115 怪しい噂2~信じる心~
場所:オトラー本拠地
語り:オルフェル・セルティンガー
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「話しあいをする」というハーゼン大佐の言葉に従って、俺は会議室に向かった。
「よかった! やっと目覚めたね、オルフェル。心配したよ」
俺の姿を見たシェインさんが笑顔で俺を招き入れた。彼の穏やかな表情に、ホッとする。
「ありがとうございます、おかげさまで復活しました!」
「おにぃさま、お茶をどうぞ。オルフェル、あなたもしっかり水分補給をなさい」
「あっ、はい。ありがとうございます!」
ベランカさんがシェインさんにお茶を出したついでに、俺にもお茶を出してくれた。
わかりにくいけど、彼女も心配してくれていたようだ。
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しばらくシェインさんと談笑していると、ハーゼンさんがネースさんを引きずってきて、話しあいが始まった。
シェインさんとハーゼン大佐が難しい顔で向かいあっている。
ほかの指導者たちの姿はなく、いるのはイコロ村の出身者だけだ。
話の内容が内容だけに、確信のないうちから話を広めたくないのだろう。
「あぁ、やっぱり、森の奥の調査は必要だね……。いや、でも、もしかしたら、これは罠なのかも……。あまりに危険すぎるんじゃないかな……。しかし、やっぱり調査は……」
思慮深いシェインさんがひたすら考えこんでいる。彼は眉間にしわを寄せて、手で顎を支えていた。
「だけどな。エンベルトは森の奥にイザゲルがいるって言ったんだ。オレはどうしても、探しに行きたい。行って、イザゲルを助けるぞ」
ハーゼン大佐は大きい声で熱く語った。彼の瞳に決意と不安が揺れている。
俺だって、もしこれがミラナだったら、きっと同じことを言うだろう。
ハーゼン大佐の気持ちを思うと胸が痛んだ。
「だけど、レーギアナの森の奥は、闇のモヤがかなり濃いですよ。どうやってイザゲルさんを探すつもりですか?」
俺がそう言うと、ハーゼン大佐は「うーむ」と顔を顰めた。
俺たちが暮らす大陸には、昔から、闇のモヤの漂う場所がいくつもあった。
日の当たらない場所や、戦闘跡、洞窟や森の奥や墓場など、嫌な空気の溜まる場所には、たいてい闇のモヤがある。
それは精霊や人間たちの悪い感情から発生したものが、流れ着いて溜まったものだと言われていた。
ほとんどのモヤは目に見えないほど薄く、少し息苦しく感じる程度だ。
長時間当てられた生き物が魔物化することもあるけど、モヤ自体は時間経過とともに消滅してしまうことが多かった。
だけど、レーギアナの森の奥に広がる闇のモヤは、別格だ。
それは黒雲のように立ち込めており、だれでも一目でわかるほど濃密だった。
これまでならこうなる前に、聖騎士たちが浄化していたはずだけど、いまはそれも期待できない。
「あのモヤは、一瞬で意識を奪われるほどの毒気があるよ。近づけは命の危険もあるだろう」
「人間か精霊が闇に堕ちている可能性が高そうですね」
「そうだね、オルフェル。あれだけの濃いモヤだ、ただの空気の淀みじゃないだろう……」
「聖騎士も大精霊の祝福を失って、浄化できそうにないですしね……」
俺がそういうと、シェインさんは頭をかかえた。
闇に堕ちてしまった人間を、元に戻すのは難しい。身体は干からび黒ずんで、とめどなく闇のモヤを吐き出すようになる。
それを放置していると、周囲の土地も魔物で溢れかえってしまう。
――もし、イザゲルさんが闇堕ちしてたら……。もうもとには戻らねーんじゃねーの?
そう思うとまた胸が痛む。イザゲルさんをいまも愛しているハーゼン大佐、大切なお姉さんを守りたいネースさん……。二人の前で、この話はつらすぎる。
「ハーゼン、言いにくいけど、森の奥にいるのは、本当にイザゲルかもしれないよ? 彼女がデモンクーズを使ったのは間違いないんだからね?」
俺が戸惑っていると、本当に言いにくいことを、シェインさんが声を低くして言った。
イザゲルさんが闇堕ちしているとしたら、それはハーゼン大佐にとって最悪の事態だろう。
彼女を助けることはできないかもしれない。彼女と戦うこともあるかもしれない。
考えただけで、俺まで心がちぎれそうだ。
ハーゼン大佐がグッと拳を握る。だけど彼だって、その可能性には気付いているはずだ。
「オレはイザゲルを助ける。それしか考えてないぞ」
彼はそう言って、真っすぐにシェインさんを見据えた。
「イザゲルはなにも悪くないだろ。オレは彼女を守りたい。早くあいつのそばに行って、もう大丈夫だと言ってやりたい……」
「ハーゼン……」
「オレは信じてる。イザゲルは正当な理由があってデモンクーズを使ったんだ。きっと後悔だってしていないはずだ。だから、彼女は闇に堕ちたりしない。イザゲルは賢くて優しくて、心の強い女性だったからな。そうだろ? ネース」
「ヤミノクラワレ……ゼヒモナシもら」
ハーゼン大佐の震える声に、ネースさんがウンウンと首を縦に振る。
なにを言ってるかはわからないけど、彼も姉であるイザゲルさんのことを大切に思っているのだろう。
俺もシェインさんも言葉を詰まらせた。彼女が進んで王宮へ行ってくれたとき、俺たちはみんな救われているのだ。
これが本当なら、俺たちにとってもつらいことだ。
「だが、エンベルトの話は、義勇兵たちもみな聞いたからな。オレはこれ以上、彼女を悪く言われるのは我慢できない。なんとしても、モヤを出してるやつの顔を見てやる」
ハーゼン大佐はイザゲルさんを信じて疑わない。彼の声には、必死さと切なさが交っていた。
「モヤは消せないにしても、イザゲルでないことがわかれば、兵士たちの動揺も少しはおさまるかな」
シェインさんは、クルーエルファントの被害者たちの動揺が気になるようだ。
「俺さっき、闇のモヤの発生源はアジール・レークトン博士だって噂を聞いたんですけど……」
「たしかに、そんな噂もあるようだね……」
「息子のジオクを実験台にして、おかしな研究をしてるって、本当なんですかね……」
俺がアジール博士の噂話をすると、先輩たちはみんな顔を顰めた。
目的はまったくわからないけど、想像するだけでも残酷で恐ろしい。
「ジオクとは生徒会選挙で争ったけどね、そのあとすぐ、病気で休学してしまったからね……」
「だが、アジール博士はジオクを溺愛していることで有名だった」
「そうだね。彼はジオクのために、あんな素晴らしいおもちゃをたくさんつくった、父親の鏡のような人だったからね」
「モヤをイザゲルのせいにされるのはもちろん嫌だが、あの博士が息子を傷つけるとは思えないな」
「ふんふん! ガングシンスーハイもらよ」
シェインさんとハーゼン大佐の発言に、ネースさんもぶんぶんと首を縦に振った。




