反対する理由
リアンは、幼い頃から歌うのも踊るのも大好きで、いつからかアイドルになる夢を抱くようになっていた。
13歳になると、エリオットやルルにはまだ早いと反対されたが、内緒でホットプレイン商会に履歴書を送った。
合格の通知を手に、商会の練習生に選ばれると、一月でデビューメンバーの候補にまでなれた。
あまりにもトントン拍子に夢の階段を登っていたので、なぜエリオットやルルが反対したのかにまで考えが及ばなかった。
集められた10人の候補生達。一列に並べられてマネージャーの男は言った。
「今からお前達を後援者の元に連れていく。そこで気に入られた者は晴れてメンバー入りだ。後援者に無礼を働いたものは即刻脱落と思っていい」
気に入られればメンバー入り。リアンは深く考えずに期待に胸を膨らませた。仲間達も同じだった。
だが、すぐに付いて行くべきではなかったと後悔した。
むせ返るような香水と酒の臭い。
豪華な食事を前にしても気分が悪くなるほど、じっとりと汗が滲んでシャツが肌に張り付いた。
猫なで声の女達がいやらしい視線を向けてリアン達を品定めする。
気に入った少年を隣に侍らせて、スキンシップを楽しんでいた。いや、楽しんでいるのは彼女達だけで、抵抗出来ないリアン達は不躾に触れてくる女性達に恐怖で身がすくむだけだ。
なんだこれ……、こんなの俺は知らない!
「この子従順でいいじゃない。気に入ったわ」
「!」
熟年の男爵夫人に選ばれたのは、10人の中でも一番実力の劣る少年だった。
喜びに頬を紅潮させ、夫人の頬にキスを落とす。
権力に迎合し媚を売る姿に見ていられなくて目を反らした。
夢を人質に取られ、権力を振りかざして少年達を食い物にする。
リアンはお金を稼ぐためならどんな苦労も努力も惜しまないと誓っていた。自分はアイドルという商品として価値があるという自信もあった。
モノ扱いは覚悟の上でも、尊厳まで汚されようとは思ってもいなかった。
逃げよう。
隙をついて逃げたリアンは、扉を開けようとしたが外から鍵がかかっていて出られない。
壁の隅で丸くなり、存在を消して、ただただ何事もなく時間が過ぎていくのを待った。
無事に家に帰れることだけを願った。
「あら、この子とぉっても可愛いじゃなぁい」
無理やり顔を上げられて腕を掴まれる。
真っ赤な唇が左右に広がる。視界が歪み、恐怖で体が小刻みに震えた。
声も出せず、ソファへと引きずられたその時、外から扉が勢いよく開けられた。
「ーー失礼しまっす!」
扉を開け放ったのは、まだ成人してあどけない小柄な少女だった。しかしその小さな体には怒りを纏い、迫力があった。
呆ける人々を無視して、扉を全開にしたまま中に入ってくる。
新鮮な空気と共に入ってきた少女は、キョロキョロと顔を動かして何かを探していた。
「いたー! ロズリー!」
リアンと同じように部屋の隅で丸くなっていた少年に手を差しのべる。
ロズリーと呼ばれた少年は、少女の手を取りそのまま胸に飛び込んだ。
「なんで候補生の中にあなたが交ざってるんですかー!」
「知るかよ! 外でお前を待ってたらついでだからお前も来いって馬車に乗せられたんだよ!」
二人は抱き合ったまま、言い争いをしていた。
それを見た貴族が、我に返って金切り声を上げる。
少女を指差し、「無礼だ!」と批難した。
今にも首を跳ねそうな剣幕に、リアンは恐怖で身がすくんだ。
しかし少女は、堂々と背筋を伸ばしてお辞儀をすると、「ホットプレイン商会マネジメント部門に所属しておりますエスタ=ランドルフです」と丁寧な挨拶をした。
その堂々たる美しい所作に見惚れる。貴族も叫ぶのをやめていぶかしんだ。
「手違いがあったようです。この子はすでにデビューを果たしておりますので連れ帰ります」
目的を果たした少女は、ロズリーだけを連れて扉へと向かった。
そんなーー
彼女は全員を助けに来たわけではなかった。
商会に所属しているなら、後援者に楯突くことは出来ないだろう。リアンは再び絶望した。
「あ」
少女が扉の前でぴたりと止まった。そして振り返る。
その目には、入ってきた時と同じ怒りを纏ったまま。
「そういえば、外に憲兵が集まっておりました」
「!?」
「おそらく、ここにいる誰かの保護者が通報したかと。全員が未成年ですし、騒ぎになる前に私が連れ帰りましょうか?」
「そ、そうして頂戴」
「かしこまりました。さぁ、ご迷惑をかける前にみんな帰りますよー!」
エスタの一声で、リアンを含む少年達は無事に貴族の屋敷から脱出することができた。
屋敷からの帰り道。先頭を歩くエスタが淡々と候補生達に教えてくれた。
後援者の必要なアイドルに接待は付き物だが、多くは開かれたパーティーで行われるという。今夜のような閉じられた空間で、体の接触を強いられるような接待は希だが存在するのだと。
「……」
知らなかった。
エスタが助けに来てくれなかったら……、想像しただけで鳥肌が立った。
「嫌なことはしなくてもいい」
こんなことは本来必要のない、恥ずべき行為だから。
