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「おかえり」
「あ、ラスティン様。ただいま戻りました」
ニコリと微笑みながら、ラスティンに淑女の礼をとる。
ただ、この日はいくら愛しいラスティンであろうとも、少しだけ会いたくない気持ちがあった。
リルムが、どうして番であるラスティンの好意に全力でよりかかっていないか、その理由がわかったからだ。
10歳からの5年間。リルムは修行僧よりも厳しい環境で生きてきた。目を開けることを許されず、自分の呼吸や鼓動で生きていることを感じる毎日。その行為は瞑想に近いものだと瞑想の第一人者であるハルークのお墨付きももらった。
まだ、瞑想が番の魅力に抗う術である、というのは仮説の段階だ。
けれど、リルムはおそらくこの仮説があっているだろうことをわかってしまっている。馬鹿馬鹿しいと切って捨ててしまいたいけれど、自分の経験がそれを許してくれない。そしてこの方法をラスティンが試してしまったとき自分はーーー。
「リルム?」
「あ…申し訳ありません。少し考え事をしていました…」
「顔色が優れないが、何かあったのか?」
「……」
研究の成果に繋がりそうな発見があった。
これは研究の後ろ楯になってくれているラスティンに告げるべき言葉だ。けれど、伝えたくないと思ってしまう。
きっと伝えればラスティンは番の魅力に抗う方法、瞑想を試すだろう。彼は獣人で、瞑想などのオカルトな類いの行為はあまり好ましく思っていない。けれど、それと同じくらいに番というシステムに否定的だ。
いくらそういったものに否定的であっても、彼は頭ごなしに却下ということをしない人間だということは、これまでの付き合いでわかっている。
瞑想を試した彼が番に惑わされなくなった時、彼はどんな行動をとるのだろうか。リルムはそのことがただただ恐ろしかった。
では、折角の発見をラスティンに伝えないか、と言えば否だ。そんな不義理ができるはずもない。
しばらく口ごもってから、リルムはようやく口を開いた。
「瞑想の、研究者の方に会ってきました。
それで…おそらく、瞑想は番の魅力に対抗する方法として有効だろうという結論が出ました。まだ、実例が少なく確証を得たとは言えませんが…」
「それは…かなり研究の方面としてはよい報告のように思えるが。
どうした?」
浮かない顔をしているリルムを、ラスティンは優しく抱き寄せる。
彼が瞑想を始めたら、冷静になってしまったら。
もうこうやって抱き寄せられることもなくなるかもしれない。
「…大丈夫、です」
口に出してしまえば現実になりそうで、言葉にすることができない。さりとて、今のように震える声で大丈夫と言っても説得力が欠片もないことはわかっていた。
「大丈夫なようには見えないな。
何か不安なことがあるのか?」
心の底から心配してくれている甘い声に、自分の卑怯さが浮き彫りになるような気がした。
「私はラスティン様に、ふさわしくありません」
思わず口をついて出てしまった言葉。
しまった、と思うがもう遅かった。
「それは、どういう意味だ?
…立ち話でするような話題ではなさそうだ。まず茶をいれようか。着替えておいで、リルム」
「…はい」
物語の中で断罪されていた少女たちは、こんな心持ちだったのかと思う。そんな風に、現実逃避をしたくなる。いくら空想に逃げても、現実は待ってはくれないのだが。
いつのまにかそばに来たメイドたちが、テキパキと着替えを手伝ってくれる。
逃げることなど出来なかった。
そのまま、リルムはメイドたちに案内されてラスティンの部屋へ向かう。
ただ、この長いような短いような時間の間に、伝えるべきことは整理できた。
(せめて、取り乱して泣いたりしないように頑張ろう。
淑女らしく、嫌われないように…)
「失礼いたします」
考えうる最悪のパターンを想定してから、ラスティンの部屋に声をかけて入室する。
自分の隣においで、と手招きする姿に甘えて隣に座った。たったそれだけの仕草であるのに、好きだという感情が溢れそうだった。
「さて、では話の続きを聞こうか。
何故ふさわしくないなんて言ったのかな?」
メイドが香りの良いお茶を淹れ終えてから、ラスティンがおもむろに口を開いた。
以前リルムが好きだと言ったお茶を用意してくれたことや、詰問にならないよう優しく問いかけてくれているのがわかる。ラスティンはどこまでもリルムに甘い。
その甘さを、優しさを、受けとる資格が果たして自分にはあるのだろうか、と苦しくなった。
