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 サーシャに釘を刺されてから数日。ずっとエルムは悶々とした日々を過ごしてきた。

 やること自体はなにも変わらない。日々の仕事で忙しい父に代わり、主に賠償金に関わる仕事を粛々とやってのけるだけだ。

 だが、気づいたことがある。リルムに関する私情を捨てて、王宮で習った今までの知識に照らし合わせると、今のリー公爵家はどう考えても異常なのだ。

 家の誰もが口にする不満。リルムへの賠償金や罰金が高すぎる、そのせいでアレが買えないコレも買えないと。しかしながら賠償金や罰金の額は公爵家という家の格から考えて当然のものだった。

 むしろ、安いと考えてもいいくらいだ。


「慈悲って…そういうこと…?」


 実際は、まだリルムには正常な判断ができないだろうということで保留にしているに過ぎない。それでも最低限ケジメをつけるべきだ、ということでこの金額で済んでいるのだ。もしもリルムが厳罰を望んだとすれば、困窮するのは確実だ。むしろ、金の問題だけが浮き彫りになっている今の状況がおかしいとすら言える。

 何故なら、エルムの知る限り、リー公爵家は公式非公式に限らず謝罪を一切していないのだ。

 もし、金が惜しいというのであれば形だけでも謝罪をして減刑を乞うのが普通だ。というよりも、謝罪をしていない現状がおかしい。減刑はされずとも、民の手本となる上級貴族なのだから間違いを犯したのであればきちんと謝罪をするべきだ。少なくともエルムは王妃からそう習った。


「お父様にお話してみましょう」


 書類仕事はエルムに任されているが、謝罪をするのであれば当主の名を使うことになる。その許可をきちんと得ようと思い、エルムは父の元へ向かった。


「お父様…あ、お母様もいらっしゃったのですね」


 父の執務室に向かうと、母もその場にいた。最近の母は感情的で少々苦手に思ってきたところだが、こればかりは仕方がない。


「おお、エルムか。どうした」


「お父様に相談がありまして…あの、賠償金のことなのですが」


「まあああ、アレがまだ我が家からお金をむしり取ろうとしていますの!?」


 やはり母がいるときに話すのは失敗だったようだ。

 エルムが全てを口にする前に言葉を遮って感情を昂らせる。これでは話の続きが出来ない。


「本当に恥知らずな…今まで生き永らえさせてやった恩も忘れて…しかも今は厚顔無恥にも学園へ通っているのでしょう!?

 本当に早く処分するべきだったのよ。ケダモノの嫁だかなんだか知らないけれど偉そうに…」


「…エルム。それで、アレがどうかしたのか?

 アレに関することは全てお前に押し付けてしまってすまないと思っているが…これ以上金を出すのは流石に我が家としても厳しいんだ」


 喚く母をそのままに、父は話を促してくれた。

 そのことに少しホッとして話を続ける。最近の母は話を聞いてくれないけれど、父はまだまともだと安心できた。


「はい、それはわかっております。

 ですので、まずは公爵家として謝罪を…」


「何を言っているのエルム!!」


 母の悲鳴のような声が響いた。あまりにもヒステリックすぎて耳の奥がキィンとなる。


「何故私たちが謝罪をしなければならないの!?

 あの死神が生まれてきたから悪いのでしょう!?」


「心情的にはそうかもしれません。ですが、お母様、法律の観点から見ると…」


 エルムの言葉を聞きたくないと言わんばかりに首をふり、ヒステリックにわめきちらす母。けれど、これは大事な話なのできちんとしなければならない。

 母に何度も遮られながらも、決定権のある父にこれは必要なことなのだと訴える。


「……り、…かった」


「お父様?」


 なんとか言いたいことを言い終えたところで、ボソリと父が何かを呟いた。だが、あまりにも小さく、また傍で母がまだ喚いているので聞き取れなかった。


「やはり、女に学などいらなかったのだ…」


「お、お父様?」


「お前もそうなのか!? お前も私を見下すのか!

 頭の悪いヤツだと! 出来の悪いヤツだと!

 そうだな、法律的にそれが正しいのだろう。正しさをそうやって振りかざすのだお前らは!!」


 父の言うことはわからなかった。

 ただ、父が取り乱し、何かを責めていることだけはわかる。

 あまりのことにうるさかった母もあっけにとられていた。


「アレもそうだった! 母に言われ、法律などを齧りおって…。

 私のやっていることを責めおって…。私が悪いのか!? この領地を経営するためにはあのくらい仕方がないことじゃないか!

 誰だってやっている、誰だって!」


「あの…お父様…?」


「ええい! うるさい!!

 何故私が小賢しい女に謝らねばならぬのだ!」


 バシンと音がした。

 それは、父がエルムの頬を打った音だ。


「いたっ…」


 ジンジンと頬が熱い。これがぶたれる痛みなのかと、どこか人ごとのようにエルムは受け取る。そうでもしないと、頭がおかしくなりそうだった。

 だって、あの優しい父がエルムをぶつだなんて信じられない。

 信じたくない。


 だが、エルムは賢かった。少なくとも王妃の覚えがめでたいと言われる程度には。

 確かに、リルムに対してやってきたことの数々は愚かとしか言い様のない言動だ。けれど、サーシャに諭され、疑いを持った。

 自分の行動は間違いだったのではないか。

 リー公爵家はおかしいのではないか、と。

 一度疑念を持てば全てが繋がっていく。


 リー公爵家は、最初から何かがおかしかったのだ。


「私は間違っていない! 間違っているのはお前達だ!!!」


 そう叫んで父は部屋から逃げるように出て行く。

 残されたのは冷静とは言いがたい母と、未だジンジンと熱を持つ頬を抑えたエルムだ。


「どうして…」


「お母様」


 母は感情的な人間だ。それでも、エルムは母が好きだった。

 実務的なことは何も出来ない。貴族の女性らしく控えめで、何も出来なくてもいい、父の言うことを良く聞いていればいいと、父に望まれて嫁に入った身だ。

 そうして、エルムを授かった人。エルムの血の繋がった母親だ。

 だから、きっと自分の味方をしてくれると、エルムはそう思っていた。

 このときまでは。


「どうしてあなたはそうなっちゃったの!?」


「お母様…?」


「なぜお父様の言うことを聞けないのよ!

 折角王子妃に選ばれたのに不興を買う、今度はお父様まで怒らせて…。

 なんでそんな出来損ないになっちゃったのよ! まるでアレと一緒じゃない! この疫病神!

 暫く私に顔を見せないでちょうだい!

 あぁ。どうしてこんなことになっちゃったの…なんで私ばっかりこんな不幸な目にあうのよ!!」


 きっと優しく頭を撫でて慰めてくれる。それがエルムの知っている、エルムの理想とする母だった。

 けれど現実は違う。ぶたれたエルムを気にする様子もなく、ただ罵倒し己に降りかかった不幸を嘆く。それが、目の前にいるエルムの母だった。


 ショックを受け、エルムはフラフラと部屋を出て行く。背後からはまだ母の金切り声が聞こえていた。

 

「ふ、ふふ……」


 どうにか辿り着いた自分の部屋で、エルムはへたり込む。

 心のどこかで、使用人たちなら心配してくれるのではないかと思っていた。目をかけていた使用人だって、何人も居たのだ。けれど、彼らはエルムを見ても顔を背けた。

 それはそうだ。

 彼らの雇い主は父であり、エルムではない。


「…ぶたれたら痛い、当然よね。どうして私はそんなことすらわからなかったのかしら…」


 ジンジンと痛む頬に触れながら、エルムは誰にともなく呟いた。


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