110 ういってなに?~人間のなりかた~
場所:レーデル山
語り:オルフェル・セルティンガー
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――そうだ、せっかくシンソニーに背中押してもらったし、ちょっと踏み込んだこと聞いてみるか……?
そう思った俺は、思い切って、いまいちばん気になっていた話をミラナに切り出した。
「なぁ、ミラナ。俺、人間になりてーんだけど」
「え? いま、オルフェル、人間だけど?」
聞きかたが悪かったのか、キョトンとした顔をするミラナ。
だけど、俺は最近ひしひしと感じていたのだ。
たとえ俺が大人っぽくなれても、飼い犬のままでは意味がないと。
俺は少しミラナに近づいて、彼女の手からスープを奪った。
「そうじゃなくて、俺たちが魔物じゃなくなる方法、ミラナ、しらねーか?」
「へ!? し、しらないよっ」
彼女は慌てた顔で、俺からすっと目線を逸らす。知るわけないだろうと思いつつ聞いたんだけど、これは完全に、知ってるやつだ。
「あぁっ! ミラナ……知ってるな!?」
「しらないったら」
「ウソつけ。俺、ミラナのこと、前よりだいぶんわかってんだからな」
「わ、私もう寝るっ」
「待てって。逃げんなよ」
慌てて逃げようとするミラナの腕を掴んだ俺。そのまま彼女を引き寄せて、腰にある彼女の魔笛を押さえた。
「やだ、はなしてよ」
「ちゃんと言わねーと、はなさねーよ?」
「オルフェル、レベ……がふっ」
俺を犬にしようとする彼女の口を、俺はとっさに手で塞いだ。
「待って、ミラナ。俺の話聞いて?」
「んもごっ」
ミラナがジタバタと暴れだして、やむを得ず、後ろから彼女を抱きしめる。
――しまった。抱きしめてしまった。
後ろから抱きつかれたことなら何度かあるけど、俺から抱きついたのははじめてだ。
ミラナは驚いたのか動きを止めて、すっぽりと俺の腕のなかに納まった。
柔らかな彼女の髪が俺の顎に触れている。
――あー、よかった。ミラナが生きてる……。
――だけど、ほんと細いな……。俺が見失ってる間に、すげー苦労したんじゃねーか……?
くっついて彼女の存在を確認すると、俺の心は満たされていく。
両想いのはずの俺たち。ミラナも俺に抱きつくのは好きだったし、これはひょっとしてひょっとすると、許容範囲内なのだろうか。
――いや、そんなわけねーか。完全にやっちまった。やっちまってるぜ!
一瞬幸せな気分に浸ってしまった俺。
だけど、最近ずっと微妙な距離感だったことを思うと、これは間違いなく失敗だろう。
人間になれるという期待と、仕置きへの不安、そして緊張と感動と興奮が俺の鼓動を早くする。
だけど思い切って素直な気持ちを伝えれば、ミラナは必ず俺に向きあってくれるはずだ。
俺は声を落ち着けて、彼女の耳にできるだけやさしく囁いた。
「言えないときもあるから言うんだけど、俺、ミラナが好きだ……」
「もごっ」
「俺さ、ミラナが死んだと思い込んで、ほんとにすげー寂しかった。だから、いまこうやって一緒にいられて、めちゃくちゃ幸せだって思ってる」
「んもんも……」
「なんでミラナを振ったりしたのかわかんねーけど、今度はなにがあっても、絶対絶対離さねー。それは、ほんとに、ほんとのほんと……。わかる?」
「もご……」
「だけど今度は、好きって気持ちだけじゃなくて、ちゃんとミラナを幸せにしたい。人間になって、人間の大人の男として、責任を持って、俺がミラナを幸せにしたい。わかる?」
「もごっ」
「だから、知ってるなら教えて欲しい。どうやったら俺、人間になれんの?」
「んんっもごっ……」
「あ、これじゃしゃべれねーか……」
ミラナの口を覆っていた手を少し浮かせてみると、彼女の口からあがった息の音が聞こえてきた。