「私は、ラスティン様に捨てられるのが怖くて、今日の成果を報告することをためらいました」
「ふむ…」
舌が縮こまりそうになる。卑怯な自分を好きな人に告白するなど、恥以外の何者でもない。涙が込み上げそうになるのをグッと奥歯を噛んで耐えた。
「ラスティン様は理性的で、公平であろうとする方です。
ですからどんなに胡散臭く思えても、きっと瞑想を試すだろう、と思いました。
私自身は、瞑想の効果を確信しています。だから、ラスティン様が瞑想することが怖かった。
番の魅力がなくなった私を、捨てるだろうと、思ったから…。
私は自分の保身に走った卑怯者です」
言うべきことを頭の中でまとめてきたので、つっかえることなく言うことができた。せめて、淑女の誇りは守れただろうか。
とにかく、申し開きはした。あとは沙汰を待つだけだ。
「ひとつ聞きたい。リルムは何故瞑想の効果を確信した?」
「それはえっと…」
予想外の質問に戸惑う。
なんとか頭の中で順序を組み立てて話すまで、少しの時間を要した。
「サーシャさんに言われて気づいたのですが、私は客観的に見て番に溺れていないように見えるらしいのです。言われるまで、十分溺れていて、怖いくらいだと思っていたのですが、普通の番であればもっとすごい、と。それは様々な資料を見てもそうでした。
つまり、私は番の魅力に抵抗する力があるという結論に至りました。
では、いつそれを身に付けたのか、なのですが…。今回、瞑想の研究者の方に話を聞くことでわかりました。
私はあの5年間でずっと瞑想をしていたに等しい生活を送っていたのです。ですから…」
「なるほど!」
「へ?」
悲痛な面持ちのまま喋るリルムの頭上から、突然納得したような声が降ってきた。当然ながらラスティンの声だ。
「正直、俺も悩んでいたのだ。リルムは番だという確信があるのだが、今まで見聞きしていた番とは毛色が違いすぎる、とな。
よもや嫌われているのではとも考えたが、言葉は少ないが態度で好意を示してくれていたからその線もない、と。何故なのか不思議に思っていたのだが、リルム自身が番への抵抗力を持っていたならわかる」
「え、えぇと…?」
「あぁ、そうだ。
悩ませてすまなかった。俺自身は番関係なくリルムが好きだと確信を持っているが、リルムはそうではない。怖かっただろう。
リルムが望むのであれば俺自身は瞑想をしなくてもよいが、どうする?」
「えっ…それは…」
話が急展開過ぎてうまくついていけない。
「リルムは自分自身が好かれているかどうかが不安なのだろう?
俺自身は確信を持っているし、証明するために何度でも口説くことは構わない。だが、それでは解決しないはずだ。
リルムが好かれているという自覚を持たねばならん」
「えぇと、自覚は、たぶんある、のですが…」
少なくとも、ラスティンは好意を持っていない相手にここまで甘くないだろう。流石に嫌われていないとは思っている。
「番の魅力に抵抗することができれば捨てられる、などと思っているうちはまだまだだ。本当であれば俺も瞑想をして、抵抗力がある状態で口説くのが一番手っ取り早いのだが、それでリルムを不安にさせるのは本末転倒だ。
俺としてはその銀の髪も赤い瞳も、控えめな性格も思慮深いところもなにもかも愛しいのだが…言葉だけでは証明になるまい。
だから、待つことにする」
「ラスティン様…」
「本当に…どうしたら自信を持ってくれるのだろうな、君は。
今まで誰も考えることもしなかった常識にメスをいれ、解決策まで探り当てたというのに。
…やはり、付けられた傷が大きすぎたか。まぁいいさ。俺もダーヘルを見習うことにする」
「シスターシャルロッテの番の…? あっ…」
そこまで言ってやっとリルムは気付いた。
ラスティンはそれこそ何年でも待つ覚悟だ、と言ってくれているのだ。
「何十年でも待つさ。リルムが自信を持てたら、俺にも瞑想のやり方を教えて欲しい」
「あの…自信を持てるよう、頑張ります」
「それもいいが…甘えてくれても構わないぞ?
まぁ俺としては、リルムが俺を怖いくらい好いてくれているのがわかったから今日のところはそれでも構わんが」
「えっ…あっ…はい、そう、ですけど…。あの、そんな…繰り返さなくても…」
そういえばその場の勢いで、そんなことを口走った気がする。
あわあわと恥ずかしがるリルムをよそに、その日のラスティンは大変上機嫌だった。
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