最後のパフォーマンス
重い足取りで舞台から降りるメンバー。
エスタは再び席を離れて彼らの元へ向かった。
「お疲れ様!」
「……」
大きく手を広げて出迎えたが、アービスのメンバーは誰もが下を向いていて、反応を示さなかった。
これは観客による妨害のショックが大きいのだろう。
ファンは何気なく歌い始めたのかもしれない。それが大きくなったことで、一体感を抱き面白く感じたことだろう。
だが、舞台に立つアイドルにとっては、あまりにも酷すぎる仕打ちだった。
「……」
このまま、彼らを舞台に上げてもいいものかと逡巡する。
一生残るかもしれない傷を負ってなお、数分後にまたあの舞台に立たなければならない。
私の声も、ロズリーの擁護も、まるで聞こえていないかのように、メンバーは重い足取りで通りすぎていった。
それぞれが頭からタオルを被り、壁に寄りかかって床に座る。
最後の曲披露の前に休憩を挟むので、出番までにはまだ時間はあった。
心の折れた彼らを、もう一度舞台に上げることは可能だろうか?
それは正しいことなのか?
自身に問いかけた。
「ここは私が」
「エリオットさん……ですが」
「我々から諦めるのは違います」
「!」
「エスタさんはリアンを頼みます」
視界の隅で、リアンが一人舞台裏の扉から外に出ていくところが見えた。
エスタは慌てて追いかけた。
「リアン!」
勢いよく扉を開けると、扉のすぐ横でリアンが座っていた。
顔が見えなくても憔悴しているのがわかる。
「……隣、いい?」
返事はなかったが、断られなかったので座ることにした。
「ごめん……俺、勘違いしてた」
リアンが突然謝るので、エスタは首を傾げた。
「俺のダンスと歌には価値があって、お金を稼げると思ったんだ。それでみんなを助けられると。でも違った。俺の歌には価値なんてなかった……。俺の歌は、誰にも届かない……!」
エスタはゆっくりと首を横に振り、リアンの手に手を重ねた。
「届かない声なんて一つもない。リアンが震えながらも歌ったその声を、誰かはちゃんと受け止めてる。かき消されたように思えても、あなたが歌い続ける限り消えることはない」
「……」
エスタの励ましの言葉にもリアンは顔を上げられず、悔しそうに拳を握りしめていた。
「さて! ここに、転生した女がおります」
「?」
「ある日突然、女は推しに殺された死に際の記憶だけを思い出しました。女は二度とアイドルとは関わらないと誓いました。二度と誰かに夢中になったり、誰かのために夢を応援したり、心が揺れることはないだろうと、思っていました」
「……それって、エスタの話?」
エスタは穏やかな顔で頷いた。
「だけどね、芝生の上で幸せそうに踊る男の子を見た時、私の魂は再び震えたの。あの時はっきりと、ここが動き出したのを感じた」
胸に指を当てるエスタ。
リアンの瞳に、揺れる光が少しずつ戻っていく。
「誰にもどうにも出来ないことだと、諦めていた心が再び動き出した」
今さら叡智に復讐は出来ないし、マリに文句は言えないし、死んでしまった『私』を、もう誰も救うことは出来ないのだと諦めていた。
もうあんな思いはしたくない。裏切られるくらいなら最初から好きにならなければいい。期待したから傷ついたのだから。
エスタの中に、『私』の傷ついた記憶が埋め込まれた。エスタでさえ、『私』にしてやれることはないと諦めていた。
「私はリアンの歌を聞いて救われた。大好きなアイドルを手伝う仕事に、また戻ってこれたんだよ」
かつてアイドルが大好きで、夢中になって追いかけていた『私』が。
「あなたの歌とダンスには人の心を動かす力がある。私のように、誰かにとって特別な光として心に刻まれる仕事が、アイドルなんだよ」
リアンは震える息を吐き、顔を上げた。
不安そうに見つめる瞳に、目を反らさず力強く頷いてみせた。
リアンの奥の瞳に、確かな強さが芽生えていた。
「戻りましょう!」
「……うん」
二人が会場に戻ると、下を向いたままのメンバーが幕前で出番を待っていた。
リアンの姿を見たエリオットがほっと胸を撫で下ろす。
「あなたに任せてよかった」
「みんなの様子はどうですか?」
エリオットが、首を横に振って肩を竦めた。
立ち上がることは出来ても、気持ちを建て直すのは難しそうだ。
舞台に上がる恐怖で肩が震えている。
「円陣を組もう」
クリフがメンバーに声をかけた。
アービスが出演前に円陣を組むのは恒例となっていたが、出演途中で組むのはこれがはじめてだった。
「我々も入れてください」
エリオットがエスタの肩を押して、クリフと共に挟む。
クリフの伸ばした手をカッシュが掴み、リアンがディーゴとルルを両肩に掴んで輪に引き込んだ。
