ユニコーンの島
おれは優子さんに話しはじめた。
ここから僅か約350km離れた太平洋上に浮かぶ、ユニコーンの島のことを。
それはユニコーンのツノのように、ほとんどの人間の目には見えない島だ。周囲を守るように、いつも強い風が周囲を巻いているので、船がぶつかって気がつくこともない。
大きな島ではないが、そこにはおよそ2千頭のユニコーンとアーニマン達が暮らしている。
ユニコーンは人間の姿をした動物、アーニマンは動物の姿をした人間だ。
ユニコーンは主にアーニマンを食糧とし、アーニマンは主にユニコーンを食糧としている。
数のバランスは取れていて、両者は敵同士とも言えるが、共生関係にあるとも言える。
何しろどちらも言葉を解するので、島全体に困ったことが起きた場合には協力し合ったりもするのだ。
ロイはその島で生まれた。幼い頃に両親をライオン型のアーニマンに食い殺され、おれの祖父が引き取った。
ロイはあの島でなければ生きて行けない。20歳を越えたら人間の世界では生きて行けないのだ。
「なぜですか?」と、優子さんが聞いた。
「人間は、まったく人間的な価値のない場所では生きて行けません」
おれはわかりやすく説明しようとした。
「明日食い殺されるかもしれない世界で、正気を保って生きて行けると思いますか? ユニコーンは味方にしたけれど、アーニマンからはおれ達人間も食糧として見られるんです。それに……」
「話がそれたわ」
優子さんが不機嫌そうに首を傾げる。
「ユニくんがその島で生まれたユニコーンだということはわかりました。でも、どうして人間の世界では生きて行けないの?」
明らかに苛ついている優子さんに、おれは残酷な証明をした。
「現に今、適応できていない。未産婦の肝臓を食べなければ生きられないんだ」
優子さんはショックを受けたように黙り、泣くようにうつむいた。
ロイ……もといユニオはずっと大人の会話につまらなそうに参加している子供のように、マルチーズ犬を抱いて撫でている。
「俺の知り合いに、ヘリコプターを持ってるやつがいます」
スティーブのことだ。
「そいつのヘリで、ロ……ユニオを、ユニコーンの島へ返します」
優子さんがおれの言葉に噛みつく勢いで顔を上げた。
「私の息子です!」
獣が威嚇するような声を上げる。
「あなたはユニコーンの能力に騙されてるんです」
おれは説得を試みる。
「ユニコーンには相手に自分を好きにさせてしまう、魅了する能力がある」
「私はこの子を産みました!」
ユニオの体を抱き寄せる。
「お腹を痛めて産んだ子です! 私の一部です!」
少し気圧された。
確かに彼女は、まだ魅了の能力がなかったはずの頃のそいつを大切に、自分の子として、育てている。
ユニオはきょとんとした顔で、優子さんに抱かれるままになっている。
おれは迷った。
彼女にあの話をするべきか、どうか。
ユニオの銀色の髪に、金色が混ざりはじめたら、あなたはそいつに食われるんですよ、と。
とても言えなかった。
「では、どうするんです?」
だからおれは彼女に逆に問うた。
「ユニオが人間を食べるのを黙って見過ごせと?」
優子さんはまたうつむいた。困ったように、言い訳を探すように口を動かしている。
「こうすればいいんだよ」
突然、ロイが、いやユニオがおれの膝の上に乗って来た。
顔を斜めにし、ツノが当たらないように、その白い顔が近づいて来る。銀青の目を閉じ、桃色のかわいい唇が力を抜き、やわらかく迫って来た。
ロイにキスをされるのは久し振りだった。そうか、あの島で狂いそうになっていた20歳のおれを繋ぎ止めていてくれたのは、この唇だった。
何も人間的価値のないあの島で、成人した人間を拒む不思議な力の立ち込めるあの地で、おれの正気を保たせてくれていたのは、他ならぬこいつの口づけだったのだ。
キスを交わすおれ達を、優子さんは両手で口を覆いながら見つめていた。
希望が少し湧いて来た。
こいつのキスがユニコーンの島でおれの狂気を食い止めてくれたように、今度はおれのキスが、こいつの人間世界への適応を助けるかもしれない。
確証はなかった。しかし、おれは期待した。
「これでお前……人間のレバーを食べるの、やめられるのか?」
本人に聞いてみた。
「おいしかった」
ユニオはおれから唇を離すと、うっとりと笑う。かわいい。
「ゼンゾーがキスしてくれたら、ぼく、大丈夫だよ。ママが怖がること、しなくなる」
アーミティアスがこいつにおれのことを『恋人』と教えた理由がなんとなくわかった。
おれは優子さんを振り返ると、言った。
「おれがあなた達を守ります」
優子さんがおれの目を呆けたような表情で見た。
おれは言った。
「おれと結婚してください」
「はあ?」
と、優子さんは言った。あまり嬉しそうではなかった。
「おれが側にいて、見守りたいんです。あなたとユニオを、守りたい」
「だからって……。結婚て……」
「だめですか?」
おれは押した。
「初めてお会いしたあの、あなたの会社の前で、あなたを見た時から、おれはあなたに恋をしていたんです」
優子さんはおれを頼るような目をして、それを伏せてしまった。
「でも……あたし……。あなたのことをよく知りません……」
「知ってください」
おれはユニオを抱き寄せながら、言った。
「明日、デートしましょう」




