悪趣巡遊
「……」
跪き、じっと、静かに、脳裏に虚空を描く貴志は。人形になってしまったかのように、ぴくりとも動かない。
獣どもの目がふたりに集中し、唸り声が耳を撫でてゆく。
「……」
物言わぬ貴志であったが。おもむろに右手を懐に入れたかと思えば、筆・天下を取り出し。そうかと思えば、筆先を虚空に向け、何かを描き出す仕草をすれば。
墨をつけているわけでもないのに、虚空に筆跡が残されてゆく。
「ん?」
阿修羅と人狼もさすがにこれには意表を突かれたようで、筆先の動きをつい目で追った。
「何やってんだ?」
しかし貴志は答えない。跪いた格好のまま、右手に握る筆・天下で虚空に何かを描いている。
「やや」
阿修羅がやや狼狽する様子を見せ。人狼も驚き、何か絶句したようだ。つられたのか獣どもの唸り声も消えた。
筆・天下は貴志の手によって虚空に描く。それは花のようだった。
「蓮華……」
形が現れて、源龍はぽそりとつぶやいた。
この、広い蓮の葉の上で、貴志は虚空に蓮華を描き出しているのだった。やがてはっきりと、形として蓮華は虚空に浮かび。ほのかな白さと淡い桃色の花は色づき出して。より一層の鮮やかさや彩りが現れ、まさに蓮華そのものが虚空に浮かぶのであった。
泥水の噴水は頂点の傘から泥水を散らして、蓮華にもそれがかかってしまうのだが。もちろん源龍と貴志もずいぶんと泥水が散らされて。乾いたところには少しながら泥の砂がこびりついていた。
宙に浮く蓮華に泥水が散れば、その瞬間色が失せ、透明な水滴を弾かせるのであった。
「……。僕は何を」
筆・天下を手にして、貴志は寝起きのようにはっと目を見開く。
目の前には、蓮華。
「これは?
「お前、自分で描いたんだぜ」
「これを、僕が?」
貴志は無意識で書いたのか、変にしらばっくれることを言う。
「僕は、卑屈になったふりをして反撃の機会をうかがおうとして……」
阿修羅は虚栄心が強い。わざとらしくても下手に出れば、乗るのではないかと思ったのだが。まさか跪いたまま天下を取り出し、虚空に蓮の花・蓮華を描き出していたなど。
貴志はこのことを不思議がっていた。
「……」
虚空に蓮華が描き出されたのを見て、龍玉と虎碧は固まってしまった。
龍玉は二個目の饅頭を頬張っていたが、我を取り戻し急いで喉に流し込む。
香澄と世界樹の子どもは、笑みを浮かべる。
「なに、あれ」
「蓮華……」
映し出されるほのかに淡い白桃色の蓮華を、八つの瞳はまじまじと見やり、己の瞳に映し出す。




