116 怪しい噂3~繊細な問題~
場所:オトラー本拠地
語り:オルフェル・セルティンガー
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アジール博士の噂話を、先輩たちは信じられないという意見だった。
三人はどうやら、アジール博士に会ったことがあるらしい。カタ学で特別講師をしていて、授業を受けたのだという。
ネースさんは、ずっとアジール博士に憧れて魔玩具を作ってきたのだ。息子を実験台にしているなんて、悪い噂話は聞きたくないだろう。
「じゃぁエンベルトが言うように、闇に堕ちたのは闇の大精霊マレスなんですかね?」
「ふむ……。精霊も仲間を失ったりすると、悲しみで闇に堕ちることがあるようだから、可能性はあるね……」
「あのモヤの濃さを考えると、力のある大精霊が原因というのは説得力があるな」
「だけど、ライルの守護精霊がオルンデニアを封印したなんて……。王都には、ライルの姉のエリザが残っていたんだよね?」
「そうなんですよね」
エリザとライルの姉弟を思い出して、俺たちはまた首を傾げた。
ネースさんにおもちゃを用意してもらって、何度か一緒に遊んだことを思い出す。あの二人は、本当に仲のいい姉弟だった。
マレスはライルの守護精霊だけど、エリザのことも可愛がっていたようだ。そんな守護精霊が、姉弟を引き裂くような真似をするだろうか。
いまレーギアナの森で闇のモヤを放っているのは、イザゲルさんなのか、アジール博士なのか、それとも闇の大精霊マレスなのか。
俺たちは正直、その三人のだれであっても嬉しくない。俺たちと全然関係ない、未知の存在であってほしい。
「とにかく、モヤのなかを確認したい。ニニはどうだ? 彼女の守護精霊ルミシアも、かなり力が強くなってきてるだろう。彼女と一緒ならモヤのなかを調査できるんじゃないか?」
「それはいくらなんでも、危険すぎないかな? いくらルミシアが強くなったって言っても、大精霊の祝福には遠くおよばないからね」
エニーをモヤのなかに連れていく相談がはじまって、俺は慌てた。それはあまりに無謀な行為だ。
しかもエニーはいま別の任務で留守中だ。彼女がいない間に話を進めるのは、いくらなんでもひどいと思う。
「待ってください。そんなあぶない場所にエニーを行かせたら、シンソニーが泣きますよ?」
俺がそう言うと、ハーゼン大佐がバシッとネースさんの背中を叩いた。
「ネース、なんとかできないのか? 本気を出して、おまえの姉さんの無実を証明しよう」
「あぁ……。あそこにはなにもないよ。ボクの大事な姉さんも、ボクの憧れのアジール博士も、もちろん、ライルのお母さんもね。ボクにまかせて。モヤに入れる魔道具を作るもら」
ハーゼン大佐の発言に、ネースさんは決意と自信に満ちた表情でそう言った。
「どれくらいでできる?」
「十日待って。だけど、行けるのは五人まで。ニーニーとシンソニーは必須だ」
「え? 二人を……? どうして二人が必要なんですか?」
「あの二人の魔力と守護精霊力を共鳴させ、闇の侵食を阻む光のベールを展開する。光の魔力を単独で放出すれば、すぐに枯渇してしまうもら。だから、風の魔力は必須。風の魔力で空気の流れを操り、魔力消費を最小限に抑えつつ、ベールの安定性を確保すれば、モヤのなかを長時間移動することも可能もら」
ネースさんは自信に溢れた顔でニヤリと笑った。よくわからないけど、天才の彼には、もう完成までの道筋が見えているようだ。
エニーとシンソニーに限定しているのは、イコロの仲間だけで確認しに行きたいということだろう。
「だけど、あそこは、魔物の発生源ですよ?」
「あの森に現れる魔物は、兵から調査報告を受けている。ボクには対応する準備がある」
――え? もう……?
