114 怪しい噂1~木霊する悲鳴~
場所:オトラー本拠地
語り:オルフェル・セルティンガー
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――腹減ったー!
医務室を出た俺は、オトラーの食堂で五日ぶりの食事にありついた。
かたいパンと塩味の強いチーズ、野菜のスープと干し肉だ。卵料理がないのは残念だけど、遠征中よりかなり豪華だ。
必死にパンを口に押し込んでいると、義勇兵の仲間が俺の周りに集まってきた。
「おいおい、そんなに慌てて食べると腹痛を起こすぞ。久々なんだからスープで柔らかくしてゆっくり食べろ」
俺の正面に座って眉を顰めたのはローラ大佐だ。彼女は長身で美人だけど、話しかたに甘さはない。
俺の右隣には俺の直属の上官であるミシュリ大尉が座り、さらにその隣に第二小隊の兵卒エレーナが座った。
彼女たちはみな、元カタ学の学生だ。
「オルフェル君、お腹空きすぎちゃった?」
ミシュリ大尉が俺を揶揄うように笑っている。だけどその瞳には心配の色が浮かんでいた。
「すいません、腹減ってました」
俺はパンをよく噛んで、スープと一緒にゆっくりと飲み込んだ。
ローラ大佐はそんな俺の様子を見ながら、自分の豊満な胸をつついている。
「やはりアジール製の兵器は別格だな。セルティンガーを貫通したうえ、あのゴリラまでふっとばすとは」
「ほんとに死ぬかと思いました」
ゴリラというのは、ハーゼン大佐のことだろう。
オトラー義勇軍は若者が多い組織だけど、戦闘経験豊富な大人の兵も多い。
若い学生世代で、士官になっているのはほんの一握りだ。
つまり、ローラ大佐とミシュリ大尉は、非常に優秀で恐ろしい先輩であるということだ。
ローラ大佐はカタ学の二年先輩だった。
学生のころ、剣の技量がカタ学一だという噂を聞き、俺は実技試験の前に彼女に剣の指導をお願いした。
しかし彼女は、「勉強ばかりしていては逆に効率が下がる!」「部活にも力を入れているヤツのほうが評価されるんだ!」などと言って、俺をジックボール部に引きずり込んだ。
彼女はカタ学伝統の危険な球技、ジックボール部の部長を務めていたのだ。
そして、三ヶ月も鍛えられたあとで、ほんの少し文句を言うと、「レンドル先生に教えてもらえ」と、ありがたい助言をくれたのだった。
勉強に忙しい最中、ローラ先輩とレンドル先生にさんざん追い込まれたことも、いまとなっては楽しい思い出だ。
「ちょっと目を離すと死にかけてるんだから。心配させないでね」
「反省してます。シンソニーとゼヒエスがいてくれてよかったです」
「突っ込む前に一呼吸おいて考えろ。熱くなるのもわかるが、気持ちの制御は大事だぞ」
「わかりました。努力します」
「まぁ、とにかく生きててよかった」
ローラ大佐はそう言うと、小さく笑顔を浮かべてため息をついた。
そしてガツガツと、食堂の料理を口に運びはじめる。普通の三倍はあるすごい量だ。
――さすがに今日は、ローラ大佐も優しいな。
俺はそんな事を考えながら、キョロキョロと周りを見回してシンソニーを探した。
オトラー義勇兵になってから、俺の心の支えはずっとシンソニーだ。だけどここに、シンソニーの姿はない。
「シンソニー君なら臨時部隊に参加してもらってるよ」
俺がシンソニーを探していることに気づいたのか、ミシュリ大尉が俺の肩をつついた。
ボブヘアがおしゃれな彼女は、学生のころ俺に集中力があがるハーブをくれた先輩だった。
今日も彼女は、化粧品とハーブの香りがしている。
俺と同じ炎属性のためオトラーに来てからは、戦闘訓練の一環でフェロウシャスオルトロスの出しかたも教えてもらった。
だけどミシュリ大尉が出すのは、犬ではなく赤いトラで、オルトロスの三倍は恐ろしい。
「っていうか、オルフェル君知ってる? シンソニー君、ついにニーニーちゃんと付きあいはじめたんだよー!」
「えっ!? それ本当ですか!?」
「オルフェル君が倒れたことより大騒ぎになってたよー」
「うはっ。すげー! やった!」
立ちあがって両手をあげた俺を見て、エレーナが目を丸くした。
エレーナはカタ学の後輩だ。生徒会長だった俺に憧れ、オトラー義勇軍に入ってくれた。
