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研究棟見学に行ったその日のうちに、リルムはラスティンに今日のことを報告した。その流れで書類関係も一緒に見てもらった。ラスティンは話の早さに驚きつつも、快く書類確認をしてくれた。書いてあった内容は概ね研究員としても常識の範囲内であることを確認し、次の日早速正式な研究員になった。
それにともない、その日はちょっとしたお祝いの食事会が開かれた。とはいっても、参加するのは厄介になっている屋敷にいる獣人のメンバーとサーシャだ。普段よりも少し豪華な食事と、いつものメンバーから可愛らしい懐中時計が贈られた。実はこれは全試験突破のお祝いのために用意されたものだったらしい。
メンバー曰く
「研究に夢中になりすぎて研究棟に住み着くことがないように」
という意味を込めて、だそうだ。思い返せば研究室には時計がなかった。確かに時計を見ることがなければリルムは研究室にこもっている可能性が高い。リルムが物事に夢中になると寝食を忘れる性質だというのは、もうこのメンバーの誰もが知っている情報だった。
「まぁ私がついていれば一応そういうことはさせないとは思いますけどー。
私がついていられない時間もあるっちゃありますからねー。気を付けてくださいよー?」
と、サーシャに念押しされてしまったほどだ。
そんな微笑ましいエピソードを経て、リルムは研究員としての活動を開始したのである。
研究室にあったからっぽの本棚には今、大量の資料が詰め込まれている。といっても大半は借り物だ。研究員は図書館からいくらでも本を借りることができる。そして、複製の許可も出ているのだ。リルムは番に関することが書いてあれば、それが子供向けの童話でも借りてきている。話の概要と傾向をまとめる地道な作業だ。
「…こうして見ると、やっぱり悲恋のほとんどは一緒になれないことを儚むタイプが多いですね」
「お話としてはやはりそういうものが好まれるんでしょうねー。
正直獣人の方って来世って信じないタイプの方が多いと思ってました」
助手として手伝いを続けてくれているサーシャがリルムの呟きに相づちをうつ。
「あ、それは実際そうみたいですよ。ラスティン様とも以前お話したのですが、獣人の方は総じてあまり神様を信じてはおられないようです。
一番信仰されている神様も番結びの神様なんですって。人間で言うと縁結びの神様という感じでしょうか。
軽く宗教のことも調べましたが、獣人の方は概ね来世よりも今世精一杯生きようという考えが普通のようですね」
「んー。てことは、馴染みのない人間的価値観の神様に縋ってでも来世一緒にいたいーみたいな感じなんですかねぇ。
…これは決して悪口ではないんですけど、番ってやっぱり怖いなぁって思っちゃいます」
「ふふ、それは当然の感情なんじゃないでしょうか。
当事者の私もちょっと怖いですから」
やはり人間の感性からすると、番の相手に対する執着は少々怖く思えてしまうのが一般的なようだ。きちんとアンケートをとったわけではないが、貴族平民関係なくそう感じる人は多そうな手応えがある。
獣人にとって、番と出会ったのに結ばれないというのは、ただの失恋を越えた何かがあるらしい。
確かにリルムもそういった感覚はある。もし、現時点でラスティンに捨てられたら、と考えるだけで怖い。どこかで「なりふり構わずにラスティンについて行こう」と囁くリルムがいる。その他にも「こんな実になるかもわからない研究を捨てて、ラスティンの腕の中に飛び込んでしまいたい」と誘惑する自分もいる。
番に対する執着も怖いが、何より全てを捨ててラスティンをとってしまえ、という己の声がリルムにとっては一番怖いものだ。
「…番が見つかると理性的ではなくなる、というのは実際合っているんじゃないかと思うんですよね。何を置いても番を優先したくなります」
「えぇ!? リルムちゃんもですかぁ!?」
素直な気持ちを吐露すると、サーシャにおおげさなくらい驚かれた。あまりの驚きぶりにリルムの方が驚いてしまう。
「えっと…そんなに意外ですか?」
「そりゃ意外ですよぉ。リルムちゃんって本当にラスティンくんと番なのかな? ってくらい一緒に居たがらないし、表情も変わらないし!
