100 レーディン沼~パッサー&フトロ~
場所:レーディン沼
語り:シンソニー・バーフォールド
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「わざわざ回り込まなくても、まっすぐ沼を渡ればいいんじゃねーの? あっちに吊り橋があるぜ」
沸き立つ血の池のような沼を前に、キジーとミラナが腕組みをして考え込んでいると、オルフェがうえを指さして言った。
少し戻った位置にある崖のうえから、植物の蔓で編まれた朽ちかけの吊り橋がかかっている。
「あんな危なそうな吊り橋、アタシが渡るとでも思ってんの?」
吊り橋を見あげて、キジーがひどい仏頂面をする。
確かにその吊り橋は、細くて長くて僕にもひどく頼りなく見えた。
キジーでなくても、これは渡りたくないな。もし落ちたら、したは熱湯の沼だからね。
怖すぎる吊り橋を眺めながら、みんな顔をひきつらせている。
オルフェだけはなぜか、平然としてるけど。
「じゃぁ東からは?」
「東は見てのとおり断崖絶壁だからね。とても登れそうにないよ」
今度はみんなで、東の岩山を見あげてため息をつく。
双頭鳥になった僕に乗っていけばひとっ飛びなんだけど、キジーは飛ぶのも怖がるからね。
「どうする?」
「西の魔物がどこか行ってくれるまで待つ!」
「えー? いつになんだよ。サクッと吊り橋渡ろうぜ。飛べとは言わねーからさ。日が暮れるだろ」
「いやいや、よく見て? あの蔓どう見てもちぎれかけだよ」
「大丈夫だって」
キジーとオルフェが揉めはじめると、ミラナがそっと魔笛をかまえた。
「じゃぁ、おっきいオルフェルに乗っていこうか」
「えっ!? 三頭犬に?」
「うん、そろそろ試してみたかったんだ」
「えっ!? なに? 俺ついに、頭が三つになんの!?」
「いくよ?」
「おっ、おぅっ」
ちょっと緊張した顔で身構えるオルフェ。ミラナも真剣な顔で、オルフェにひとつ頷いた。
「あ、すっごい大きくなるから、ちょっと離れてね?」
「ベランカ、こっちへ」
「はい、おにぃさま」
シェインさんがベランカさんを連れ後方にさがり、僕を肩に乗せたキジーも距離をとった。
ミラナの肩から黒猫のライルが飛び降りて、シェインさんの後ろに隠れる。
オルフェは後退りして、赤い沼のなかに入っていった。
あんな熱そうな沼に入って、平気だなんてすごいよね。
「いくよ~! オルフェル、解放レベル4」
――ピーロリロン♪ ピーロリロン♪――
「「「うぅぅわぁーーっ! わぉぉぉぉーーーん!」」」
「ぎゃ、耳いたっ」
「えぇ? すごい大きさだな!」
「シェインさんも最初はあれくらい大きかったですよ」
「ほんとかい? 恐ろしいよ」
巨大化し、頭が三つになったオルフェを見あげて、シェインさんとベランカさんがポカンとしている。
僕は、オルフェを捕まえたときに戦ったけど、久々に見たら、やっぱりすごい迫力だ。
凶悪そうな牙が生えた口は三つ、鋭く光る赤い目は六つもある。
燃えるように赤い体は、背景の不気味な沼のせいもあって、まるで地獄から現れたみたいだ。
「おぉーん! でっけー俺! あっちもこっちも見えんのかと思ったけど、見えんのは前だけだな。横の頭は俺とは別の犬みたいだぜ」
「よかった。普通に話せるね。オルフェルは真んなかの頭なんだね?」
「その二匹の犬、凶暴じゃないんですのね?」
あまりに驚いたのか、ベランカさんが珍しくオルフェに話しかけると、左右の頭がしゃべりはじめた。
「うぉんっ。俺はパッサー! よろしくなっ」
「俺はフトロだぜ! いえーい! やっぱり外はいいな!」
「わ、勝手にしゃべりはじめた」
「左の頭がパッサーで、右の頭がフトロ? よろしくね」
「なんか三倍騒がしいね」
ミラナがオルフェを見あげながら、パッサーとフトロに挨拶している。
キジーはよほど遠吠えがうるさかったのか、耳を押えたまま呆れ顔だ。
テイムしたときは凶暴で、口から火を吐いてきたけど、いまは全然平気みたいだ。
パッサーもフトロも、オルフェみたいですごくご機嫌だよ。
だけど、慣れないうちからあんまり長く巨大化してると、僕たちは凶暴になってしまう。
それに、ミラナの魔力消費も大きいみたい。
だから、ミラナは少しすると、すぐに解放レベルをさげるんだ。
「あんまり長くもたないから、早く乗って渡っちゃおう」
「えぇっ!? 本当にこれに乗って渡るの? この沼を!?」
キジーはちょっと怖がってるけど、空を飛ぶよりマシだと思ったのかな。観念したみたいに肩をすくめた。
「ほら、大丈夫だよ? 背中すごく広いし、ふかふかで乗り心地最高。私と手をつないでたらすぐだよ」
「ひぁぁっ、ミラナぁっ」
「ははっ。ビビリのキジーは可愛いな」
「三頭犬っ! あとで殴るっ」
「なんで!?」
オルフェは僕たちを背中に乗せて、ゆっくりと赤い沼のなかを歩きはじめた。
「たっはー、あったけ~」
「あったかいってレベルじゃなさそうだけど?」
「おぅ。本気の熱湯だぜ。落ちんなよ」
平和そうな声でそういうオルフェは、本当にかなりの熱耐性があるらしい。
沼は深い場所があって、オルフェの肩くらいまで浸かるときもあるよ。
キジーが「ギャー」って言いながら、ずっとミラナに抱きついてる。
普段の態度からは、こんなに怖がりには見えないから、ちょっと面白いな。
沼の上にはコウモリの魔物が飛んでるけど、シェインさんが、全部槍で突いて倒してくれた。
沼からは熱い水蒸気も噴き出してくるけど、ベランカさんが氷の霧を出して、みんなを守ってくれてるよ。
熱いような、冷たいような、かなり不思議な状況だ。
オルフェはズブズブと沼のなかを進んで、僕たちは無事に向こう岸に着いた。
「キジー、偉かったぜ! ほんとお疲れ」
「もー! 三頭犬のバカ!」
「なんで!?」
人間の姿に戻ったオルフェが、涙目のキジーを撫でようとして殴られてるよ。
ミラナがすっごい無表情になってるから、たぶん気を使ってるのかな。
僕たちは沼をあとにして、レーデル山の頂を目指して、また山道を登りはじめた。




