君を守れるなら
エスタは森林が生い茂るコンサートホールの片隅で、黒服の集団に囲まれていた。
黒はベラバイのイメージカラーで、彼女達はベラバイのコアなファンだ。
半年前まで彼らのマネージャーをしていたエスタも見たことのある面々である。
「あんた、ベラバイに戻ってくるんだって?」
リーダー格の女性が、声を低くしてエスタに詰め寄った。太い木の幹に追いやられたエスタは、落ち着いた声で答えた。
「それは誤解です」
「『誤解です』じゃー困るんだよ!」
別のファンが声を荒げ、前のめりに身を乗り出した。
「お前さ、何様なわけ?」
「調子に乗ってんだろ」
「私達が間違ってるって言うのか!?」
「はい」
エスタの返答は簡潔で、動揺の欠片も見せない。
「そんなわけねーよ! 私達は聞いたんだ! 今回のコンサートはロズリーがあんたを取り戻すために開いたって!」
「え……」
エスタの瞳が一瞬揺れた。
「なんだその反応は!」
「とぼけてんじゃねー!」
「あの、誤解だと思います。仮にそうだったとしても、私はベラバイに戻るつもりはありません。安心してください」
エスタは静かに、しかしはっきりと告げた。
「ふざけてんのかお前!」
「なんで戻って来ねーんだよ!」
「……ん?」
「ベラバイがアービスより劣ってるって言いたいのか!?」
「そ、そんなこと言ってません!」
「じゃあ戻ってこれんだろが!」
「あれ? ええと……」
状況が飲み込めず、どう答えていいのか困惑する。
「あんたが守ってくれなきゃ誰があの子達を守るんだよ!」
リーダー格の女性が声を震わせ、目に涙を浮かべた。
彼女達は、エスタがベラバイに戻るのを阻止したいのではなかった。戻ってきてほしいのだ。
裏接待の噂を耳にし、不安で心配で、エスタに助けを求めたのだ。
「大丈夫です」
「なにがだよ!」
「ロズリーはーー」
言葉にして、エスタはようやく自分の過ちに気づいた。
「ファンに後ろめたいことはしていません。これまでも、これからもーー」
あの時、階段で呼び止めたロズリーは、必死に違うと、話を聞けと訴えていた。
これまでの彼と、今日の彼を見て、エスタが早とちりをした可能性が高い。
「私……バカだー……」
結局は、ロズリーを信じきれなかった。
今すぐにでも駆け出して、彼に謝りたい。
だけど、もう遅い。
エスタはアービスのマネージャーで、ロズリーはもう前を向いて、それぞれが新しい道を歩んでいる。
ロズリーの隣に、私の居場所はもうないのだ。
その事実に胸が締め付けられて、言い様のない苦しさに顔を歪めた。
急になんでこんなに苦しくなったんだろう?
さっきはお互い頑張ろうって、言えたのに……。
「お、おい。あんた顔色悪いけど大丈夫か?」
「……はい」
自分の感情を持て余して戸惑う。
「その、これだけ確認させてくれ。ロズリーは私達を裏切ってないんだな!?」
「はい」
エスタの言葉に、ファンは安堵して肩から力が抜けた。
エスタは気持ちを切り替え、ファンに伝えた。
「今のマネージャーにも釘を刺しておきます。一緒に皆さんの想いも伝えておきますね。だから、こういう脅しのようなことは二度としないでください」
「わ、わかった。すまなかったよ」
リーダー格の女性が小さく頷き、涙を拭った。
ファンが頭を下げ、ゆっくりとその場を離れ始めた。黒い服の群れが、まるで霧が晴れるようにエスタの前から消えていった。
***
アービスは二手に別れてエスタを探した。
クリフはカッシュとディーゴと護衛と共に、会場裏手の馬車置き場付近を探していた。
「いました!」
護衛の指差す方向に目を向ける。
遠くからエスタの姿を見つけたクリフは地面を蹴った。
エスタがファンに囲まれているのを見た時、心臓が締め付けられるような恐怖に襲われた。
もし彼女に何かあれば、その場で彼女を傷つけた者たちを容赦なく叩きのめしていただろう。
ところが、話し合いは平和に解決したのか、黒い集団は晴れた顔で散り散りに去っていった。
エスタが無事な姿で立っているのを見て、クリフの胸に安堵が広がり、歩を緩めた。
彼女はファンたちが去っていくのを見送っていた。
そして、こちらに体を向けてクリフ達に気づいた。
クリフが手を上げ、彼女に応えようとしたその瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「なんだ……?」
木の陰に潜む影。
黒い服に身を包んだ女が、ナイフを握りしめ、エスタの背後に立っていた。
振り上げた刃先がきらりと光る。エスタは気づいていない。
「っエスタ!」
クリフは叫んだ。
再び地面を蹴り、エスタに向かって全力で駆け出す。
エスタの背後に迫る刃が、まるで悪夢のようにクリフの脳裏に焼き付いた。
間に合わないーー!
黒い服の女を止めるより先に刃はエスタへと到達してしまうだろう。
それならばと、手を伸ばし、手前にいるエスタの腕を掴んで自身に引き寄せた。
幼き日にクリフがエスタの父に守られたのと同じようにーー。
クリフは自分が怪我を負っても、大事な人を守る選択をしたのだ。
抱き締めるように反転して、刃に自身の背を向けた。
いつか彼女に危機が迫った時は、この身を呈して守ろうと決めていた。
エスタだけは必ず守ると墓前で誓ったのだ。
たとえそれで命を落としたとしても、救われた命を返せるなら本望とさえ思っていた。
「キャア!」
エスタの悲鳴が周辺に鳴り響く。
ところが、クリフは痛みを一つも感じなかった。
「ディーゴ!」
エスタの叫んだ名に驚いてクリフが振り返る。
自分が受けるはずだった傷を、なぜかディーゴが受けていた。
エスタを抱きしめるクリフと、犯人との間に伸ばされたディーゴの腕。
その腕には、肉にめり込んでナイフが突き刺さっていた。
そこからは早く、護衛の騎士が女を取り押さえ、カッシュが反転して医者を呼びに走った。
悲鳴を聞き付けたエリオットとルルがディーゴに駆け寄る。
クリフはリアンと共に、倒れこむエスタを支えた。




