公爵家 3 【エミリー視点】
込み入った話があるからと、エミリーを置いて、早々に応接室へ入っていく侯爵夫人とエマ、そしてマリアンヌにお父様。
はあ、聞きたかったけど仕方ないわね。
私室に戻り、公爵夫人に渡されたマナーと法律の本に目を通す。
ふーん、王宮侍女の階級はこんなにも細かく分かれてるのね…。で、私が前回手に入れた階級は小間使いの下と...。マリアンヌが手を回したことは明白ね。あからさまな差別は良くないわよ?次期王妃になるんだからね。マリアンヌお嬢様?
ペラペラとページを捲り、必要なことはノートにメモしていく。
マリアンヌが執事に命令して、私に必要な知識を、与えるのを阻止していたという噂を流すことができれば、こっちのものよね...。誰にでも優しくて、慈愛に満ちたお嬢様のイメージは、その噂だけで崩れるわ。
不憫な生まれの姉に意地悪をする悪女と印象付けば、それで良い。
所詮、何もかも好き放題与えられた、我儘なお嬢様なんだから。あっ、家庭教師の件はモーリスに一任されるんだっけ?なら、私の希望の人を寄越してもらわなきゃ!
うーんと、歴史と宗教に詳しい人がいいわね?あっ、女神様に相談するべきかしら?うん、そうしましょう。
もう、私がこの屋敷にいる必要は無いから、いつも通り、お世話になった孤児院へ行くと行って出かけたら、いいわよね?
モーリスに孤児院へ行くと伝えると、いつも通り馬車に胚芽の沢山混じった粗悪なライ麦粉を持たせてくれた。
「小麦粉を持たせてやりたかったんだが、流石にいきなり変えるのも、不味い気がしてな。馬車はどうする?エミリーが帰るまで待たせるか?」
済まなそうにこっそりと話すモーリスに、エミリーは笑顔を向けた。
「そんなことしたら、家令にモーリスが嫌がらせを受けるわ。いつも通りで大丈夫よ!ライ麦粉、少し増やしてくれたのね、ありがとう。家庭教師の件なんだけど...。少し我儘を言っても大丈夫かな?」
「勿論だ。なるべく希望に沿えるようにするさ」
「ありがとう、希望を書き出しておくわね。じゃあ、行ってくるわ」
モーリスと別れて、孤児院へ向かう。行きは公爵家の家紋の入った馬車。でも、私が長期滞在しているのを良く思っていないマリアンヌのせいで、帰りは孤児院の馬車で帰る。
自分の慰問時間より、私の方が数倍孤児院に滞在しているのが気に食わないのよね、あの子。まあ、当たり前でしょう?そんなの、私は仲の良い友達に会いに行ってるんだから、貴女の義務的な慈善活動とは違うのよ?
「シスター!お母様の調子はどうですか?」
「相変わらずよ。無気力そのものだわ」
お母様はお父様に裏切られ、捨てられてここにいる。私を身籠もったことで、お父様と通じていたことが露見し、貴族席を剥奪され教会預かりの身となった。
お母様は伯爵家の娘で同じ伯爵家に嫁いだが、夫が亡くなり寡婦となる。一男をもけていたため、そこに留まっていた時にお父様と知り合い恋に堕ちたそうだ。お父様の睦言に騙されて、気が付きた時には、お父様は公爵夫人と婚姻。私を身籠もったお母様は、伯爵家から追い出され、この修道院に身を寄せることになったという結末。
これも、全部他人から聞いた話。
人の噂話は、なかなかのものよね?
マリアンヌを身籠もってなければ、公爵夫人との婚姻だって、漕ぎ着けれたか怪しいそうで、お父様の屑っぷりが露見した出来事なわけ。
お母様の嫁ぎ先の伯爵家も、ご実家の伯爵家も相手が公爵家だからもう、泣き寝入りしかないわけで...。結果的に私とお母様が貧乏くじを引いて決着!
今だに、生きる気力の無いお母様。前を向いてくれたらいいんだけど...。
「ライ麦粉、いつも悪いわね。どう、公爵家では虐められてない?はあ、しかし、ここまで差をつけなくてもよいと思うわ。マリアンヌお嬢様が慰問にいらっしゃる時は、ふかふかの白いパン。エミリーお嬢様が来る時はライ麦粉。これでは、エミリーお嬢様がルーズベルト公爵家で不当に扱われてないか心配になるじゃない」
シスターは心配してくれているのね。お母様の味方であるシスターにとって、お父様は極悪人。ルーズベルト公爵家にもあまり良い印象はない。
「公爵夫人は噂通りの方よ。心配しないで下さい?」
「公爵夫人はね。マリアンヌお嬢様が問題のね...。全く、ご自分の代わりにエミリーお嬢様が苦労なさったのに、なんて方なんでしょう」
ぷりぷり怒るシスターに、エミリーは優しく微笑みかける。
「シスター、私の為に怒らないで、マリアンヌお嬢様の心中もきっと複雑なのよ」
まあ、私の態度がはじめから悪かったからなんだけどね。
「ああ、エミリーお嬢様、なんて優しい子なんでしょう」
マリアンヌに孤児院の子達が懐くわけはないわね。だって、ここは私のテリトリーなんだから!
