アイドルと恋愛
いつから彼女を特別に思っていたのだろう。
貴族の屋敷で彼女に助けられた時?
階段から落ちた彼女を受け止めた時?
橋の上で、握手を交わした時?
彼女に出会って、共に過ごしたすべての時間が、リアンにとっては特別で、宝物のように感じられた。
彼女を傷つける男に嫉妬し、彼女が安心できる男に苛立ち、彼女の姿を探して、見つけると嬉しくて駆け寄り、一緒にいる時間が一秒でも長く続けばいいと願った。
仕事にひた向きで、何事にも一生懸命で前向きで明るい彼女に、リアンは惹かれていった。
ある時、ルルに忠告された。
「俺達は家族に恵まれてないから、エスタみたいな包容力のあるしっかりした女性に母親像を重ねて依存する傾向があるんだって」
その時は、そうなのかもしれないと納得しかけた。
ディーゴの贖罪と告白を受け入れたエスタが、まさに母性愛に満ちた聖母のように見えたから。
いくら前世の記憶が曖昧だったとしても、男女の諍いに巻き込まれて殺されてしまったのなら、原因となった子供を恨んでもおかしくはない。
しかしエスタは、恨むべき者と守るべき者をわかっていた。
長い間、苦しんできたディーゴを救う選択をしたのだ。
「生んでくれてよかった。生きててくれてよかった」
彼女の言葉は、知らずにリアンの心をも救った。
その場にいたクリフ以外のメンバーは孤児で、その生い立ちから生に対する劣等感や葛藤が大小なりともあった。
だから、ディーゴの言葉に耳を傾け、肯定してくれるエスタの姿に、リアン同様救われた者は多かったに違いない。
リアンは踊ってもいないのに胸が苦しくなった。
そして、みんなが談笑する中、隠れて泣くエスタに気づいて、ようやくこの気持ちの正体がわかった。
リアンはエスタに抱き締めてもらいたいのではない。
エスタを抱き締めてあげたいのだとーー。
「エスタのことが好きなんだ」
言わずにはいられなかった。
伝えなければならないと思った。
たとえ、彼女の答えがわかっていたとしてもーー。
「……私も好きですよ。クリフ様もカッシュもルルもディーゴも、みんな大好きです」
親愛の意味合いでの好きだと、エスタは受け止めて笑顔で答える。
ここで思い止まって欲しいという、彼女の気持ちが隠れ見えた。
「ひどいな。わかってるくせに」
「……」
しかし引く気はない。
「男として、エスタに惹かれている」
「リアン……」
「わかってる。エスタが答える気がないのも、アイドルとして間違った行動だと咎めたいのも」
「……」
「でも、俺はアイドルである前に一人の男だ。人を好きになることもある」
エスタは動揺する心を隠して毅然とした態度を示した。
「人を好きになることは否定しません。でも私はだめです。私もリアンも、今は恋愛に現を抜かしている暇はないはずです」
「ああ。だから君に交際を求めるつもりはない」
「……え?」
「マネージャーの仕事も邪魔しない。ただ俺の気持ちを知ってて欲しかった」
リアンはわかっていた。
エスタに想いを伝えたら、彼女はここを去るだろうと。リアンの気持ちには絶対に答えてはくれないだろうと。
エスタに何の迷いも躊躇いもなく、木っ端微塵にフラれることは想像に容易い。
親しき間柄でも、アイドルとマネージャーの関係である以上、彼女の中ではっきりと線が引かれているのだ。
その線は決して消えることはない。
エスタは絶対にアイドルと付き合わないし、アイドルを好きにはならない。
「私が告白を聞いて、困るとは思わなかったんですか?」
「……」
エスタから余裕が消えると同時に、今度は怒りが伝わってきた。
思った。だけどエスタを困らせても、俺のことを考えてくれる時間が増えるなら嬉しいとさえ思ってしまった。
だがそれを言葉にしたなら、今度こそ本気でエスタは去ってしまうだろう。
「エスタにアイドルは誠実であれと言われたけど、俺は出来そうにない」
「……」
「誠実って、嘘をつかないことだろ? それは無理だ。ファンの前では辛くても笑顔をつくるし、傷ついても平気な振りをする。それは嘘をついてるってことだから」
「それは……」
「もちろんファンに対して不誠実なことはしない。ただ、何をもって誠実か不誠実か、裏切りかなんて人それぞれだろ? 俺は、エスタが好きだ。それをエスタは不誠実と感じるだろうけど、俺はそうは思わない。だってエスタが好きだけど、進展を望まず心で想うだけだから」
エスタは口を開きかけたが、言葉にはせずにリアンの話に耳を傾けることにした。
「それなら俺は、誠実であるよりも真摯であろうと思うんだ。トップアイドルを目指して練習も努力も怠らない。私生活もファンに恥じない自分であるために自制する。芸事を第一にアイドル活動に真摯に向き合うことを誓うよ」
「リアン、待ってください。あなたはきっと私にーー」
「母親の影を求めてるって?」
「!」
「いいや。俺はエスタに一人の男として恋い焦がれている。はじめて会った時から……」
「……」
「俺はこの想いを絶対にファンに隠し通すつもりだ。誠実ではいられないけど、真摯であり続けるために」
「……」
「だから、マネージャーを辞めないでほしい」
告白で一番心配していたのが、エスタがマネージャーを辞めてしまうことだった。
決断を避けるエスタに、リアンが続ける。
「エスタが辞めるって言うなら、俺が責任を取って抜ける」
「! それはずるいですよ!」
リアンの想いと覚悟を理解したエスタは、迷いながらも「辞めませんから……」と呟いた。
「どうこうするつもりがないなら、言わなくてもよかったのに……」
視線を剃らしてぶつくさと文句を垂れるエスタ。
とりあえず、今すぐに辞めることはなさそうだと安堵する。
リアンにはエスタが辛い時に助ける力はまだない。
彼女にとってリアンは、泣き顔を見られまいと隠れる背中ではないのだ。
「エスタを誰にも取られたくない」
恋愛に鈍いエスタでもリアンの独占欲は伝わったようだ。
下を向いていた彼女の頬がほんのりと赤くなるのが見えた。
「……」
これはあぶないな。
求めないとは言ったが、さっそく抱きしめたい衝動に駆られぐっと堪える。
「俺がアイドル人生を駆け抜けて引退する時、エスタに交際を申し込むから。覚悟してて」
それまでは誰のものにもならないことを願いながら……。
***
「盗み聞きとは感心しませんね」
リビング前の廊下で、エリオットが聞き耳をたてているクリフに声をかけた。
「リアンに先を越されましたね」
「フン。僕は三年後に引退する。僕の方が先にしがらみなく告白できる」
「身分差の方がしがらみとしては大きそうですが」
「彼女は元男爵令嬢だ。問題ない」
「うーん。リアンもクリフ君も、一番の脅威を見落としていませんか?」
「ロズリーだろ? あいつはプライドが高く自分の気持ちに気づいていない愚か者だ」
「いいえ、もっと身近にいるではないですか」
「?」
「私ですよ、私」
「は!?」
「二人と違って私はなんのしがらみもなく今すぐにでもエスタさんと付き合えるんですよねー」
「まさか、お前までーー」
「ふふふ」
「……冗談だよな?」
「さぁどうでしょう。本当だったらどうします?」
「◯◯◯◯◯」
「こわいですねー」
表情の読み取れない顔でエリオットが去っていった。




