魔法陣に弾かれ、悲鳴をあげながら吹っ飛んでいく。
「おわ、防げた」
「そう、それだよ! もう完璧に覚えてるんだから、頭で考えなくても反応できれば防げるはず」
「はぁぁぁっ! ありがとうございましたっ!」
「次! シンソニー君!」
「はっ、はいぃっっ」
――が、頑張れ。シンソニー……。おまえには、守るべきものがあるぜ!
こうして俺たちは、新しい障壁魔法を覚え、闇のモヤへの突入に備えたのだった。