だけど、後輩たちは俺を寡黙でクールだとか、ステキな王子様だとかいろいろ勘違いしている子が多い。
だから、俺が冗談を言ったり、変に騒いだりすると、こうやって目を丸くするのだった。
そんなエレーナの様子を見て、ミシュリ大尉がぷすぷす笑いはじめた。
「エレーナちゃん、オルフェル君は王子様タイプじゃないよ。あれは私たちのイタズラだから」
「イタズラですか?」
「オルフェル君が生徒会に立候補したとき、応援のつもりでね? 『オル様ぁ~』って叫んでみたら、それが意外と流行っちゃったんだよね」
「あぁ。あれは傑作だったな」
「やめてくださいよ。あれ、完全に二人のせいですからね」
眉を顰めた俺を見て、机を叩きながら爆笑するミシュリ大尉。ローラ大佐も、クックと肩をゆすって笑っている。
ミシュリ大尉は生徒たちの間に『オル様』という呼び名を広めた張本人だったのだ。
「キャーキャー言ってる子たちの後ろで二、三回叫んだだけだよ。おかげで生徒会選挙も無事に勝てたじゃない?」
「先輩たちの印象操作のせいで、ふざけにくくて仕方なかったですよ」
俺とミシュリ大尉の会話に、エレーナがポカンとしている。
「オルフェル隊長って、本当はどんなタイプなんですか……?」
「甘え上手で可愛い弟タイプだよ? つい応援したくなっちゃう感じかな」
「いやいや。私はいじめて鍛えてやりたくなるぞ。加虐心をくすぐるタイプだ」
「ふたりとも、部下の前で変な印象操作やめてください。俺エレーナを鍛えなきゃいけない立場なんですよ」
「そうだね、ごめんごめん。ほんとは人のために熱くなれる熱血タイプだよ」
「一度言いだすと案外しつこいタイプでもある」
「もう俺のことはいいんで、シンソニーの話教えてください」
俺をからかって遊ぶ先輩たち。だけど俺が話題を戻すと、シンソニーの近況を教えてくれた。
俺が倒れている間に、シンソニーはついに、エニーから告白されたらしい。
最近うまくいってなさそうだとばかり思っていたら、実はまったくの逆だったようだ。
だけどシンソニーとエニーは、いまは別々の場所へ戦闘に出ているという。
――俺が何日も寝てたせいで、俺の分まで忙しくなってんのかもしんねーな。
――せっかくエニーと恋人になったのに、負担かけてごめん、シンソニー。
二人とも、絶対無事であってほしいと願う俺。そんな俺の横で、エレーナがふと質問した。
「聖騎士軍がアジール製の武器を持ってるってことは、アジール博士は国王派なんでしょうか」
「いや、聖騎士軍が持ってたのは王国軍の基地にでも置いてあったものだろう。アジール博士は、王妃様が亡くなるもっと前に引退してたって話だ」
「そうだよ。確か息子のジオクをモルモットにして、森の奥の研究施設で変な実験を繰り返してるって噂だよねー」
「あぁ、博士に切り刻まれたジオクの悲鳴が、研究施設から響いてくるらしい……」
「えー!? こわ!」
「ひゃぁぁ……!」
先輩たちがはじめたアジール博士の噂話に、俺はエレーナと身を寄せあって怯えた。
二人が言うには、アジール博士にはジオクという優秀な息子がいたらしい。
それもカタ学に通っていて、高等部の二年まで、先輩たちと同級生だったという。ということは、ジオクはシェインさんやハーゼン大佐とも同級生だ。
だけど、ジオクが突然学校に来なくなり、そのあとそんな不穏な噂が学校中に広まっていたようだ。
「そんなのただの噂ですよね?」
「いや、それがそうでもないのだ。アジール博士の研究施設は、レーギアナの森の、闇のモヤのなかにあるらしい」
「闇のモヤのなか? そんなことが……?」
「そうだ。クルーエルファントを作ってるのは、闇に堕ちたアジール博士じゃないかって話しさ」
「そうそう。ゾウだけにね」
口元に手を当て、声量を下げて話す二人。だけど、どこまで本当かわからないような話だ。
想像すると恐ろしいけれど、イザゲルさんとマレスが作っていると言われるよりは、いくらかいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は食事を済ませシェインさんたちのいる会議室に向かった。