ラスティンくんの豹変振りはそりゃもうすごかったので番なんだなーってわかりますけど、リルムちゃんだけを見たら全然わかんないです」
「そうなのですね。私はすごくお慕いしているのですけれど…」
ふむ、とリルムは考え込む。
もしかしたら自分があまりラスティンにべったりとくっつきにいかないからこそ、それがラスティンには「理性的」として受け入れられた可能性はありそうだ。
正直なところ、リルムは自分に魅力があるとは全く思っていない。獣人と人間の美的感覚は多少ズレるとは聞いたことはある。だが、それを置いても妹のエルムの方が標準的な可愛らしさがあると思っている。リルムはこの呪われた目を抜きにしても、どちらかといえば冷たく素っ気ない印象を与えるタイプだ。食生活がまともになったお陰で肌は整ってきたし、髪のツヤも出た。けれど、表面的な美は毎日それに命をかけている貴族女性に比べるべくもない。
では、内面が秀でているかと言えば、そうとは言いがたい。どこをとっても欠点に見えてしまうし、そういう卑屈なところは一般的に好ましいとは言わないだろう。
結局のところ、リルムは番だからラスティンと出会い、番にしては理性的であるからこそ、番否定派のラスティンには好ましく映ったに過ぎない。そう、リルムは結論づけた。
もしこの結論を口にしていたならサーシャには即座に否定されただろう。周りから見ればラスティンがリルムという存在まるごとを溺愛しているのは一目瞭然なのだ。だが、不幸なことにリルムはそれをまだよくわかっていない。
「リルムちゃん、それラスティンくんに言ってあげるといいと思いますよ。
言ったら研究の邪魔してでも一緒にいたがりそうですけど」
「流石にそれはないと思いますよ。ラスティン様にとって一番大事なのはシン様ですから。
…でも、そうですね。ちょっと興味深いことが聞けました。
この国で一般的な番というと、いつも一緒に居たがるとか、そういうイメージなんですね」
「そうですねぇ。やっぱりアズワルド国民としては、番というのはいつもベッタリしたがって、ちょっとした恐怖というか…。
今までの自分の何もかもをかなぐり捨ててお相手と一緒になりたくなるっていうの怖くないです?」
「確かに。
私は今まで生きてきて積み上げたモノがないから抵抗が少ないんでしょうね。
そんな私でも、やはり他国に行くということは本能的に怖いなと感じますし…。普通の方はもっと怖いはずなのに、それでも番と一緒にいたいと全てを投げ捨ててしまうのは周りから見ると恐怖でしょうね」
今まで自分の力で積み上げてきた地位や人間関係。それら全てを投げ捨てるというのは普通であればきっと重い決断があるはずだ。
「うーん…やっぱりリルムちゃんて、番っぽくないんですよねー。
私の友達にも一人番になった子がいたんですよー。そりゃあもう…凄かったです。番になる前はどっちかっていうと男勝りって言えばいいのかなー。そんな感じの子だったんですけどねー。
番になった途端、もうすっごい乙女に変化したというか。口を開けば番さんのこと、傍にいないと不安になるとかなんとか…うん、凄かったです」
そう言って少し遠い目をするサーシャ。よっぽどな変化だったのだろう。
「…ごく稀にですが、今まで見てきた資料の中でもあまり番になびかない人間というのは出てきますね。普通の番というのはもっと番に夢中になっているように感じます。
…私自身はとても夢中になっている、と思っていたのですが」
リルムはこれ以上ないくらいにラスティンが好きだ。最終的にラスティンに好かれるためなら、と思って勉強も頑張っている。今この研究を頑張っているモチベーションも、ラスティンに好かれたい、ラスティンの周りの人にも認められたいという思いからだ。
「私の知る限り、ですけど他の番の人は夢中の度合いが違いますね。もうその人しか目に入らないって感じでした」
「この違いはどこから生まれるんでしょう?
私だけであれば、その…私は少し特殊な育ちをしてきたのでそういうもの、と言えるかもしれません。でも、他にも稀にですがそういう方はいらっしゃるようです」
「そういえばそうですね。ちょっとその観点から調べてみます?」
「はい、そうしてみましょう。なんというか…糸口になりそうな気がします」
何気ない会話から生まれた違和感。
それを頼りにリルムはさらに研究にのめり込んでいった。サーシャが止めなければラスティンたちの予想通り寝食を忘れて泊まり込んでいただろう。
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