俺はそのとき、ネースさんと普通に会話できていることに気付いた。彼はいま本気を出している。いや、もしかすると、彼は俺が倒れている間に、すでに準備を進めていたのかもしれない。
俺が言葉を飲み込むと、ハーゼン大佐は太い腕を組んで『うんうん』と頷いた。
「よし、十日だ。シンとニニを呼び戻す。これは任務だ。命令には従ってもらうぞ」
「えっ!?」
ハーゼン大佐の態度に、俺は思わず大きい声をあげた。
この任務はオトラーにとって重要だし、ハーゼンさんは大佐だ。彼に命令と言われれば、二人はまず断ることができない。
俺は彼が、二人を勝手に巻き込もうとしていることに苛立ちを感じた。
「確かに二人は、自分の意志でオトラーに参加しています。だけど、無理強いはやめてください。それと、二人がいくなら、俺も行きます。二人は俺が守ります」
俺がそう言って唇を噛むのを見ると、シェインさんが立ちあがってハーゼンさんを宥めた。
「ハーゼン、この任務は危険度が高すぎるよ。オルフェルの言うとおり、二人の意見を聞くべきだ。もしも二人が拒否するなら、別の方法を考えよう。あまり感情的になってはいけないよ」
「……すまんシェイン。オル、シンとニニの気持ちを確認しておいてくれ」
ハーゼン大佐はそう言うと、気まずそうな顔で頭を掻いた。
「了解です」
「それから、おまえはもう少し体を休めてから防御魔法を練習しておけ。剣で防げない攻撃はいくらでもあるんだ。仲間を守るのもいいが、自分の身も守れ」
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会議の翌日、俺は戦闘から戻ったシンソニーと合流した。彼は俺に会うと笑顔で駆け寄ってきてくれたけど、その目には疲れが見えていた。
思ったとおり、恋人になってから、エニーとはほとんど会えていないらしい。彼女は領地内の見回りに出ていて、まだしばらく帰ってこないという。
シンソニーはエニーのことを心配そうにしながらも、嬉しそうに話していた。
こんなに幸せなはずの時期に、あんな危険な任務に本当に二人は参加しなくてはいけないのだろうか。
昨日の会議の成り行きを説明すると、シンソニーは意外にも「僕は行くよ」と即答した。
だけどシンソニーだって、エニーのことも心配だろうし、自分の命も心配だろう。彼は言わないけど、俺にはわかる。
「ネースさんを信じるしかないよね。僕たちだって、オトラーが崩壊したんじゃ困るしさ。アリストロ軍や聖騎士軍に侵略されるのも悔しいし、仲間との絆が壊れるのも悲しいよ」
シンソニーはそう言って、小さくため息をついた。彼はオトラー義勇軍に入ったことに誇りを持っているし、仲間も大切に思っているのだ。
そして、オトラー義勇軍の兵たちが、イザゲルさんや闇魔導師と対立することを恐れているのだろう。
彼もまた、イザゲルさんに救われたことに感謝の気持ちを持っているし、闇魔導師への迫害にも心を痛めているのだ。
「うん……でもさ、俺たちだけで行くっていうのもなんか嫌だよな……。オトラーはみんな仲間じゃねーの」
俺は昨日の会議で、いまひとつ納得できなかった愚痴をこぼした。俺はオトラーのみんななら、理解してくれると信じているし、秘密を抱えるのも苦手なのだ。
そんな俺を見て、シンソニーは肩をすくめる。
「わかるけどね。でも、これはすごく繊細な問題だよ。イコロ出身者だけで、こっそり確かめるのは、悪くないと思うよ」
「そう思う?」
「そうだよ。僕たちでちょちょっと行って、確認してこよう! ニーニーを連れていくのは、正直本当に嫌なんだけどさ……。だけど、彼女もきっと、行くって言うと思うんだ」
シンソニーはそう言って、頭をかきむしった。
エニーを危険に巻き込みたくないのは俺も同じだ。だけど、彼女もきっと、オトラー義勇軍の崩壊は望まないだろう。
「……なら、やっぱり防御魔法だな! モヤのなかは魔物がウヨウヨだろうけど、俺ももう突撃ばかりじゃねー! しっかり防御もするぜ! 二人は絶対俺が守る!」
俺はそう言って、シンソニーに拳を差し出した。彼はそれに応えてくれたけど、やっぱり少し不安そうだ。
「ありがとう。でも念のため、僕も防御魔法を練習しとくよ。いざというとき、ニーニーを守りたいからね」
俺はシンソニーのエニーへの想いを感じていた。俺にとっても大切な二人だ。絶対に失うことはできない。
俺たちは一緒に防御魔法を練習することにした。オトラーの本拠地のなかにある、訓練用の屋外広場だ。
「防御魔法を練習する……とは言ったものの、俺魔法でかたい物質出すの苦手なんだよなー」
俺はそう言って、手元で小さく火花を散らした。
俺は炎や爆発を起こすのは得意だけど、盾みたいなものを作るのが苦手だ。かたくて大きくて丈夫な盾を作り出すのは、思いのほか高度な魔法だった。
「僕もあんまり。トルネードカッターとかエアスラッシュを使うときは小さい刃を出現させてるけど、また違うよね……」
シンソニーも「うーん」と唸り声をあげている。
彼の防御魔法と言えばリジェクトウィンドだけど、強力な衝撃や貫通力のある攻撃には耐えられない。
「かたくて大きい盾はだせる気がしないかも」
彼も風を起こすのは得意だけど、盾となると話が別のようだった。