「アービス、出番です!」
全員で円陣を組んだが、誰も掛け声をする者はいなかった。
掛け声を終えたら、舞台に立たなければならない。
メンバーの不安と緊張と恐怖が伝わってくる。
「ーーっ大丈夫! 私達はここにいる!」
エスタはたまらず声を張り上げた。エリオットも力強く頷く。
「前を向くのが怖いなら隣を見てください! 共にこれまで辛い練習を乗り越えてきた仲間がいます。後ろを振り返ってください。私達がいます!」
君達は一人じゃない。
舞台上には仲間がいて、舞台袖には彼らを温かく見守り、帰りを待つ私達がいる。
「アービス、早く舞台に!」
出番を急かされたアービス。その時、客席から再び歌声が上がった。
全員が強ばる。
しかし、聞こえてきた曲は、ベラバイの曲ではなかった。
『ーー流れ行くありきたりで退屈だった日々の狭間で
君と出会えた奇跡
私はここだと叫んでいた
心が満たされて
今より少しだけ、前を向けたよーー』
会場から聞こえてきたのは、紛れもないアービスの曲だった。
アービスのファンが、アービスの曲を大声で歌っていた。
どこからともなく始まった歌は、先程よりも小さな渦だが、客席の至るところで繋がって、舞台袖にまで届いた。
ファンが彼らを励ますために、声を張り上げて歌っている。
そうだ。
「前にだって、客席にだって、アービスを応援するファンがいます……!」
エスタは胸が熱くなった。それはみんなも同じだった。
「うわーヤバい!」
「泣きそうだ」
「わかる」
「俺もう泣いてるッス!」
「っし! 掛け声するぞ! 女の子達にーー」
「待って。俺がする」
リアンが珍しく名乗りを上げた。
もちろん、異論を唱える者はいない。
「……俺達はまだ、スタートラインに立ったばかりだ」
メンバーが頷く。その目には、熱く強い意志が宿っていた。
「ーーっいくぞ!」
リアンの掛け声に全員が「オ!? オー!」とまたしてもまばらに叫んだ。
「もう少しきのきいたこと言うかと思ったら、フツー!」
「あはは!」
「リアンらしくていい」
「ッス!」
みんなの顔に、自信と笑顔が戻っていた。そこに怯えはもうない。
きらびやかな舞台に向かうメンバー達を誇りに思いながら見送る。
舞台に立ってからも、ファン達は歌を止めなかった。
リアンがマイクを持つ。ファンの歌声に被せて、共にアカペラを披露した。
会場がざわりとなる。
その美しい歌声に、空気が一瞬で変わったのがわかった。
歌い終えてもどよめきは中々冷めない。
それでもメンバーが立ち位置に立ち、曲が始まった。
これまでの二曲が嘘のように、全員が伸び伸びとした歌声とダンスを披露した。
最初は困惑していたベラバイのファンも、次第にアービスのパフォーマンスに惹かれ、最後は会場から割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こっていた。
「よかった……」
無事にやり終えた。
エスタは堪えきれず涙した。
あんな状況でも舞台に立ち、堂々と曲を披露したメンバーを誇りに思った。
「いいグループだな」
舞台袖から見守るエスタに、ロズリーが声をかけた。
「はい……。今日はありがとうございました。それから、あの子達を庇ってくれたこと、感謝しています」
「……」
「ロズリーが、私が知ってるロズリーで、曲がったことが大嫌いなかっこいいままのあなただったことが、とても嬉しかった」
言葉にすると泣きそうになり、誤魔化すようにお辞儀を装って頭を下げた。
それでも、床にポトリと雫が一つ落ちた。
「ハァ……。こんなつもりじゃなかったんだけどな」
「え?」
「ほんと、俺を苛つかせるのはいつだってお前だけだ」
「?」
ロズリーはそう言って、エスタの頭をぐしゃぐしゃにすると、フッと笑って去っていった。
その背を見えなくなるまで見送った。
拍手の中、無事にパフォーマンスを終えたメンバーが戻ってきた。
エスタは広いところへ移動し、拍手をしてメンバーを迎えた。
「終わったー!」
カッシュが両手を上げて向かってきたので、エスタもハイタッチの構えで待ち構えた。
ところが、カッシュはそのままエスタに抱きつき、「やったぜー!」と叫んだ。
「ちょっ、むり!」
それを皮切りに、全員が抱きついてきて、大きな塊となって、しかし支えられず床にべしゃりと倒れこんだ。
「おやおや」
みんなで笑って、健闘を称えて、立ち上がる。
ベラバイの最後の曲が終わると、メンバーは最後にまた舞台へと上がり、ファンに挨拶をした。
ツーマンコンサートは少しの苦い記憶と、最高の時間を得て幕を閉じた。




