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元男爵令嬢、異世界でアイドルをマネジメント  作者: 千山芽佳


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見えない力

 

 セイレーンという人魚の魔物は、美しい歌声で船乗りを惑わし、海へ引きずりこむという。


 ハンカチを返しに来たエスタだったが、嫌な予感がして逃げるように踵を返した。

 そこへ一陣の風が吹く。

 玄関から門へと続く石畳の道で、風に乗って美しい声が耳に届いた。


「歌……?」


 どこからともなく聞こえてくる、魂を絡め取るような歌声。

 エスタは、まるでセイレーンの誘惑に引き寄せられた船乗りのごとく、庭の奥深くへと足を踏み入れた。

 丁寧に敷き詰められた石畳が家の裏へと続いていた。

 やがて視界が開け、ステージほどの広さの空間が現れた。

 そこには、一人の少年がいた。

 陽光の下で黄金の髪が炎のように揺れる。全身でリズムをとりながら、楽器のように奏でられる歌声と、指先ひとつにまで物語があるかのようなダンスに、エスタの心は一瞬にして奪われた。

 目が、魂が、少年の存在に釘付けになる。

 みぞおちの奥から熱く込み上げる何かが全身を駆け巡り、胸を締め付けた。


「……あ」


 なぜか唐突に涙が出た。これはエスタの涙か、『私』の涙か。

 思いがけない経験に自分の感情をもて余してしまう。

 彼の才能に魅せられて、エスタは涙が止まらなくなった。

 圧倒的な歌唱力とダンススキル。激しい動きに乱れぬ呼吸。

 どう考えても、昨日今日で身に付けたとは思えない。鋭く研ぎ澄まされたダンスのキレ、揺るぎない体幹、それらは少年が血と汗で築き上げた努力の結晶だと、エスタの目は確かに捉えていた。

 才能に驕らず洗練してきた彼の努力が所々に垣間見れて胸を打たれる。

 エスタは彼を知っていた。

 己の危険を省みず、両腕を広げてエスタを受け止めてくれた少年。

 ハンカチで顔を拭い、その後も心配して救護室まで付き添ってくれた。

 バックダンサーとして来ていたのだから、アイドル志望だろうに、なぜまだデビューをしていないのだろう。

 この子が、リアンが未だに世に認知されていないことが不思議だった。


「もったいない……」

「ですよね。だから私があの子を世に送り出すのです」

「!」


 突然背後から声をかけられ跳び跳ねた。


「またお会いしましたね」

「……エリオットさん」


 やはり銀ふわ髪の子が呼びに行ったのは、エスタの知る男だった。

 エリオットは後ろ手に組んでエスタの隣に並んだ。その視線の先には、こちらに気づかず躍り続けるリアンがいる。

 見つめる瞳は実に誇らしげだ。


「聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「なぜこれほどの実力のある子が日の目を見ていないのですか?」

「それはあなたが一番お分かりでは? あの腐った大人が作ったシステムをね」

「!」


 後援者へのアイドルを上納するシステムのことを言っていた。

 もしもリアンが接待を拒んでいたのなら、これまで日の目を見なかったのも頷けた。


「子供の頃から歌も踊りも大好きで、昼夜問わず練習してました」


 子供の頃から?

 二人は兄弟には見えないが、付き合いは長そうだ。

 リアンは幸せそうに踊っていた。

 エリオットの言う通り、歌うのが楽しくて、嬉しくて、大好きなんだと全身から伝わってくる。

 それなのに、彼の立っている舞台は庭の芝生の上。観客もなくスポットライトも当たらない草の上で、このまま埋もれてしまってもいいのか。


「悔しいでしょう?」

「!」

「くだらないシステムのせいであの子の才能が埋もれるのが」

「はい」

「そんな理由で夢を諦めた子達が、たくさんいたのでしょうね」

「……はい」

「エスタさん。私と共にあしき慣習に抗って、健全なアイドル文化を作り上げませんか?」

「!」

「私はアイドルに望まない接待はさせません。絶対に」

「エリオットさん」

「正当に戦って売れる。そんなアイドルの前例を、私はリアンで証明したい。エスタさんも志は同じはず。共にこの業界を変えていきませんか?」


 エリオットの力強い言葉を聞いて、エスタの心は大きく揺らいだ。

 ずっと求めていた答えが目の前にある。

 その手を掴まずにいられようか。

 前世の記憶を取り戻しても、三年業界に身を置いてマネージャー業をしていたエスタの心は疼いていた。

 そして、リアンを見た時、前世の『私』の止まったはずの心が、また動き出したのもわかった。


「思い出した! エスタってベラバイのマネじゃん!」


 ダボダボのセーターを着て、サンダルで庭に出てきた先ほどの銀ふわ髪のかわいい男の子。


「どこに行ったかと思えば勝手に人んちの庭入ってきてさー、ホップレの飼い犬は待ても出来ないのかよ。部外者は立ち入り禁止だぞ」


 可愛い顔と舌ったらずな声とは対称に、放たれるきつい言葉。そのギャップに戸惑う。


「エスタさんはホットプレインを辞めてます。そして君達のマネージャーになる方なので、部外者ではありません」

「そうなの!?」


 エスタはまだ何も言っていないが……。


「彼もメンバーの一人です。挨拶を」

「ルルでーす! こっれかっらよっろしっくね~!」

「本名を」

「えー……ガルゴドルですよろしくー」


 めちゃくちゃ不服そうに名乗る。可愛いお顔とは対称なゴツい名前が嫌なようだ。ルルと呼んであげよう。


「あと二人メンバーがいます。一人は家にいるのですが」

「部屋に女の子連れ込んでるー」

「なんですと?」

「ルル、言い方に気を付けましょうね。エスタさん、そんな怖い顔をしないでください。関係の清算中なのでご心配なく」

「女性関係でスキャンダルを起こされるとアイドルにとって致命的です。グループにとっても迷惑です」

「まだアイドルではありません。チャラさはありますが、自覚を持つよう言ってます。本人も覚悟をもってアイドルになると言っています。それに、個々のカラーがある方がいいとエスタさんも言っていたでしょう」

「……会って話をさせてください」

「もちろんです。もう一人は商会の仕事で不在です。後ほど紹介します」


 広い家にはメンバーが住んでいるようだ。


「リアンを含めて四人のメンバーです」

「エリオットさんはメンバーではないんですね」

「私は年も年ですし。裏方ですよ」


 商会長であるのは知っていたが、エリオットも知的なイケメンなので勿体ないと思った。年も聞けばエスタの5コ上で商会長の中では若い方だ。


「ではエスタさん。改めまして、マネージャーを引き受けてくれませんか?」

「……」


 正式にマネージャーの打診をされたエスタ。

 返事を躊躇っていたが、断るなら先ほどルルに紹介された時に断っていたはずだ。

 すでに心は動かされた。

『私』の中でアイドルへの嫌悪感は、もうない。

 もう一度やり直したい。アイドルを目指す全ての子達が、よき方向へ行く手伝いをしたい。

 エスタは覚悟を決めた。


「よろしくお願いしまーー」

「だめだ!」


 三人が驚いて振り返る。

 いつの間にか踊るのを止めて話を聞いていたリアンが、拳を震わせて仁王立ちしていた。


「エスタはマネージャーにならない!」


 グループの中心的メンバーとなるリアンが、なぜかエスタのマネージャー就任を強く反対した。



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