もし同じことが起こっても、逃げていいし断ってもいい。
あなた達は商品である前に一人の人間だ。
だけど業界の中にはあなた達をいいように使う人達もいる。
「一番に自分を大事にすること」
エスタの言葉には、深い重みと温情があった。
見ず知らずの若者を守ろうとする姿に、リアンの胸は高鳴っていた。
何人かが泣きながらエスタの言葉に頷く。
門を出ると、商会へは戻らずその場で解散することにした。
肩を落として散り散りに去っていく仲間達の中で、リアンはキョロキョロと周囲を見回した。
「どうかした?」
「あ……憲兵はどこかなと思って……」
リアンの疑問に、エスタが意味深に笑った。そして口に人差し指を当てて、片目を閉じた。
そうか。憲兵はエスタが全員を穏便に助けるための方便だったのか。
「マッドが偶然連れ去られたところを見てたおかげで助かりましたね、ロズリー」
「……ん」
「今夜はマッドも誘ってロズリーの奢りですよ!」
「あ? 俺は二人きりが……てかオカマの分は奢らねぇぞ」
「恩人ですよ!?」
「腹減った。行くぞ」
ロズリーがエスタの手を引く。
そのまま仲良く手を繋いで歩く二人。
話続けるエスタを愛おしそうな目で見下ろすロズリーに、リアンはなんだか腹が立った。
二人の背を、羨ましく思いながら見えなくなるまで見つめていた。
***
グループの中心人物となるであろうリアンが、エスタのマネージャー就任を反対した。
エリオットとルルも予想外の反応だったようで、戸惑いが伝わる。
「これはどうしたものか……。リアン後で話しましょう」
エリオットが場を納めようとしたが、リアンは一睨みして黙らせた。
そのままエスタの腕を取って家の外へと飛び出す。
「ど、え!? リアン君っ」
腕を掴まれたまま、二人は邸宅から大通りに出た。
橋の上まで来てようやく止まった。
「リアン君、どうしーー」
「リアンでいい」
リアンは手を離し、しかしこちらには振り返らず背を向けたままだ。
エスタは呼吸を整えてから、リアンに問いかけた。
「その、リアンは私がマネージャーになるのが嫌なのね?」
「違う!」
食いぎみに否定して振り返ったリアン。
しかし次の言葉が出てこない。
エスタはリアンが話すまで待った。
「……マネージャーが嫌なのは、エスタだろ?」
「私?」
「階段から突き落とされてロズリーを殴ってたじゃないか」
エスタはなんと返していいのか分からず、苦笑いを浮かべた。
「それだけ辛いことがあったんだろ? だから辞めたんだろう? 嫌なことはしなくていい。自分を大事にしろ。そう言ったのはエスタじゃないか!」
「?」
そんなこと、リアンに言ったかな……。
エスタが言いそうな言葉ではあるが。
もしかしたらバックダンサーだったリアンと、どこかで会ったことがあるのかもしれない。
「私を心配して反対したのね?」
「……ああ」
「リアンの目の前でロズリーをぶん殴ったもんね。あ、いつも殴っていたわけじゃないよ! あの時が初めて」
「フッ」
リアンが顔を背けて笑う。ぶっ飛ばされたロズリーを思い出したらしい。
「殴ったのはーー、ちょっと事情があって、あの時混乱していたの。彼に何かされたわけじゃないし、マネージャーも辞めたくて辞めたわけじゃない。解雇されたのよ」
「え?」
「アイドルの顔を殴ったらマネージャーとして失格でしょ。でも、私はマネージャーの仕事が好き。誰かの夢を手伝えるすてきな仕事だから」
「……」
「あなたならトップアイドルになれる。私にその手伝いをさせてほしいの!」
リアンの頬がぽっと赤く染まった。庭で練習を見られていたのが恥ずかしかったようだ。
「それじゃあエスタは、マネージャーになるのは苦じゃないんだな?」
「ええ」
「そうか……。俺はてっきり、またエリオットが裏で手を回して無理矢理断れない状況を作ったのかと思った」
「え。待ってエリオットさんてそういう人?」
「俺のためって言ってるけど、本当の目的は金儲けだから。エスタはまだ余所者だからしばらくはあの笑顔に騙されない方がいい。でも根はいい奴だから」
「わ、わかった」
リアンの忠告にゴクリと喉をならして頷く。
「エスタ」
「は、はい!」
「俺はエスタがマネージャーになってくれたらうれしい。ずっと、側にいてほしい」
リアンの言葉にドキッとした。そういう意味ではないのだとわかってはいても、まるで告白のようで顔がひきつる。
「エスタ、これからよろしくお願いします」
「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします!」
頬を染めて照れながら笑うリアン。
かわいいな、とエスタも微笑む。
慣れない敬語を使ったこともだが、踊っているときはあんなにかっこいいのだから、このギャップは武器になるだろう。
どちらからともなく、二人は橋の上で握手を交わした。
その時、一台の豪華な赤い馬車が速度を落として通りすぎていった。
馬車の中から鬼のような形相で二人を見つめる人物がいたのだが、エスタは全く気づかなかった。