「エミリーお嬢様!来てたんだ!」
靴墨で顔を汚した少年が駆けてくる。この孤児院の年長組のテッドだ。彼は街頭で靴磨きをしている子供達のボスだ。彼の元にはたくさんの噂話か入る。かなりの情報通だ。裏を返せば彼に噂を流せば、たちどころに広がる。
「テッド!元気だった?」
「ああ、この通りだ!」
なかなか落ちない靴墨に悪戦苦闘しながら手を洗うテッドに、エミリーはそっと小さくなった石鹸を差し出す。公爵家でくすねてきたものだ。テッドは嬉しそうにそれを受け取ると、顔と手を洗った。なかなか落ちなかった黒ずみは、たちどころに綺麗になっていく。
「ふふふ、ねえ、面白い話はないの?」
「ありがとうな。面白い話か...。大公殿下がディーン家の御令嬢にぞっこんってことと、廃妃が幽閉先で殺されたってこと、後、マリアンヌお嬢様のお亡くなりになった婚約者は元から難病に侵されていて、長生き出来ない運命だったらしいと言うことくらいかな?」
えっ、なら、マリアンヌはそれを知っていて婚約したのよね?何の為に?
「ねえ、テッド、大公殿下から白チューリップを貰った人の中にマリアンヌお嬢様もいる?」
まさかね?マリアンヌがそんな夢見る乙女な訳ないわよね?
「ああ、最近、贈られたみたいだぜ?」
ふふふふ。馬鹿みたい。何、自分は大公殿下の特別だと思って、死にかけの人間と婚約したの?王太子と婚約者しなくて済むように?で、王太子が婚姻したから、大公殿下に求婚して振られたって結末でしょ?ふーん。で、後がなくなって、慌てて王太子妃の座に収まろうって訳ね。内心、未練たらたらじゃないの?面白くなってきたわ。
「そうなんだ、御令嬢方の通過儀式って本当なのね?あのマリアンヌお嬢様にも白いチューリップが贈られるなんて。ね、大公殿下の意中の人の屋敷に押し入った賊は捕まったの?」
「ああ、実行犯はな」
首謀者は闇の中ってことね...。ふーん、面白いじゃない。
青蠍のメンバーが処刑されたとテッドは言っていた。貴族達は青蠍が組織化した集団だと思っているが、その実態は組織とはほど遠いものだ。
仕事の依頼は簡単、指定の店に行って指定の物を購入すると、そこ定員がコインをくれる。そのコインのナンバーを伝言板に書き、預かり所にコインのロッカーに依頼の手紙を出して、コインは預かり所の人間に渡し、四日後に来ると伝える。依頼を青蠍が受けたなら、四日後に半金の要求の手紙が預かり所にとどいている。その契約に合意したら、預かり所に半金を納め、残りの半金は別のロッカーに入れ、鍵は銀行に預ける。任務が失敗したら、残りの半金は戻ってくる仕組みだ。
預かり所の仕組みは本来、大きな取引を行う商人や貴族が使う。お金を持ち運び、強盗に狙われるリスクを減らす為に考えられた仕組。故に合法なのだ。
請け負っているのは、そこら辺のギャンキグや悪ガキに、身持ちを崩した者達から、人殺しの犯罪者まで多岐に渡る。依頼内容がリスクと報酬と共に、闇で貼り出され、請け負いたい奴が請け負うという、シンプルな仕組みだ。
そのリスクを調べているのがテッド達や露店や酒場の店主。ある意味、貧乏人皆が青蠍だ。
「ねえ、捕まったのは?」
「ああ、大丈夫だよ。極悪人ばかりだ」
テッドの言葉にエミリーは胸を撫で下ろした。
「依頼人は貴族だぜ!ただ、どこのお嬢様かはわかない。多分、召使いが依頼に来たと思うけど...。何せ、支払いが白金貨だったからな」
「ねえ、その依頼者の似顔絵作れる?紙はこれを使って!作れたらていいから。あと、決して無理はしないこと、いい?」
エミリーはポシェットから一枚の羊皮紙を渡す。
「わかった」
デッドはそう言うとニカッと笑って、それを受け取った。




