駆けつけたゼンゾー
蛇の匂いがぷんぷんしていた。
急いでドアを開けると、チェーンロックが邪魔をする。
「ユニ、持ってろ」
ユニオにドアを開かせておいて、おれは拳銃をホルスターから抜いた。
おれのナンブは改造が施してある。威力を5段階に調整できるようにスティーブに改良してもらった。最大より一つ落とし、チェーンに狙いをつけてぶっ放す。派手に銃声が響いたが、気にしている暇はない。チェーンが金属の切れる鈍い音を立て、いとも簡単にぶち切れた。
いきなりドアが勢いよく開き、ユニオが転びかける。
「わああっ!」
しかし持ちこたえた。さすが運動能力の高いユニコーンだ。
「優子さん!」
部屋の中に争ったような形跡はなかった。
半分溶けた鶏が床に落ちていた。
その向こうに、粘液に包まれて、優子さんが横たわっている。
「優子さんーっ!」
「ママ!」
それほど溶かされてはいないが、息をしていなかった。急いで人工呼吸を試みる。粘液まみれになっていてもかわいいその唇に、こんな風に初めての接触をしたくはなかったが。
「僕がやる!」
ユニオが後ろからおれを退けて、優子さんに覆い被さった。唇を唇で塞ぎ、息を吹き込む。そうしながら胸に強くマッサージを加える。そうか、おれが島で、コイツに人工呼吸のやり方を教えたんだった。そういえばユニコーンの吐く息には強い治癒能力がある。彼らの持つ高い自己修復能力を他者にも与えることが出来るのだろうと親父が言っていた。
部屋の隅で怯えて固まっていたマルチーズ犬がよろよろと立ち上がり、こっちへ歩いて来た。
「てめえ……、何してた!」
おれは犬に向かって吠えた。
「てめえがご主人を守らにゃだろうが!!」
そう言いながら、無理を言っているとも思った。ここへ来たのは蛇の化け物といってもいい、アーニマンのネアだ。一睨みされただけで小さな犬コロは身体が固まってしまったことだろう。
「ゼンゾー!」
ユニオが嬉しそうな声を上げた。
「ママの息、戻った!」
優子さんの止まっていた胸の動きが戻っていた。形のいいバストが上下している。意識は戻らないが、これならもう大丈夫だ。
「……よかった!」
思わず涙が出た。
しかしなぜ、ネアは優子さんを食べずに出て行ったのだろう。あいつは人間を丸ごと呑むことが出来る。呑もうとはしたのだろう、神経毒を牙から打ち込み、口には入れた。しかし吐き出したのだ。
容易に想像がついた。この部屋にはネアの蛇の匂いをかき消すほどの強い匂いが漂っている。いい匂いだ、おれにとっては。健康な牛レバーと絞りたての牛乳、それに生卵を加えて、金属バケツの中で三年ぐらい発酵させたような、むっちゅぐちゅするような、強烈な女性の匂い。しかしそれはネアにとってはとんでもなく不味かったのだ。たまらず、ネアは食べかけていた優子さんを吐き出したのだ。
「ママー!」
ユニオが優子さんに抱きつき、起こそうとしている。
「ママー! 死んじゃ、やだ!」
愛らしい光景に頬が緩んだ。
「よかったね。そのバカ女が死んでたら、私も困るところだった」
いきなり背後からした声に急いで振り向くと、そこに綺麗なグレーのスーツに身を包み、サラサラの銀髪を揺らしてアーミティアスが立っていた。優子さんに抱きつくユニオを見下ろしながら、笑っている。
「てめえ! 何しに来やがった!」
「おっと。私は何もしていないよ?」
やつはおれを手で制すると、視線でおれにユニオを見るよう、促す。
「もしかしてゼンゾー、これを『愛の光景』とか思った?」
「違うわけねえだろ。ユニオは優子さんを本当の母さんだと思っているんだ」
「バカだなぁ」
スーツのポケットに両手を突っ込み、アーミティアスは笑う。
「まだ子供の自分を保護してくれる女が必要だから、まだ死なれたら困るってだけじゃないか」
「てめえ……!」
「しかも一番大事なことには、銀色の髪に金色が混じりはじめた時、この女がいないとロイは困るんだ」
アーミティアスは晩飯の話でもするように、言った。
「この女を食べることで、ロイは人間社会に完全に適応できるようになるんだから」
おれは銃を抜いた。やつめがけて構える。しかし、やつはもうそこにいなかった。
「ごめん、ごめん。ロイじゃなかったね」
背後から声がした。
「ユニオってつけたのか、その女。へんな名前~」
そう言ってバカにするように笑うアーミティアスに銃口を向ける。そのたびに、やつは消える。
「ユーコって言うんだね、そのバカ女。ちょっとユニコーンみたいで笑っちゃうよね」
匂いで追おうとするが、部屋には別の強い匂いが充満しすぎている。蛇の匂いと、優子さんの匂い。
「てめえっ! 逃げんな! 撃たせろ!」
「そんなことよりゼンゾー、ネアを追わなくていいのか?」
おれの肩をアーミティアスが組んで来た。
「あいつ、しつこいぞ? 絶対にまた来る。追え。追って、殺して来い」
「くっ……!」
やつの腕を振りほどき、銃口を向けると、それきりやつの気配が部屋からなくなった。
「ママ!」
ユニオが涙声で、まだ優子さんを揺り起こそうとしている。
「目、開けてよ!」
悔しいがアーミティアスの言う通り、ネアを追うべきだ。
しかし、こいつらを放っておいて行くわけには行かない。
ユニオはおそらくネアには勝てない。もしネアがここに戻って来たら、二人とも失うことになってしまいかねない。
せめてここにもう一人、誰かいてくれたら……。無力でもいいから、誰かもう一人いたら、ネアは部屋に入って来ない。あいつは臆病なのだ。ユニオだけでなくもう一人、意識のしっかりしている人がここにいるだけで、おれは安心できる。
「愛田谷くん!?」
その声に振り向くと、開きっ放しの玄関に、かわいい34歳の婦人警官が立っていた。塩田法子センパイ独身だ。
「塩田さん!」
救世主を見る顔で、おれは泣いた。
「ちょうど近くをパトロールで通りかかったら、銃声が聞こえたから、通報もあったし、署に連絡してからおそるおそる様子を見に来たら……君が発砲したの? 何があったの?」
「いえ……。ちょっと」
おれはユニオを見せながら、言った。
「すみませんが、おれ、犯人追いますんで、ここでちょっとユニオとあの女性のこと、見ててくれませんか?」
「ユニオくんっ!」
塩田さんはアイドルにばったり道端で出会ったように正気を失った。
「うん! うんっ! 私ユニオくんと一緒にいる! いてあげる!」
おれは外へ飛び出した。
蛇の臭いが細い道のように階段下へ続いていた。