「はぁっ、はぁっ。もうっ、苦しいじゃないっ。はなしてったら」
「はなしたら教えてくれんの?」
「しらないって言ってるのにっ」
「いや、絶対ウソだし。てか、ミラナ顔真っ赤だぜ。大丈夫?」
「だって、オルフェル熱いし、耳元ですごい囁くから……」
「耳弱い?」
「あひゃっ。バカッ! もう! オルフェル、レベ……もごっ」
また犬に戻されかけて、ミラナの口を塞ぐ俺。ミラナがますます赤くなって、うらめしそうな唸り声をあげている。
――あー、ダメだ。もごもご言ってるミラナが可愛いすぎる……。これは間違いなく大宇宙からの贈りものだな。
――うーむ、だけど俺、確実に封印に向かって突き進んでるぜ。なにかの罠にはまったみてーだ。
だけど俺もこうなってしまった限りは、どんな罰も受け入れる覚悟だ。
せっかくだから、もっとほかのことも聞いてみたい。
「なぁ、なんでそんな、いろいろ秘密にしてんの? そんなに俺、信用できねー?」
「んーっ」
「ミラナにちょいちょい避けられて、俺結構傷ついてんだけど、わかる?」
「んんーっ」
「なぁ、俺とあの黒猫どっちが好き?」
「もんーっ」
――うーん、口塞いだままじゃ、なに言ってっかわかんねーな。
――こうなったら、これしかねーか……?
俺は思い切って、ミラナの口に指を一本差し込んでみた。
ミラナは驚いたのか小さく飛び跳ねて、「ひぁっ!?」っと叫びながら俺の手を掴む。
「これ話せる?」
「おうふぇうっ、ええるわうん!」
「んー? レベルダウン? 言えてねーよ?」
「ぅぇえうわぅっん」
「ミラナ可愛い」
「もんーー!」
俺の指を咥えたまま、赤い顔で俺を睨むミラナ。俺は少し調子に乗ってミラナの首に鼻を付けた。
「ミラナはいつもいい匂いする……」
「はふっ……」
「はやく教えてくんねーと、魔物ってあんまり理性ねーから」
荒くなった俺の吐息に、ミラナの体が反応している。
俺はミラナの髪に鼻を埋めて、彼女の耳に唇をつけた。
「なぁ、俺ちゃんと人間になりたい」
「んはぁっ。おうふぇうっ。ういらよっ」
「え? ういってなに?」
「ういらお。えいえいらちろいちゅけらいろ……」
「……えいえいらちろ……?」
「もっ、おうふぇうっ」
「あいたっ」
「オルフェル! レベルダウン!」
もうひと押しだと思っていたら、ガリッと指に噛みつかれてしまった。仕方なく指を抜く俺。
ミラナはすぐに、俺の解放レベルを下げてしまった。
「いってー。噛むか?」
「もうっ、耳舐めるんだもん」
「なっ、舐めてねーよ? キスならしたけど」
「えぇっ……?」
赤い顔で耳をおさえていたミラナが、また不思議そうに俺を見あげている。
――なに? もしかして俺、舌でてんの!?
慌てて自分の口を抑えた俺。
ミラナがなぜか、ニヤニヤしながら俺を見ている。
「ぷっ、オルフェル。犬耳生えてるの、気付いてる?」
「えぇ……!?」
ミラナに言われて頭を触ると、確かにフサフサした三角の耳が、ピョコッとそこに生えていた。
「げ、ウソ。めちゃくちゃ恥ずかしいっ」
「わ、尻尾も生えてる。可愛いよ。似合ってる」
「ほんとやめて!?」
尻に手を回すと、そこにはフサフサの尻尾がはえていた。これは俺の気分にあわせて、勝手に動いてしまうやつだ。
見た目二十一歳の俺にはつらすぎる。
「ほんとにもう。それお仕置きだから。しばらくそのまま反省してね」
「ごめん、ミラナさん! これ見た目ひどすぎだぜ! お願い! ちゃんとレベル上げるか下げるかして!?」
「しらないっ」
「えぇーー!?」
お仕置きされるのは覚悟していたけど、まさかこんな新しい仕置きがあったとは……。
愕然とする俺を残して、ミラナはテントに戻ってしまった。




